見出し画像

#8 the monogatary | バス停にて

前回はこちら▼

明日、家出する。その決断に至るまで、様々な困難があった。決して楽な道のりではなかった。これまでも、そしてこれからも。でも決めたことは曲げない。それが僕の性格である。

高校時代、忘れられない授業がある。それは倫理の授業における一幕。アイデンティティについて考える授業だった。私の存在とは何か。そんな問いに対して、生徒が向き合う。ある人は発表を通じて。ある人はレポートを通じて。

倫理の先生はとても魅力的だった。自由な先生だった。その人自身の生き様がそうであったように。僕はそんな彼女の性格に惹かれた。この人になら、このクラスになら、打ち明けても良いのではなかろうか。そんな気持ちにさせられた。

授業は進行していく。自分は発表することに決めていた。大まかな流れを考える。これで良いのか。そんな疑問を友人に投げかける。「安斎らしいじゃん。」そんな答えが返ってくる。馬場とは家が近く、学校の帰り道によく話し込んだ。お互い電車通学で、多くの時間を電車で過ごした。共に通学に使っていたのは小田急線。中高の最寄りである湘南台から新宿までの距離を2人で過ごす。

安斎:「最近、どう?」

馬場:「最近って何だよ。順調だよ順調。たまにtwitterとかで愚痴るけど。」

安斎:「何かクラスで話題になってたよ。馬場がデビル化しているって。」

馬場:「まあそうかもしれない。まあ誰しも愚痴の1つや2つぐらいあるだろ。ましてやキャプテンだぞ。色々あるのよ。」

安斎:「キャプテンは大変だな。俺もキャプテンになりたかったよ。」

馬場:「安斎キャプテンか。良い響きだ。」

安斎:「本気?」

馬場:「もちろん冗談。」

安斎:「だよな。もっと俺に実力があれば。」

馬場:「野球部は色々と大変だろ。務めているだけで立派よ。」

安斎:「そうかも。」

中央林間駅に着く。神奈川に本拠地を置く当校では、この駅で降りる生徒が多い。多くの生徒が降りていく。その様子を、遠目から眺める。

安斎:「倫理の授業って面白いね。」

馬場:「だな。ってか先生が自由だよな。授業中、草原に寝そべることになるとは。おかげで色々と発散できたけどな。模範通りの生徒でいることは辛いからな。」

安斎:「馬場は成績優秀だからな。それに比べて俺は。中学までは良かったのに。」

馬場:「部活も大事だが、学業も大事だぞ。危機感を持たないと。」

安斎:「おっしゃる通りです。気を付けます。」

相模大野駅に着く。ここも中央林間駅と同様に、乗換が激しい。次々と人が降りていく。ここまででもかなりの時間を要する。

安斎:「新宿までは遠いな。」

馬場:「本当にな。もっと近い場所に住みたいものだぜ。」

安斎:「だな。出来れば寮暮らしをしたいものだぜ。」

馬場:「反対されてるんだっけ。」

安斎:「うん。「うちは貧乏だからそんなお金はありません。」って断られた。」

馬場:「ならしょうがないじゃん。」

いつも通り、その時々で思いついた言葉を口に出す。新宿まではまだ遠い。電車に揺られながら、色々と意見交換を行う。いつも通りの日常。いつも通りの会話。そんな毎日を大切にしながら、今日も僕は生きている。様々な困難を抱えながら。

安斎:「俺、発表しようと思う。」

馬場:「何の話?」

安斎:「いや、倫理の話よ。そろそろ発表しないとまずいだろ。発表しないとレポートだぜ。レポート出すぐらいなら、俺は発表する。」

馬場:「そりゃそうだ。まあ俺はレポートにするけどな。俺って根暗だし。」

安斎:「意外。馬場は発表するタイプだと思った。」

馬場:「そりゃ何か良いトピックがあったらな。色々と考えたけど、レポートが性に合うんよ。」

安斎:「なるほど。」

馬場:「で、安斎はどんな発表をするん?」

安斎:「う~ん、色々と考えているんだけど。今回の発表ではタブーについて触れようかな。」

馬場:「タブー?家族関係ってこと?」

安斎:「そう。」

馬場:「へぇ~、面白そうじゃん。」

安斎:「内容が内容だからな。なるべく明るく話そうと思ってる。どうかな?」

馬場:「安斎がそうしたいなら、そうしたら良いと思うよ。応援する。」

安斎:「そっか、ありがとう。」

馬場はいつだって俺を応援してくれる。応援されたのなら、成すべきことは決まっている。必ず成功させる。俺はその日を境に、倫理のプレゼンを成功させるべく、特訓を開始した。

成功の鍵は何か。それは堂々と話すこと。そこに尽きる。既に、倫理の授業では何人かが発表を行っていた。評判が良い発表者は、いつだって堂々としていた。これを参考にしよう。資料は準備するか。不要だろう。俺の声で勝負したい。声で勝負するなら、情報に限りがある。声を通じて100%の情報を伝えるのであれば、練習あるのみ。そう信じて、俺は自宅で特訓を開始した。

