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ついに移住完了!夫婦ふたりの引っ越し 〜親の移住と、家族の記録#20〜

父の退職から一ヶ月後、両親は移住先の町へ引っ越した。業者には頼まず、父が知り合いから借りてきた小型トラックで二往復、四日間かけて荷物を運んだ。

思い切った断捨離でずいぶんとモノは減らしていたし、ダイニングテーブルやベッドなどの大きい家具は半年ほどの二拠点生活のあいだにすでに購入していたので、荷物はそれほど多くはない。衣類、食器、日用品、当面のあいだの食料・水・アルコール、テレビやオーディオなどの家電、布団、炬燵・・・。それらを自分たちで運び出して荷台に積み込み、移住先で降ろして家の中に運びこむ。
途中、物件探しでお世話になった市役所のSさんが様子を見に来てくれた。両親がこの家と出会えたのは、間違いなくSさんのおかげだ。あの時の「待ちましょう」の一言が、父と母の夢を叶えるきっかけになったのだから。

もちろん私も引っ越しを手伝うと申し出たが、両親は最初から子どもたちの手を借りるつもりはなく、「自分たちのペースでやるからいい」と素っ気なく断られた。むしろ、最初から最後まで夫婦ふたりでやりたかったようだ。

二往復してすべての荷物を運び終えた両親は、トラックを返却し、家の鍵を不動産会社へ預け、最後の私物である車をピックアップするために家に戻った。ついこの前まで自分たちのものだった家の中を、窓ガラス越しに覗く。ガランとしたその空間に、もう入ることはできない。今頃になって網戸の端が破れていることを気にしはじめる母を促し、父は車に乗り込んだ。
この家で過ごした日々は、間違いなく楽しくてしあわせだった。父の隣には母がいて、母の隣にはいつも父がいた。明日から暮らしの場所は変わるが、夫婦の時間はこれからもずっと続いていく。
最後に一度だけ振り返って家に別れを告げ、父と母は移住先の町へ向かって走り出した。

引っ越しの翌月、父は新しい家で誕生日を迎え、六十九才になった。母は六十五才。今振り返っても、移住するにはギリギリのタイミングだったと思う。移住の意思を確認してからおよそ二年、気力と体力のあるうちになんとか間に合って本当によかった。

父はスマホにもだいぶ慣れ、家族のグループLINEには時々写真が送られてきた。庭に出てくる雨蛙、散歩中の景色、近所の人にもらった果物、夕焼け。毎日のいろいろなことが新鮮で、それを私たちにも知らせたいと思っているのが伝わってくる。口調はなぜか敬語で、小さな「っ」や「ょ」はまだ難しいらしい。

私:お父さん、お誕生日おめでとう!
父:ありがとうございます。

私:そっち大雨みたいだけど大丈夫?
父:だいじよぶですよ。

私:今日は友達と焼き肉!
父:おいしかつたかい。
きょうだい:明日から出張だ〜
父:気おつけてください
父:日帰り?気をつけて行ってきてね!(←これは明らかに母が打っている)

こんな感じで、何気ない会話をLINEでよくするようになり、移住前よりもむしろお互いの様子がわかるようになった。やはり父にスマホを持たせたのは正解だった。母が父のスマホから参加してくることもだんだん増えてきて、そのうち自分も欲しいと言い出しそうな雰囲気だ。

移住したばかりの頃は、家にいるのがもったいなくてあちこち出かけることが多かったが、生活が少しずつ落ち着いてくると、時間の使い方もなんとなくペースができてくる。
毎日の日課は、午前中のラジオ体操と夕方のウオーキング。週に一度、大きな町まで車で出て、食料や日用品を買い出しする。それ以外は、庭につくった家庭菜園の世話や読書、天気がよければ海まで足をのばしたり、ちょっと遠出をしてみたり。母は若い頃趣味だった裁縫をまた始めた。まさに気ままにのんびりな田舎暮らしだ。

移住から二ヶ月ほどたった頃、私は両親に会いに行った。駅に降りると、改札の向こう側で父と母が手を振っている。そのあまりの笑顔に、私の前を歩いていたおじさんが怪訝な顔で振り返る。子どもが帰ってくるのを待つ親の気持ちは、子どもがどんなに大きくなってもきっと変わらないのだろう。

他のきょうだいも合流し、久しぶりの家族全員集合。食卓には地元の食材を使った料理がたくさん並び、父も美味しそうにお酒を飲んでいる。母の話はあちこちに飛ぶが、結論はどれも、引っ越してどれだけ楽しいかということが言いたいらしく、聞いていて飽きない。翌日は家族旅行で毎年のように来ていた海水浴場をみんなで見に行き、当時からある食堂で昼食をとった。たくさんあったお土産屋さんはだいぶ減って町も静かになったが、海と空の美しさはあの頃のままだった。
昔から知っている町なのに、ここに両親が住んでいると思うとなんだか不思議な気がした。これからは、私はここに「来る」のであって、「帰ってくる」のではない。自分の部屋や私物がひとつも無い新しい家は、私にとって「実家」ではなく、「両親が住む家」だ。この新しい概念との出会いは、なかなか新鮮な経験だった。

実家と呼べる場所は無くなったけれど、生き生きとしている父と母を見て、これでよかったんだと心から思った。
両親が仲良く楽しそうに暮らしている。子どもにとって、これ以上うれしいことはない。まだまだ元気で体も動くし、お金のこともとりあえず差し迫った心配はなさそうなので、安心して離れていられる。ほどよい距離感で緩くつながっているのが、私たちらしい家族の形なのかもしれない。

帰る日の朝、玄関の前で家族写真を撮った。全員で撮るなんて何年ぶりだろう。三脚にカメラを取り付けている父を待ちながら、母がつぶやいた。

「なんだか今、とってもしあわせ」

父が小走りで戻ってくる。みんなでくっついて、シャッターを待つ。いい歳をした親子が照れもせずにこんなことができるのは、今この瞬間を忘れずにいたいという想いが同じだったからだろう。

両親の移住を通して、私たち家族はいろいろなことを考え、話しあった。これまでのこと、これからのこと、親の老後、仕事の引き際、生き方、暮らし方・・・。
そして、父と母はたくさんの初めてを経験した。インターネットのある生活、物件探し断捨離と引っ越し・・・。
思い返すと、本当にいろいろなことがあった。そして、家族みんながしあわせになった。

父と母の移住完了を見届けたことで、私の気持ちにも一区切りがついた。
おつかれ。よかったね。また会いに来よう。
帰りの新幹線、遠ざかる海を見ながら開けたビールの味は、格別だった。


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「ああ移住  ー親の移住と、家族の記録ー」は、この記事でひとまず完結となります。最後までお読みいただき、ありがとうございました。
移住後の話はまだまだたくさんあるので、これからも書いていきたいと思います。よろしければ、ぜひまたお立ち寄りください。


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