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#② the monogatary


#1 the monogatary | 未来の君へ

某日。自宅にて。その出来事を語るに、僕の年齢は若すぎた。ゆえにブラックボックスに封じている。それで良いと思った。それが良いと思った。時が来たら、開封しようと思う。

未来の君へ。君が将来、苦しまないために、僕は書くことにした。あの日、起きたことを。

誰しも皆、心の中に怪物を飼っている。それは僕も同じ。怪物は様々なモノを欲する。私たちは食事を始め、様々なことを介して、その怪物に栄養を与えている。もし君が部活動に従事しているのであれば、その怪物は部活動を通したコミュニケーションや争いを通じて成長していく。もし君が恋愛に一喜一憂しているのであれば、その怪物は君の焦燥や喜びを通じて成長していく。どんな人生を歩もうとも、怪物は個性的に成長する。

『フランケンシュタイン』という名作がある。フランケンシュタインという天才博士はその研究の過程で、人造人間を開発することに成長する。しかしその醜い有様を見た博士は自身の発明品に恐怖を覚え、逃げ出してしまう。孤立した人造人間。彼女はなぜ自身が生まれたのか、その答えを得るべく、博士を探す旅に出る。その過程で様々な感情を得た彼女は、そんな博士に復讐することを誓うのであった。『フランケンシュタイン』とはそんな物語なのである。

怪物には心がある。人々は当然のことながら、怪物に対しては恐怖を抱く。それは僕たち人間の本能である。ゆえにその純粋な感情を責めるのは筋違いである。その上で、どのようにその怪物と向き合うのか。それこそが本題であり、重要なのだ。君がこの手紙を通じて、自身の怪物との向き合い方を見直すきっかけになることを願うばかりである。

拝啓 未来の君へ

君がこの手紙を手にした時、僕はもうこの世にはいないと思う。それでも、僕は君が将来を健康的に楽しく過ごせるように、その一部始終を記録することにした。どうか覚悟して読んで欲しい。君にはその能力があるから。

銀世界。そんな言葉が相応しい光景だった。僕たち家族は、有給を取得し、子供を連れてスキー場にやってきた。かつて両親の教育ゆえにスキーを嗜んでいた自分は、今回の旅行でスノーボードに挑戦することを決めていた。日々の接客業の中でたまったストレスを吐き出したい。そんな思いを抱えて、僕たちはこの場に来た。

場所は北海道。関東からは幾分離れた土地ではあるが、休日には最適なスポットである。ジンギスカンを始めとした北海道独特の名産や、初々しい海鮮品の数々。日々の疲れを取り払うために、僕たち家族はこの土地で休息することに決めた。

綺麗な所ね、と妻が言う。妻は綺麗な所が大好きだ。身だしなみを始め、妻には独特の美意識がある。その影響を受けて、うちの長女もファッションにはうるさい。そんな妻と長女の相性はばっちりで、ペアルックを決めることもある。その注目度は桁違いである。共に美的センスに溢れている両者は、注目の的である。関係者である僕としては、あまり目立つ行動は2人にしてほしくないのだが、こればかりは天性のものである。ただ横から眺めるしかない。それが僕の役割であり、また彼女たちの役割でもあるのだ。それで良い、と僕は思っていた。

スノーボードに挑戦する。そんな事実に胸を高鳴らせていた僕は、意気揚々とスキー場に降り立つ。どんな時でも下準備は大切である。僕はこの日の為にダイエットしてきたし、スノーボードを扱う上で重要なバランス感覚についても、自宅のバランスボールを使いながら訓練してきた。出来ることはやった。あとは実践あるのみ。

寧々:「パパ、何か変。不気味。」

拓斗:「どうした寧々、緊張しているのか。まあ寧々にとっては初めてのスキーだもんな。緊張するのは当たり前だ。でもな、寧々。スキーは楽しいぞ。身体を動かす事はいつだって楽しい。寧々にはその喜びを知ってもらいたいし、きっと寧々ならその楽しさを理解することが出来る。小泉信三は...」