話の流れはどうする?先述した通り、俺の発表内容は極めて暗いものになる。ゆえに声のトーンが重要である。リスナーが満足する内容に仕上げるためには、いかに暗い内容を明るく話すことが出来るのか。そこが大切である。幸い、手にはスマホ。これで録音できる。約15分間の発表。長いようで、短い時間。その時間に全身全霊をかける。そう覚悟を決め、とにかく時間ある限り、練習を繰り返した。

さあ、いよいよ本番だ。幸い、くじ引きの結果、順番は最後。内容が内容だけに、その順番は幸運だった。安藤や三輪の発表に耳を傾ける。心臓が鼓動する。順番が近付く。ドキドキする。この高まりはいつ以来だろう。今日の発表が人生を変える。そう信じて、自分の出番を待つ。

拍手が鳴り響く。いよいよ自分の番だ。意を決して立ち上がる。先生は再度、録音機器を準備する。教壇の上に立つ。手には今日の流れを書いたメモ。そして目の前には大勢の生徒。暫しの沈黙。

「発表を始める前に、皆さんにお願いしたいことがあります。それは今から僕が話す内容を、ここだけの秘密にしていただきたいのです。今から僕が話す内容は暗いものです。また誰かを傷付ける内容になるかもしれません。今まで僕が大事に、胸の奥に秘めていた想いを、今日この場で発表したいと思います。」

すると先生が口を開く。

「皆さん、安斎さんとの約束を守れますか?」

そう先生が問いかけると、周りの生徒はOKのサイン。準備は整った。

「では今から俺の超デリシャスハイパーデンジャラスかつ根暗な妹について話すぜ!」

そう告げると、普段のキャラゆえなのだろう。周りは爆笑の渦に包まれた。

「みんな、ニコニコ動画って知ってるか?ニコニコ動画を知ってる奴なら分かるだろう。俺の妹はオタクって奴だ。帰宅すればいつだってATフィールドを張りながら、配信してやがる。生憎、俺はその様子を一度も見たことが無い。が、しかし。妹はニコニコ動画の中では著名人らしい。彼氏も大体ニコニコ動画を通じて知り合っている。本当にクレイジーな奴。それが俺の妹だ。」

普段とは違うテンション。寡黙なイメージを壊し、プレゼンを続ける。

「そんな妹には秘密がある。それはリストカットだ。僕の妹は絶えずリストカットを繰り返している。その手には無数の傷跡が残っている。どれも痛々しく、とても凝視することはできない。少なくとも、僕には出来ない。僕と妹は良好な関係を築いていると思う。しかし良好な関係を築いてもなお、妹には秘めている悩みがあり、その悩みが妹をリストカットへと導ている。それは何故か。その訳を、この発表で明かすことにする。」

突然の話題転換。空気が一変する。俺のクラスメイトは全員エリートだ。そんなエリートが普段目にしないであろう惨劇を、俺は徐々に明かしていく。

「中二の時、僕の親父が家出した。そのきっかけは至るところに広がっていたように思う。しかし当時非力であった自分は、その行動を止めることが出来なかった。当時の自分にとって、自宅は戦場であり、墓場であり、また地獄でもあった。一度帰宅すれば、何かしらの争いが起きており、俺はその争いを止めようと動く。がしかし、それは愚かな行為で、その行動を取った途端、標的は僕に変わる。母親から浴びせられる暴言の数々。そして合間に受ける虐待。正気では無い。そんな周知の事実に皆気付きながら、母親の暴走を止めることができない。僕の産まれた場所はそんな家庭であり、ゆえに父親は逃げた。」

初めて明かす真実。沈黙が辺りを支配する。そんな中でも、カメラの瞳は僕から目を反らさない。

「父親が去ってからの日々も、変わることは無かった。父親との戦争が終われば、次に待ち受けていたのは母親と妹の修羅場だった。自宅に帰れば、母親が俺に泣きつく。目の前にはガラスの破片やボールペン、はさみ。凶器として扱われた道具の数々。僕は思わずトイレに隠れる。鳴りやまぬ母親の悲鳴。僕にとっての普通の日々は、そんな世界の上に成り立っていた。」

笑顔を浮かべながら、話をする。中々に慣れない作業。でも、この発表が何かを変えるきっかけになるかもしれない。そう信じて、僕は話を続ける。

「苦楽の日々は、また新たな災難を僕に投げかける。それは中三の冬だった。当時仲の良かった小松と一緒に自宅付近で自主トレをしている最中に、その訃報は届いた。母親に呼び出され、車に乗り込む。またしても母親は普通の状態では無かった。エンジン音が鳴り響く。そんな時間を暫く過ごした後、着いたのは病院の一室。目の前には伯父や祖父。祖父は泣いていた。伯父から事実を告げられる。祖母が自殺したのだ。」