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リバティアイランドっていうお馬さんがいましてね
女の子のお馬さんなんですよ。
競馬っていう、お馬さんが18頭ぐらい集まって、わ〜ってレースするスポーツで活躍してる女の子なんですよ。
彼女のデビュー戦は強烈で、とにかくめっちゃ足が速かったのです。具体的には、レース最後の方でJRA史上最速の記録を叩き出したのです。それはもう、ちょ〜〜〜ぜつに速かったのです。
怪物が出てきたという高揚感と、いやまだデビュー戦を勝っただけだという冷静さが混在します
動け動け、動いて動け動け、という話
noteで駄文を綴ろうとしたら、
「こんばんは。今日もおつかれさまです」
なんて煽られた。
土日を怠惰に過ごした僕を蔑んでいるのかnoteくん……?(被害妄想)
疲れてなくても文章書いていいだろ!ノート!
まぁそれは冗談ですが、一切の行動を起こさず与えられたコンテンツを消費するだけで休日を終えてしまった事に対して、流石の僕も危機感を覚えずにはいられないのです。
動かない、という事は基本ディスア
労働はクソだが、自分もクソだなって話
労働はクソ!
……というのはそうなのですが、そのクソの本質はどこにあるのでしょう?
人によって異なるとは思うのですが、僕にとってのそれは『自分と向き合うことを強制される』が故に『無能な自分を常に意識させられる』厳しさにあります。
僕は基本的に仕事ができません。
他の誰でもできる簡単な作業すら失敗し、時間がかかり、できたと思ったら抜けがあり、周囲に質問してばかりで他人の時間を奪い、業務上必要なコ
死体の上で生きている、という話
何かしらの問題を抱えていて、それによって自分自身を死の方向へ向かわせてしまうような、苦しみの中にいる人が行う自分語りの中に「友達が、知人が、周りの人が、家族が、恋人が」等の、親密に接してくれる他人の存在が出てくるのはそう珍しい事ではない。
"理解のある彼くん"という奴です。
なんやかんやで、彼らは他人と普通に接する事ができている……あるいは、彼らは普通に接する事ができなくとも、それを受け入れて
『バーチャル引きこもり』の話
僕は壁の中に引きこもっています。
ず〜っと引きこもっていて、外から人が来るのを待っているだけの、スーパーパッシブマンなのです。
僕と他人の間には壁が存在していて、それを壊す事ができない。
僕が他人と接するとき、距離感はめちゃくちゃで、言葉はぐちゃぐちゃで、感情表現に乏しく、無口で、口を開いた所で面白くはなく、常にぎこちなさを抱えている。
どうして普通の人はぎこちなく接する事ができるのか、普通
俺、つまらない人間なんじゃないか?という話。あるいは『優しさ/藤井 風』への勝手な共感。
面白い人間になりたい訳じゃない。
でも何も与えられない人間にはなりたくない。
強くそう思います。
同い年の人間が書く歌詞とは思えない……
藤井風さんの歌詞を字面そのまま受け取っていいべきなのか否かはともかく、もし受け取っていいなら暴力的なまでに僕に突き刺さる歌詞です。
僕は優しい人間に囲まれています。
その優しさの一滴ぐらいは僕以外の人に向けて欲しい。溺れてしまう。
好きな物は(あんまり)な
人生が一本の線に乗っていないという話
過去は原因で、現在は結果だと思っています。
あの過去があったから、現在がある。
それが良い現在であろうとも、悪い現在であろうとも。
人生は時間で一本に繋がっていると思っています。
過去は一直線に現在に繋がっている。
でも僕は現在を生きるのを拒否したり、過去に蓋をしたり、未来を諦めてたりしていたので、人生の線がバラバラになっていました。
過去を見つめるのはスリリングです。
「ああすればよかった」
咳止め薬でぶっ飛んで神を見た時の話
お酒が好きです。美味しいし、酔うのは楽しいし、気楽に内臓を傷つけられるからです。
みんなも楽しく内臓にダメージを与えて寿命を減らそう!
そんな緩やかな自殺を続けています。
すぐさま首を吊れるほど自分に絶望しきっている訳じゃないけど、飲酒を止められるほど未来に希望を持っている訳でもないのです。
一時期、今よりも少し疲れていた時期、咳止め薬のODに手を出した事があります。
9ヶ月ぐらい続けて、今は
『無能』って結構つらいんですよ
いやつらいのは無能な人間に滅茶苦茶にされる方やないか〜い!
っていう一言で終わりではあるのですが、無能な側もまぁまぁつらいんだよなぁ、という身勝手な主張の形をした自分語りをします。
『無能』って単語は便利だから使ってるだけなので、例えばこれを『自己中』やら『クズ』やら『人生適当マン』辺りに置き換えても別に問題ないです。
・ やること全てが裏目にでる
僕の敬愛するゲームに『Portal2』と
自殺を人生のゴールに据える
自殺で生を終えること。これは人生における僕の唯一の目標です。
理由は大きく2つ、無駄に長生きして他人に迷惑をかけたくない、そもそも生きる理由がない。
どうせ生きていたところで現実的な幸福……例えば一般的に言われる『友達と馬鹿騒ぎして、仕事で成功して、恋人と愛し合い、子育てに勤しみ、孫の成長を見届けながら死んでいく人生』……を得られる可能性はゼロです。そもそも僕のようなゴミ人間にその死に方は、億