寧々:「はぁ~、うるさいうるさい。いつもの弁論はお断りよ。本当、何でこんな人とお母さんは結婚したんだろう。ありえない。」

理紗:「そうね。私もそう思うわ(笑)。でもね、お父さんはこれでも努力家なの。決してめげない。寧々が言う通り、お父さんの言葉はいつも堅苦しくて面白くないけど。やればやる男なのよ、お父さんは。きっと寧々もいつか分かる時が来るわ。」

寧々:「えぇ~、そうかなぁ~。ちっとも理解したくないんだけど。」

理紗:「ふふ、将来が楽しみね。」

何気ない会話。いつも通り、僕は長女から嫌われている。でもそれで良い。かつて心理学を席捲したアドラーは言っていた。「嫌われる勇気を持て」。僕にはその素質があるのだ。そう信じ、今日も僕は寧々の罵倒を受ける。でもそれで良いのだ。それが良いのだ。


#2 the monogatary | 始まり

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「今日行くの?」

僕はいつものように投げかける。

「うん。何回も挑戦しないと。」

母は言う。

「もう辞めようよ。」

妹が駄々をこねる。

「駄目。もう決めたことだから。」

夜の旅が始まる。

時刻は深夜。僕たち兄妹は車に乗り込む。

いつもどおり。

母が運転する車は静かだ。静寂。流される音楽は失恋系。うんざりだ。

今日のアーティストは西野カナ。母はいつまで引きずるのだろうか。子供の幸せを考えて欲しい。

到着した。いつもの場所だ。僕たちはここでピンポンダッシュを繰り返す。なぜ?分からない。ただ僕たちはひたすらに、母に服従している。

1時間が過ぎた。反応なし。応答がない。悲しい。また僕たちは何も出来ずにこの場を去るのか。


#3 the monogatary | 渋谷事変

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それは一瞬のようで。それは永遠のようで。そんな時間を僕は過ごした。

某日。蝉の鳴き声が聞こえる季節。僕はいつも通り渋谷に向かう。大好きな祖父母に会うため。最近オセロを始めた祖父母は、僕も一緒にやらないかとよく誘ってくる。本気でやると勝ってしまうので、手加減することが大切だ。そうでないと、祖父母のご機嫌を取ることができない。

昔の記憶を呼び起こす。幼少期にオーストラリアに住んでいた自分は、チェス部に所属していた。日本ではチェスより将棋のほうが知名度があるように感じる。しかしながらチェスも将棋も、どちらの競技にも独特なルールがあり、ゆえに面白い。チェスではそれなりの地位を得ることが出来たが、全国の猛者に叶うほどの技量を習得する前に、帰国した。受験勉強との兼ね合いもあって、チェスにはそこまで熱中できなかったが、また機会があれば祖父母とでもチェスをしたいと思っている。

辺りが騒がしい。いつも通り歩道橋に乗って祖父母の自宅まで向かう。どうやら何かしらの事故があったようだ。交通規制がされている。クラクションが飛び交う。しかしそんな状況に対して見ぬふりをする通行人。スマホが普及するようになって、僕たち通行人の関心は携帯にばかり集まるようになった。世の中が発展し、個の力が伸びていくことは素晴らしいことである。しかしながらその代償として、僕たち人間の繋がりは希薄なものになっているように感じる。ネット上の友達はたくさんいるかもしれない。でもリアルの友達は?挨拶は?良き伝統が失われていく。それを気にする人もいれば、気にしない人もいる。「何か寂しいなぁ~。」そう独り言を呟く。結局、僕たち人間は時の流れに身を任せるしかないのだ。

