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「生きづらさ」という言葉の消費について考えてみる。

先日、フォローさせていただいている野尻暉さんのこちらのエッセイを読んだ。

 最近よく聞く「生きづらさ」という言葉についてのエッセイだった。

 私自身もこの1年ほどでこの言葉をよく目にするようになった。もともと「生きづらさ」という言葉は、1990年代の「アダルトチルドレン」という言葉が流行った頃に爆発的に広がった言葉らしい。

 この「生きづらさ」が二次ブーム的に広がったのは、ここ1,2年くらいじゃないだろうか。最初はSNSなどで見かけていた。この言葉の周りには「声なき声」とも言えるような、立場の弱い人の悲鳴のような辛い現実がこの言葉の周囲に添えられていたと思う。
 それが今やマスメディアなどの社会的なニュースを伝えるときだけでなく、エンタメでもよく見かけるようになった。私がよく読むからかもしれないが「女性向け」と呼ばれるジャンルのマンガ作品では、ありとあらゆる「生きづらさ」が描かれたものをたびたび目にしている。

 こういう社会的な問題になり得るものを題材にしているエンタメは多い。
エンターテインメントは、いつの時代も時代を色濃く写している。かつてはプロパガンダ的な側面を持っていたところもあるのかもしれないが、今は大衆の心理を操作するためというよりは、時代を投影することでその時代を生きる人が共感しやすいようにしているのだと思う。要は注目を浴び、物を売るための戦略だ。



 逆に言うと、今は「生きづらさ」が注目のワードであり、人々の関心を得られる言葉になっているということなのだと思う。



 そもそもここ最近騒がれていた「生きづらさ」というのは、何かしらのマイノリティであったり、大勢の人が概ね馴染めているであろう社会にうまく馴染めず、苦しむ人たちの声の中にあった言葉だった。それが今、物を売るためのキーワードにもなっている。

 なんでそんなに、たくさんの人が「生きづらさ」に共感できるのかについても、野尻さんはこのように書かれている。

わたしが接する情報の偏りもさることながら、最近の世の中はもはや「生きづらさ」を抱えた人種がマジョリティなんじゃないかと感じる。それは時代の変遷で変わったわけではないかもしれないし、当然そういう声が目立つし、わざわざ声を出すのはどういう人種かという話でもある。

多分、そもそも生きることは難しい。

野尻暉さんのエッセイより

 野尻さんのエッセイを読んで、まさにこれだと思った。

「多分、そもそも生きることは難しい。」



 野尻さんは時代の変化なども含め、色々な可能性を考えられているけれど、個人的にはおそらくどの時代も生きることは難しいのだと思う。
 旧石器時代なら、日々生きるために必要な食料や眠る場所の確保に苦労していただろうし、文明が進めば税や労働で苦労する人が増えていく。既得権益の奪い合いで苦労する。戦乱の時代になれば、治安の悪化と食糧の確保に苦労しただろうし、戦がなくなったら次は貧富や身分の差に目がいくようになり、それはそれで苦労する。
 人は文明や時代が進むにつれて苦労の種類が変わるけれど、苦労や生きることの難しさは大きく変わらないような気がする。直接的に生死に関わらない苦労のように見えても、それがつらくて生きることをやめる人がいる以上、やはりどの苦労も等しく生きることを難しくしているのだと思う。

 自分たちで様々な苦労を生み出すという意味で、地球上でも特殊な生き物なのはたしかだ。でも、多分地球上にいるすべての生き物が、生きるために争い、生き抜いている。
 そういう意味で地球は、地球にいる生き物ほとんど全部にとって、生きづらい世界なのかもしれない。だいぶ壮大な話になってしまったが、突き詰めて考えるとそういうことである気もするのだ。


誰しも「生きづらさ」に影響を及ぼすこびりついた傷が大小問わず存在するんだろうと思う。それは出来事の大小で決まるわけではなく、その人の経験や性質で認知が大きく変わる。

野尻暉さんのエッセイより

 人は生きている以上、野尻さんの言うように「生きづらさ」という言葉に共鳴する傷(過去の経験)は誰しも多かれ少なかれ持っているのだと思う。

 共感するためにそれぞれが持つ「傷」は、ドラマになるほどドラマティックで希少性や過酷さは必ずしも必要ない。だから今、たくさんの人が「生きづらさ」に共鳴し、共感しているのだと思う。
 そして自分も同じだと安心したり、過酷な状況の中で生きる人に勇気や活力を貰う人が多いだろう。私もそういう活力を貰う人間のひとりで、凡人だ。 


