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#7 the monogatary | 渋谷にて

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今日も今日とてラジオ体操。それが僕たちの日課だった。

渋谷にて様々な個性的な公園が存在する。その中でも西郷山公園はとりきわ目立つ。僕たちはその場所を目指して毎日歩く。中々の距離だ。でもめげない。それが僕たちに課せられたルールであり、宿命なのだ。

1996年12月30日。僕は産まれる。まだ当時小さかった僕は、それはそれはわんぱくな子供だった。両親や祖父母の寵愛を受けた自分はすくすくと育つ。2年後には妹が産まれる。当時の記憶は基本的に無いのだが、僕たち兄弟はきっと大切に育てられたのだろう。父親の仕事の都合で、様々な場所を転々とする。そんな中でも、僕たち兄弟のわんぱくさは消えることなく、時には大いに両親を苦しめながら、日々を歩んでいく。

そんな日々の中、僕たち兄弟はよく祖父母と一緒にラジオ体操を行った。ラジオ体操。日本独特の文化であるように思う。昭和3年に天皇陛下即位の大礼を記念して作られたラジオ体操。その歴史は古く、当初は国民の健康保持推進を目的として実施されたラジオ体操は、今でも多くの国民に愛されている。中でも祖父母はその熱狂的なファンである。祖父母はそれぞれ特徴的な個性を持つ。例えば祖父は根っからの冗談好きだ。例えば宮沢賢治。彼はその生涯において、『雨ニモマケズ』という作品を残している。日本人ならば誰しも1度は耳にしたことがあるであろう。そんな作品を、祖父は朗読することを好む。隙あらば朗読。そんな頭がテカテカしている祖父。子供からの評価は絶大である。

では祖母はどうだろうか。祖母は料理のエキスパートである。祖父母の朝は早い。ラジオ体操をしている時点でお気付きの人もいるだろう。早朝、もしくは深夜に目を覚ます彼らは、起床後すぐに軽いストレッチを行う。その後、軽く水分補給を行い、散歩に備える。ラジオを携えて。雨にも負けず、風にも負けず、基本的に祖父母はどんな時でも西郷山公園に足を運ぶ。

実は祖母の方が足が速い。というのも祖父はパーキンソン病を患っている。ゆえに足元がおぼつかないのである。祖母も膵臓がんを患っているが、その病状はまだ初期。全然歩けるのである。そんな祖父母を背に、僕たち兄弟は歩く。暗い夜道。街頭が足元を照らし、カラスが朝を告げる。静まり返った空気は僕たちに朝の訪れを知らせ、その空間には僕たちの足音とラジオの声が充満する。祖父母は根っからのNHK好きである。中でも囲碁を嗜む彼らにとって、お昼の時間は貴重である。対局をじっと見つめながら、お互い意見を出し合う。そしてたまに対局を行いながら、日々をゆったりと過ごす。それが祖父母のルーティーンである。

西郷山公園に着く。まだ早朝であるにも関わらず、公園にはたくさんの人々。通常、ラジオ体操第1は6:30から。多くの人がラジオを片手に、準備運動を行っている。その例に漏れず、僕たちも辺りに散り、準備運動を行う。まだ時間はある。祖父母は日頃からの知り合いと談笑を行い、僕たち兄弟はそれを遠くから見つめる。たまに声をかけられることがある。その時は祖父母に近寄り、軽く挨拶する。普段は学校があるので、中々に珍しい機会である。

そうして、時が来る。ラジオ体操の時間である。その威勢の良い音と共に、僕たち家族は今日も踊る。