歩道橋を降りる。この歩道橋もいつか老朽化して、新しくなるのだろう。その日を楽しみに待つとしよう。ひとまず、目的地へ向かう。ここから少しばかり歩いたところに、祖父母の家がある。渋谷はその名前が示す通り、様々な地点に坂道が存在する。それは今回も同様で、この暑い気温の中、僕はエネルギーを振り絞る。そんなに汗をかく方ではないが、どうやら今日は例外らしい。汗が滴る。それをタオルで拭う。ハンカチ王子が引退した。彼の野球人生は、どのようなものだったのだろう。高校時代に衝撃的な試合の数々をこなし、早実を優勝に導いたエース。大学時代も無双した彼は、ドラフト1位で日本ハムへ入団することになる。しかしながら怪我の影響もあって、プロ野球選手として長く活躍することは出来なかった。もしマー君のように、高校を卒業してすぐにプロの世界に飛び込んでいたのなら。そんなたらればについて考える。引退試合は四球。決して派手な投球ではなかった。登板後、栗山監督が声をかける。涙する斎藤選手。これが全てではないのだろうか。ネットでは罵詈雑言を浴びていた。しかし引退が決まるとなると、ねぎらいの言葉でネットは溢れる。きっと彼にしか、そして彼の周りにしか分からない苦しみがあったように思う。それでもよくめげずに頑張ったと僕は思う。彼の努力は報われなかったのかもしれない。でもそれは野球に限った話である。第2の人生を歩む上で、その経験はかけがえのないものとなる。少なくとも、僕はそう信じている。

段々と目的地に近づいてきた。南平台は渋谷の中でも変わった場所であるように思う。渋谷といえばスクランブル交差点を思い浮かべる人が多いだろう。しかしながら南平台の雰囲気は少々異なる。静か。その言葉がよく似合う町である。道路は丁寧に舗装されており、どこか広さを感じ取ることができる。そんな町なのだ。渋谷と聞くとうるさいイメージや、外国人で溢れている印象があるかもしれない。でも探索すると、意外と違った特徴を感じ取ることが出来るのかもしれない。

エントランスに入る。最新のセキュリティが施されたこの家であれば、祖父母も安心して暮らすことができるだろう。部屋番号の入力し、チャイムを押す。洗練された空間にチャイムの音が響く。暫しの静寂。

祖母:「はい。」

衛宮:「衛宮です。」

たったこれだけのやり取り。それだけで、玄関の扉が開く。声というものは実に多くの情報を含んでいるものだと感心する。きらびやかなエントランスを抜け、エレベーターへ。3階というボタンを押し、気を静める。学生時代、坐禅を経験したことがある。鎌倉まで出向き、まずは色々とガイドの方が鎌倉について説明をする。そしてしばらくして、坐禅を享受してくださる方のもとへと出向く。各自座布団を下に敷き、準備に入る。坐禅において大切な要素は幾つかあるが、その中でも姿勢は特に重要である。決まったポーズを長い時間に渡って維持し続け、そしてその際に行う呼吸に意識を傾ける。これが坐禅の基本である。冒頭でも触れたが、様々な情報に溢れている現代において、心をリラックスする時間を取ることは困難を極める。ゆえに坐禅などの機会は貴重なものだと認識する。無の境地。そんな悟りを僕も開きたいものだ。

目的地に着く。ドアを開けて入室すると、いつも通り、祖父母の声が聞こえる。

祖父:「いらっしゃい。」

衛宮:「ども。今日は暑いね。」

祖母:「いらっしゃい。すいかでも食べる?」

衛宮:「そうだね。是非。」


#4 the monogatary | 快晴

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人は忘れる生き物だ。忘れることで、僕たちは前に進む事が出来る。それは人間に与えられた当然の権利である。

舞台は神奈川。僕は高校で、野球に励んでいる。今日は朝練だ。片道2時間かけ、ぼくは今日もグラウンドに足を運ぶ。

昨日の試合はボロ負け。控えの捕手として出場した第二試合。盗塁を刺せなかった。悔しい。本当に悔しい。

試合後は壮絶な筋トレ。腕立て・腹筋・背筋・ダッシュ・バービー。無理にでも笑うしかない。でも、これだから野球は辞められない。このノリがあるからこそ、ぼくは今日も今日とて練習に励む

神奈川にある僕の学校はとにかく臭い。近くに養豚場があり、その匂いが校舎にまで届く。広々としていて立地は良い。が、臭すぎる。困ったものだ。この学校を選んだ理由は色々とあるが、この匂いについては知らなかった。知っていたところで受験校を変えたかどうかは分からない。でも事前に知っておきたかった。

