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短編/掌編小説

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短編/掌編小説のまとめ
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#小説

短編小説/幽霊屋さん

短編小説/幽霊屋さん

 窓ガラスには河瀬の顔が映っていた。
 半透明になった彼女の顔の向こうに、アスファルトの道路が見える。午前中から降りはじめた雨は深夜になっても降り止まず、天気予報を見ると来週まで雨だった。
 雨に濡れたアスファルトは、その表面を水の膜に覆われて、生物めいた光沢を放っていた。アパートの前には都市高速が走っており、高架下の中央分離帯には金網に囲まれた空き地が見える。何もない場所を街灯の光が照らしている

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短編小説/イハリ、イハリ、イハリ

短編小説/イハリ、イハリ、イハリ

 その国には、王様もおらず、指導者もいなかった。所有という概念もなく、通貨もなく、国境も存在しなかった。人々はコカの葉に漬けた林檎を主食とし、眠りたいときに眠り、目覚めたいときに目覚め、喋りたいときに喋った。人々は幸せだった。しかし、わずか三日で崩壊したため、だれも知らない。
 イハリ、イハリ、イハリ。
 プラスチック製の白いガーデンチェアだ。
 肘掛けがあって、放射状にデザインされた背もたれには

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掌編小説/裸族

掌編小説/裸族

 私は裸族である。
 四十二歳、妻子あり。

 家では隠れ裸族である。風呂あがりに上半身裸でうちわを扇いでいるだけで、妻には露骨にいやな顔をされる。娘はこれみよがしに嗚咽し、頼むから消えてくれと懇願してくる。家には解放できる場所がない。

 会社の都合で出張が多い。月曜から金曜まで出張で、土日を家で過ごし、また月曜の朝から出張に行くケースも少なくない。目的地は本社のある大阪で、そんなに出張があるな

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短編小説/ショッピングモール

短編小説/ショッピングモール

 目を覚ましたとき、雨はまだ降っていなかった。
 身支度を整えてマンションを出たとき、腕に水滴があたったような気がして、ショッピングモールに到着したときには、どしゃ降りの雨になっていた。
 屋外の平面駐車場に車を停めて、しばらくフロントガラス越しの雨を眺めていた。ショッピングモールの壁に取り付けられた衣料品ブランドの看板が輪郭を失って滲んでいる。黄色い雨合羽を着た子どもが車の前を駆けていく。ワイパ

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掌編小説/桃を壊す

掌編小説/桃を壊す

 この人、わかってる。
 一つだけ傷んだ桃のことだ。

 近所のスーパーマーケットは、歩いて五分、自転車で二分。集会所の前を少し早足で駆けぬけて、レンタル家庭菜園みたいな横を通って、コンビニを一つ歩き過ぎたところにある。今年できたばかりのスーパーマーケットだ。広い駐車場があり、クリーニング店と散髪屋が併設している。
 日に一回は必ず行くようにしている。午前中と夕方、日に二回行くこともある。暇だから

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短編小説/扇風機埋葬

短編小説/扇風機埋葬

「どうしましょうか?」
 僕はたずねる。
 男は——仮に〈教授〉としておく。
 教授はショートケーキのフィルムを舐めながら言う。「どうしようもないさ」
 僕らが話しているのは、扇風機のことだ。昭和時代に大量生産された骨董品。
 半透明の羽根は青く、胴体部の塗装は剥げ落ち、錆色の地肌を見せている。強中弱のボタンを切り替えるたびに大げさな音を立てて、そのくせ、貧弱な風しか送ってこない。どのボタンを押し

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掌編小説/風葬都市ガイドマップ

掌編小説/風葬都市ガイドマップ

 街の名前は知らない。
 知っているのは、何百年前に滅んだ街というだけ。
 入口には錆びた看板があり、かろうじて〈…隊を希望され……〉の文字が判読できる。しかし、仮に文字が判読できたとしても、読む人がいなくなった現在となっては、わずかにできた日陰にしか価値がない。
 風に含まれた砂が金属板にぶつかり、絶えずかすかな音をたてている。
 見渡すかぎりの砂の色。アスファルトも、コンクリートも、砂の色。

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掌編小説/青いリボンのユニコーンは真夜中を駆ける

掌編小説/青いリボンのユニコーンは真夜中を駆ける

「もう二十年になるんだ」
「うん」とぼくは相槌を打つ。
 友人のサクマが話しているのは、ゲームボーイで発売された〈彼女とキスする? それともモンスターと暮らす?〉という異色恋愛シミュレーションゲームのことで、主人公は三人のヒロインから一人を選ぶか、もしくはモンスターと一緒に暮らすか選ぶことができる。ヒロインの選択はいつでも可能で、選んだ時点でゲームは終了となる。セーブデータは崩壊し、後戻りは許され

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掌編小説/まいばすけっと

掌編小説/まいばすけっと

 その日は発熱してから一週間目の午後で、目覚めたときに体温を測ると、ようやく36度8分という状態だった。
 熱は下がったが、体はだるく、頭は膜を張ったように重たかった。
 上司に今日も休みますと連絡を入れて、部下の報告をチェックする。テレワークになって日々の通勤からは解放されたが、こうして休んでいても仕事がつきまとう。
 冷蔵庫を開けると、食料と呼べるものがほとんど入っていなかった。かれこれ一週間

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短編小説/スフィンクスは今宵も寝て待て

短編小説/スフィンクスは今宵も寝て待て

 お金をかけて戦闘機を飛ばした。実際に町をひとつ破壊した。そこに土偶が運転するUFOを付け加えたらどうなるか、と映画監督は考えた。
〈スフィンクスは今宵も寝て待て〉と題された映画がどれだけ素晴らしい傑作か、ぼくは三時間かけて執念深く話したが、映画ライターの逢沢京子は狐につままれたような顔をしていた。

「その話って、まだ続きます?」
「あと五年ぐらい?」
「観せてもらえたほうが助かるんですけど」

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掌編小説/孤独なクリーチャー

掌編小説/孤独なクリーチャー

 寒い日だった。
 重たい雲からは、雪がひらひらと降りはじめた。
 体じゅうに弁当屋の油が染みこんだ頃、ぼくはアルバイト先をあとにした。年末の慌ただしさに逆らうようにして駅から駅へ、次の駅から次の駅へと乗り継いでいく。最後は単線の無人駅で、併設されている地蔵堂の屋根には雪が積もっていた。

「お帰りなさい」
 台所から妻の声が聞こえる。部屋は暖かい湯気に包まれている。
「ただいま」とぼくが言うと、

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