 もしかしたらほかの人の経験を知り、自分の方がより生きづらいと訴える人もいるかもしれない。それも悪いことだとは思わない。それが、今まで言いたくても言えなかったことを言う機会になったのであれば、なお良いことだとも思う。その勇気が報われて、過酷な状況が少しでも解消されることを祈っているし、私にできることがあるのなら何かしたいとも思う。
 「生きづらさ」という言葉の周りには、本来はそういう人たちの抱える問題が集約されていたはずだ。

 だからこそ少し気になるのは、消費されトレンドではなくなって、「生きづらさ」という言葉が本来の役割を果たす前に捨てられてしまわないかということなのだ。



 「生きづらさ」という言葉が取り沙汰されるようになり、多様性や社会的な問題と付随して話題になっていたところから、今やトレンドとなってエンタメになるところまでたどり着いた。
 エンタメはトレンドにのって様々な人の共感を得ながら、消費されていく。そしてトレンドは移り変わり、エンタメが描くものも変わっていく。冒頭にも書いた通り、エンタメはそもそもそういう性質のものなので、それがどうと言うつもりはない。

 ただ、この「生きづらさ」というものが、消費を煽るために使い倒されて、一時的なトレンドで終わってしまわないでほしいと思う。

 この言葉を使い、大半の人が真の意味で理解しきれないほど過酷な「生きづらさ」と戦っている人もたくさんいるはずなのだ。エンタメ化できないほど辛い経験をしている人もきっといる。そういう人にスポットライトや救いの手が差し伸べられることなく、消費されて終わってほしくない。


自戒を込めて言うが、「生きにくさ」の自覚は程度によって自分が世界から少し浮いた特別な人間だと陶酔するツールにもなり得る。

しかし、なにかしらに陶酔しないと生きにくいとも思う。

野尻暉さんのエッセイより

これについても、私は完全に同意見だ。


 少し前、「HSP」という言葉が流行ったときがあった。
SNSでしきりに自分がHSPであると公言して回るような人もいた。実際、そういう自分を理解してほしかった人もいたのだと思う。その一方で、今トレンドのレッテルと自分に貼って、見せびらかしているような人も少なからずいたように感じた。
 HSPは「繊細さん」とも言われていて、どこか儚げな雰囲気があるのも、そういう人たちが陶酔するのにちょうど良かったのだろう。

 こういうレッテルに頼ったり陶酔の材料にするのも、生きづらい世界を生き抜くための一つの戦法とも言える。
 ただ、エンタメ化して消費されるのと同じように、レッテルとして消費されることで時代遅れに感じられてしまったり、その言葉が持つ本来の意味や起きるべきアクションがないまま廃れてしまうことがないことを願っている。

 実際、この「HSP」という言葉をしきりに言って回る人は以前より減ったような気がする。
これは言葉そのものが一般化して強く言い続けなくても理解してもらえるようになったのかもしれないし、流行が落ち着いてトレンドだけを意識して使っていた人が使うのをやめただけかもしれない。
本来、HSPというものは個性であって、風邪のように罹って治るような性質のものではないのだから、それこそインフルエンザなどのように一気に流行して収まるものではないのだ。
何かあって言うのを公言するのをやめた可能性ももちろんある。
けれど、いずれにせよ本当にその個性を持っていて悩む人が、流行のせいで言いづらくなったり無駄な苦しみが増えるようなことにはなってほしくない。これは「生きづらさ」を叫ぶ人にも同様だ。


 この「生きづらさ」というワードには、たくさんの人の叫びのようなものが詰まっている。
経済的な問題や格差や、地域や家族、コミュニティにおける人間関係やトラブル、性的マイノリティへの差別や偏見など、本当にさまざまだ。この言葉を使って問題を訴えながら、大半の人が共感しきれないほど過酷な「生きづらさ」と戦っている人もいるはずだ。

 「生きづらさ」という言葉が流行っている割に、そういう人たちのほとんど解消されていないように思う。人の意識や政治や社会など、巻き込む人やものが多い問題の解消には時間がかかる。ただ、だからといって途中で忘れられたり、飽きられて終わっていいものでもない。

 エンタメは消費してしまうが、認知を広めるという側面がある。だからエンタメ化することは否定しないし、レッテルとして自分や自分の傷につけることも一概に悪いことだとは言わない。ただ、この言葉は流行云々で簡単に消えてはいけない言葉だと思う。


多分、生きることが難しい。
だけどその難しさを理解し、協力することができるのも人のいいところだと思う。そうやって人は生きてきたし、これからもそれが人という生き物の強みであると思う。

 感想を書くつもりが、なんだか壮大な話になってしまったけれど、野尻さんの記事を拝見してそんなことを思ったのだった。



色々考える機会をくださった野尻さんに大変感謝しつつ……最後まで読んでいた皆さんにも感謝を。ありがとうございました!


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