朝練を終え、身支度を整える。使っていた用具を部室に入れ、整理整頓をする。授業に間に合うように急いで着替える。忘れ物がないか確認し、グラウンドに一礼する。これがいつものルーティーンである。感謝の気持ちを忘れることなかれ。監督の言葉である。野球はスポーツであり、基本的には実力主義である。しかしそれ以上に、野球に携わる指導者には大きな使命がある。その使命とは、野球を通して周りの人々に感謝する習慣を身に着け、常日頃から誰かのために行動する癖をつけること。試合で勝つことだけが野球の全てではない。過酷なスポーツゆえ、周りの理解が必須なのである。ゆえに感謝の気持ちを持つこと。そしてその恩を返すこと。これに尽きる。授業に遅刻するなど、論外である。

クラスルームに到着する。いつも通り、この時間は多くの生徒でにぎわっている。

近藤:「おはよう。」

森泉:「おはよう。」

近藤:「今日もタッパー持ってきたか?」

森泉:「もちろん。野球部だからね。」

近藤:「感心感心。頑張って食えよ。」

森泉:「おう。」

野球部は最近、監督が代わった。球を遠くに飛ばすためにはパワーが必要である。ゆえによく食べること。それはどんな球児にとっても、喫緊の課題である。ゆえに新監督は部員に対しある命令を下した。それはタッパーを持参すること。タッパーの中身は基本的に米である。数多のふりかけを駆使し、僕は今日もその米を食さなければならない。大変な作業である。食べ過ぎると授業に響く。色々と難しいことだらけではあるが、命令が下されている以上、やるしかないのである。野球部の悲しき運命である。

チャイムの音が聞こえる。どうやら授業が始まるらしい。近藤と軽く別れを告げ、自身の席に着く。


#5 the monogatary | 成長

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あの男が帰ってくる。

思えば彼とは長い付き合いだ。色んな苦難を彼とは乗り越えてきた。共に流した汗があるからこそ、今の僕と彼の関係性があるのだと思う。良いライバルだと思う。

共に英語が堪能だった僕たちは、よく遊び、よく笑い、そしてよく励まし合った。そんな彼がインドネシアから帰ってくる。

僕は海外経験は豊富な方だと思うが、インドネシアへ行ったことはない。未知の国だ。彼はそこで何を学び、どんなことに苦労し、そして何を成し遂げるのか。

「ちょっとインドネシアに行ってくる。」

彼がそう僕に告げたのはつい最近の話だ。

「インドネシアかぁ~。どうしてインドネシアを選んだの?」

「一応インドネシアって、日本と同じアジアって分類だけどさ、中々謎が多い国だと思うんだよね。今所属しているサークルでそこに行ける機会があってね。せっかくだから行ってやろうと思った。」

「へぇ、サークルで。どんなサークルだっけ?」

「AIESECっていうサークルで、海外インターンを売りにしている団体だね。日本だけでなく海外にも多くの支部があって、今回はそのご縁で行く感じ。」

「インドネシアではどんなことするの?」

「向こうの高校で日本語だったり、日本の文化を教えてくる。受け入れ先が結構、語学教育に力を入れててさ。現地の高校で教員を務める予定なんだけど、俺の経験が彼らにとって意義あるものになれば良いなと思ってるよ。」

「まあ後藤は語学堪能だからな。性格も良いし、きっと役に立つよ。」

「そう言ってくれると嬉しいよ。」

それがインドネシアに旅立つ前、僕と彼が交わした言葉だった。


#6 the monogatary | 君と挑戦

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僕たちはいつだってチャレンジャーだ。そんな言葉を胸に、僕は今日もピッチに立つ。まだ見ぬ未来を信じて。

また夏が来た。激動の夏。期待の夏。秋と同じように、夏には様々な意味がある。暑さが好きな人も、嫌いな人も、この世の中には趣向が異なる様々な人が点在している。そんな中、僕は選んだのだとしみじみ思う。その選択は間違っていただろうか。間違っていたかもしれない。正しかったかもしれない。結局、いつだって答え合わせは未来にある。今を生きている僕たちにとって、そんなことは些細な事でしかないのだ。今を楽しむ。その時にしか出来ないことを追い求める。そんな小さな目標を胸に掲げて生きれば、いつだって道は開かれている。

