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死体の上で生きている、という話

何かしらの問題を抱えていて、それによって自分自身を死の方向へ向かわせてしまうような、苦しみの中にいる人が行う自分語りの中に「友達が、知人が、周りの人が、家族が、恋人が」等の、親密に接してくれる他人の存在が出てくるのはそう珍しい事ではない。

"理解のある彼くん"という奴です。

なんやかんやで、彼らは他人と普通に接する事ができている……あるいは、彼らは普通に接する事ができなくとも、それを受け入れてくれる人に恵まれている。

類は友を呼ぶと言いますから、これは本人の性質による物なのです。彼らの周囲にそういう人が集まるのは、彼自身がそれだけ魅力的な人だという所以です。

それは誇ってほしい。大切にしてほしい。認めてほしい。彼らは素晴らしい人間で、素晴らしすぎて、陳腐な言葉を使えば生きているだけで素晴らしいのです。

多くの人は、多分そうではない。多くの人はそんな魅力を持っていない、はず。でも魅力がなくても能力があればいい。難しい能力じゃない。ただ普通に他人と接するだけ。それができれば、社会で生きていける。

結局、僕たちは無数の死体の上に生きているんです。僕は運という能力を持っていたから、魅力がなくても社会で生きてこれてます。それ以外のあらゆる能力は欠如していて、普通に他人と接する事はできないけれど、それでも生きてこれてます。

ただ、僕がそうやって生きている足元には、何の魅力も能力も持てなかった死体が積み重なっているんです。苦しい悲しいの声すら上げられず、いや頑張って上げてみた所で誰にも見向きされなかった無数の死体の上で生きている。

生きている?言うほど生きてるか?

結局のところ、僕は死体を踏み躙りながら僕の先を歩く他人に対して嫉妬と羨望の目を向けながら生きているフリをしているだけの死体もどきでしかない。

死は眼前に迫ってきていて、それを見ないようにしながら、ただ生存しているだけの死体でしかない。何の魅力もなければ能力もない。運だけで生きてきた人間が、その運から見放された時にどうなるかなんて、赤ちゃんでも予想がつく。

今日は寒いから良くない。
二日酔いだから良くない。
そういう日は何も考えずに寝ればいい。

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