愛だろ云うなれば

初めて私と真逆の考え方の人に会った。人や物に全く入れ込まないタイプの人。私までとはいかなくても、人はある程度好きなことに対して、熱量を持っているものだと思っていた。今まで自分のうちになかった思考というのはすごく不思議な気持ちにさせられる。今一度、自分の“好き”について考えてみる。

好きな人や物には凄まじい熱量を以て接するというのが私の“好き”に対する向き合い方。これはおそらく物心ついてからずっとそう。小5のときに好きになった地図のお陰で大学に行けたし、一瞬でも好意を持っていた相手のことは絶対に忘れない。好きであるならば、そこそこの熱量ではいけないと思っている。対象が人なら、その人が育ってきた背景や思考を深く理解し、敬意を持つ必要がある。対象がもの・ことであるなら、中途半端に手を出すことは許されなくって、やるからには完璧に、自分の納得するまで気を注がなければならない。傍から見ててどれほど格好悪くても、気が済むまでというのが大事になってくると思っている。

ただ、入れ込みすぎてしんどくなったり、悩んだりすることもままある。悪くいえば完璧主義。でもこの考えを変えることは到底できそうにない。この性格のおかげで救われてきた部分は多い。完全に否定はできない。他の人、もの・ことを愛する前に、自分を愛した方がいいのかもしれない。

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