僕は行く。まだ見ぬ道を。たとえその道が困難に満ち溢れていたとしても、僕は行く。怪我を負うこともあるだろう。挫折することもあるだろう。それでも、僕は未知なる獲物を追い求めて狩りに出る。それで良いのだと自分に言い聞かせて。

「おい佐々木、もう時間だぞ。」

そんな声が聞こえる。苦楽を共にした仲間の声。一緒に飯を囲んだ友人と共に、僕は前に進む。

佐々木:「悪い悪い、緊張しちゃって。いつぶりか、こんな緊張するのは。だいぶ久しぶりな気がする。」

小田:「まあな、だって200校以上が集う大会だぜ。みんな緊張しているぜ、たぶん。」

佐々木:「だよな。いや~、それにしてもいつ以来の大会だ。コロナで去年はどの大会も中々開催できなかったし。本当、奇跡的に開催できた大会だな。」

小田:「だな。でもキャプテンにそんな日和られると困るぜ。俺たちの隊長にはシャキッとしてほしいな。頼りにしてるぜ、キャプテン。」

佐々木:「そうだな。この大会を悔いのないものにしよう。俺たちならできる。きっと。」

さあ、伝説の幕開けだ。の威勢の良い音と共に、僕たち家族は今日も踊る。


#7 the monogatary | 渋谷にて

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今日も今日とてラジオ体操。それが僕たちの日課だった。

渋谷にて様々な個性的な公園が存在する。その中でも西郷山公園はとりきわ目立つ。僕たちはその場所を目指して毎日歩く。中々の距離だ。でもめげない。それが僕たちに課せられたルールであり、宿命なのだ。

1996年12月30日。僕は産まれる。まだ当時小さかった僕は、それはそれはわんぱくな子供だった。両親や祖父母の寵愛を受けた自分はすくすくと育つ。2年後には妹が産まれる。当時の記憶は基本的に無いのだが、僕たち兄弟はきっと大切に育てられたのだろう。父親の仕事の都合で、様々な場所を転々とする。そんな中でも、僕たち兄弟のわんぱくさは消えることなく、時には大いに両親を苦しめながら、日々を歩んでいく。

そんな日々の中、僕たち兄弟はよく祖父母と一緒にラジオ体操を行った。ラジオ体操。日本独特の文化であるように思う。昭和3年に天皇陛下即位の大礼を記念して作られたラジオ体操。その歴史は古く、当初は国民の健康保持推進を目的として実施されたラジオ体操は、今でも多くの国民に愛されている。中でも祖父母はその熱狂的なファンである。祖父母はそれぞれ特徴的な個性を持つ。例えば祖父は根っからの冗談好きだ。例えば宮沢賢治。彼はその生涯において、『雨ニモマケズ』という作品を残している。日本人ならば誰しも1度は耳にしたことがあるであろう。そんな作品を、祖父は朗読することを好む。隙あらば朗読。そんな頭がテカテカしている祖父。子供からの評価は絶大である。

では祖母はどうだろうか。祖母は料理のエキスパートである。祖父母の朝は早い。ラジオ体操をしている時点でお気付きの人もいるだろう。早朝、もしくは深夜に目を覚ます彼らは、起床後すぐに軽いストレッチを行う。その後、軽く水分補給を行い、散歩に備える。ラジオを携えて。雨にも負けず、風にも負けず、基本的に祖父母はどんな時でも西郷山公園に足を運ぶ。

実は祖母の方が足が速い。というのも祖父はパーキンソン病を患っている。ゆえに足元がおぼつかないのである。祖母も膵臓がんを患っているが、その病状はまだ初期。全然歩けるのである。そんな祖父母を背に、僕たち兄弟は歩く。暗い夜道。街頭が足元を照らし、カラスが朝を告げる。静まり返った空気は僕たちに朝の訪れを知らせ、その空間には僕たちの足音とラジオの声が充満する。祖父母は根っからのNHK好きである。中でも囲碁を嗜む彼らにとって、お昼の時間は貴重である。対局をじっと見つめながら、お互い意見を出し合う。そしてたまに対局を行いながら、日々をゆったりと過ごす。それが祖父母のルーティーンである。

西郷山公園に着く。まだ早朝であるにも関わらず、公園にはたくさんの人々。通常、ラジオ体操第1は6:30から。多くの人がラジオを片手に、準備運動を行っている。その例に漏れず、僕たちも辺りに散り、準備運動を行う。まだ時間はある。祖父母は日頃からの知り合いと談笑を行い、僕たち兄弟はそれを遠くから見つめる。たまに声をかけられることがある。その時は祖父母に近寄り、軽く挨拶する。普段は学校があるので、中々に珍しい機会である。

そうして、時が来る。ラジオ体操の時間である。その威勢の良い音と共に、僕たち家族は今日も踊る。


#8 the monogatary | バス停にて

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明日、家出する。その決断に至るまで、様々な困難があった。決して楽な道のりではなかった。これまでも、そしてこれからも。でも決めたことは曲げない。それが僕の性格である。

高校時代、忘れられない授業がある。それは倫理の授業における一幕。アイデンティティについて考える授業だった。私の存在とは何か。そんな問いに対して、生徒が向き合う。ある人は発表を通じて。ある人はレポートを通じて。

倫理の先生はとても魅力的だった。自由な先生だった。その人自身の生き様がそうであったように。僕はそんな彼女の性格に惹かれた。この人になら、このクラスになら、打ち明けても良いのではなかろうか。そんな気持ちにさせられた。

授業は進行していく。自分は発表することに決めていた。大まかな流れを考える。これで良いのか。そんな疑問を友人に投げかける。「安斎らしいじゃん。」そんな答えが返ってくる。馬場とは家が近く、学校の帰り道によく話し込んだ。お互い電車通学で、多くの時間を電車で過ごした。共に通学に使っていたのは小田急線。中高の最寄りである湘南台から新宿までの距離を2人で過ごす。

安斎:「最近、どう?」

馬場:「最近って何だよ。順調だよ順調。たまにtwitterとかで愚痴るけど。」

安斎:「何かクラスで話題になってたよ。馬場がデビル化しているって。」

馬場:「まあそうかもしれない。まあ誰しも愚痴の1つや2つぐらいあるだろ。ましてやキャプテンだぞ。色々あるのよ。」

安斎:「キャプテンは大変だな。俺もキャプテンになりたかったよ。」

馬場:「安斎キャプテンか。良い響きだ。」

安斎:「本気?」

馬場:「もちろん冗談。」

安斎:「だよな。もっと俺に実力があれば。」

馬場:「野球部は色々と大変だろ。務めているだけで立派よ。」

安斎:「そうかも。」

中央林間駅に着く。神奈川に本拠地を置く当校では、この駅で降りる生徒が多い。多くの生徒が降りていく。その様子を、遠目から眺める。

安斎:「倫理の授業って面白いね。」

馬場:「だな。ってか先生が自由だよな。授業中、草原に寝そべることになるとは。おかげで色々と発散できたけどな。模範通りの生徒でいることは辛いからな。」

安斎:「馬場は成績優秀だからな。それに比べて俺は。中学までは良かったのに。」

馬場:「部活も大事だが、学業も大事だぞ。危機感を持たないと。」

安斎:「おっしゃる通りです。気を付けます。」

相模大野駅に着く。ここも中央林間駅と同様に、乗換が激しい。次々と人が降りていく。ここまででもかなりの時間を要する。

安斎:「新宿までは遠いな。」

馬場:「本当にな。もっと近い場所に住みたいものだぜ。」

安斎:「だな。出来れば寮暮らしをしたいものだぜ。」

馬場:「反対されてるんだっけ。」

安斎:「うん。「うちは貧乏だからそんなお金はありません。」って断られた。」

馬場:「ならしょうがないじゃん。」

いつも通り、その時々で思いついた言葉を口に出す。新宿まではまだ遠い。電車に揺られながら、色々と意見交換を行う。いつも通りの日常。いつも通りの会話。そんな毎日を大切にしながら、今日も僕は生きている。様々な困難を抱えながら。

安斎:「俺、発表しようと思う。」

馬場:「何の話?」

安斎:「いや、倫理の話よ。そろそろ発表しないとまずいだろ。発表しないとレポートだぜ。レポート出すぐらいなら、俺は発表する。」

馬場:「そりゃそうだ。まあ俺はレポートにするけどな。俺って根暗だし。」

安斎:「意外。馬場は発表するタイプだと思った。」

馬場:「そりゃ何か良いトピックがあったらな。色々と考えたけど、レポートが性に合うんよ。」

安斎:「なるほど。」

馬場:「で、安斎はどんな発表をするん?」

安斎:「う~ん、色々と考えているんだけど。今回の発表ではタブーについて触れようかな。」

馬場:「タブー?家族関係ってこと?」

安斎:「そう。」

馬場:「へぇ~、面白そうじゃん。」

安斎:「内容が内容だからな。なるべく明るく話そうと思ってる。どうかな?」

馬場:「安斎がそうしたいなら、そうしたら良いと思うよ。応援する。」

安斎:「そっか、ありがとう。」

馬場はいつだって俺を応援してくれる。応援されたのなら、成すべきことは決まっている。必ず成功させる。俺はその日を境に、倫理のプレゼンを成功させるべく、特訓を開始した。

成功の鍵は何か。それは堂々と話すこと。そこに尽きる。既に、倫理の授業では何人かが発表を行っていた。評判が良い発表者は、いつだって堂々としていた。これを参考にしよう。資料は準備するか。不要だろう。俺の声で勝負したい。声で勝負するなら、情報に限りがある。声を通じて100%の情報を伝えるのであれば、練習あるのみ。そう信じて、俺は自宅で特訓を開始した。

話の流れはどうする?先述した通り、俺の発表内容は極めて暗いものになる。ゆえに声のトーンが重要である。リスナーが満足する内容に仕上げるためには、いかに暗い内容を明るく話すことが出来るのか。そこが大切である。幸い、手にはスマホ。これで録音できる。約15分間の発表。長いようで、短い時間。その時間に全身全霊をかける。そう覚悟を決め、とにかく時間ある限り、練習を繰り返した。

さあ、いよいよ本番だ。幸い、くじ引きの結果、順番は最後。内容が内容だけに、その順番は幸運だった。安藤や三輪の発表に耳を傾ける。心臓が鼓動する。順番が近付く。ドキドキする。この高まりはいつ以来だろう。今日の発表が人生を変える。そう信じて、自分の出番を待つ。

拍手が鳴り響く。いよいよ自分の番だ。意を決して立ち上がる。先生は再度、録音機器を準備する。教壇の上に立つ。手には今日の流れを書いたメモ。そして目の前には大勢の生徒。暫しの沈黙。

「発表を始める前に、皆さんにお願いしたいことがあります。それは今から僕が話す内容を、ここだけの秘密にしていただきたいのです。今から僕が話す内容は暗いものです。また誰かを傷付ける内容になるかもしれません。今まで僕が大事に、胸の奥に秘めていた想いを、今日この場で発表したいと思います。」

すると先生が口を開く。

「皆さん、安斎さんとの約束を守れますか?」

そう先生が問いかけると、周りの生徒はOKのサイン。準備は整った。

「では今から俺の超デリシャスハイパーデンジャラスかつ根暗な妹について話すぜ!」

そう告げると、普段のキャラゆえなのだろう。周りは爆笑の渦に包まれた。

「みんな、ニコニコ動画って知ってるか?ニコニコ動画を知ってる奴なら分かるだろう。俺の妹はオタクって奴だ。帰宅すればいつだってATフィールドを張りながら、配信してやがる。生憎、俺はその様子を一度も見たことが無い。が、しかし。妹はニコニコ動画の中では著名人らしい。彼氏も大体ニコニコ動画を通じて知り合っている。本当にクレイジーな奴。それが俺の妹だ。」

普段とは違うテンション。寡黙なイメージを壊し、プレゼンを続ける。

「そんな妹には秘密がある。それはリストカットだ。僕の妹は絶えずリストカットを繰り返している。その手には無数の傷跡が残っている。どれも痛々しく、とても凝視することはできない。少なくとも、僕には出来ない。僕と妹は良好な関係を築いていると思う。しかし良好な関係を築いてもなお、妹には秘めている悩みがあり、その悩みが妹をリストカットへと導ている。それは何故か。その訳を、この発表で明かすことにする。」

突然の話題転換。空気が一変する。俺のクラスメイトは全員エリートだ。そんなエリートが普段目にしないであろう惨劇を、俺は徐々に明かしていく。

「中二の時、僕の親父が家出した。そのきっかけは至るところに広がっていたように思う。しかし当時非力であった自分は、その行動を止めることが出来なかった。当時の自分にとって、自宅は戦場であり、墓場であり、また地獄でもあった。一度帰宅すれば、何かしらの争いが起きており、俺はその争いを止めようと動く。がしかし、それは愚かな行為で、その行動を取った途端、標的は僕に変わる。母親から浴びせられる暴言の数々。そして合間に受ける虐待。正気では無い。そんな周知の事実に皆気付きながら、母親の暴走を止めることができない。僕の産まれた場所はそんな家庭であり、ゆえに父親は逃げた。」

初めて明かす真実。沈黙が辺りを支配する。そんな中でも、カメラの瞳は僕から目を反らさない。

「父親が去ってからの日々も、変わることは無かった。父親との戦争が終われば、次に待ち受けていたのは母親と妹の修羅場だった。自宅に帰れば、母親が俺に泣きつく。目の前にはガラスの破片やボールペン、はさみ。凶器として扱われた道具の数々。僕は思わずトイレに隠れる。鳴りやまぬ母親の悲鳴。僕にとっての普通の日々は、そんな世界の上に成り立っていた。」

笑顔を浮かべながら、話をする。中々に慣れない作業。でも、この発表が何かを変えるきっかけになるかもしれない。そう信じて、僕は話を続ける。

「苦楽の日々は、また新たな災難を僕に投げかける。それは中三の冬だった。当時仲の良かった小松と一緒に自宅付近で自主トレをしている最中に、その訃報は届いた。母親に呼び出され、車に乗り込む。またしても母親は普通の状態では無かった。エンジン音が鳴り響く。そんな時間を暫く過ごした後、着いたのは病院の一室。目の前には伯父や祖父。祖父は泣いていた。伯父から事実を告げられる。祖母が自殺したのだ。」


#9 the monogatary | 忘れられない

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障害者である僕にとっての幸せって何だろう。そんなことを考える。障害者手帳を取得した。きっかけは入院。歩行困難に陥ってしまった。約1ヶ月入院した。入院生活は楽しかった。快適な生活だった。しかし当時学生だった自分にとって入院は予期せぬ出来事であった。ゆえに早期退院を目指した。主治医曰く、もう少し入院した方が良かったらしい。しかし決めたことは変わらない。幸い、ある程度歩行できる状態にはなっていた。ゆえに名残惜しくはあるが、僕は退院することにした。

激動の学生生活。僕の学生生活は地獄だ。通院を繰り返し、服薬し、自らの症状は周りに隠した状態で学生生活を送る。それがどれほど大変なことか、当時の自分は知らなかった。時には教授に叱られることも多々あった。カウンセリングを受けながら、そんな危機を脱していく。そんな毎日。楽しみなど何もない。そんな生活。


#10 the monogatary | 終電

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息を吐く。息を吸う。人は繰り返す。

またやってしまった。終電を逃した。新宿駅で電車を降り、母親に連絡する。

「ごめん、終電逃した。迎えに来てくれない?」

そんなメールを書き、送信する。母親は来るだろうか。きっと来るだろう。明日は朝練。

「はぁ~~~。」

息がこぼれる。とりあえず母親が迎えに来るまで、この場所で待機するしかない。


着信音が鳴る。母親からだ。

「俊!何やってるの!いつも終電逃して!」

「ごめん母さん。悪いと思ってる。」

「とにかく今から向かうから!」

通話終了。幸い、まだ母親は起きていた。ラッキーだ。

「さて、それまでどう時間を過ごそうか。」