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学校の校則・ルール 記事まとめ

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学校の校則やルールづくりにまつわるアイデアやレポート、エッセイなどをまとめるnote公式マガジンです。
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2021年10月の記事一覧

制服のベストが短かったから

高校時代に「今日はカバンの中身の抜き打ちチェックをします」と言われると「めんどくさいなー、何でそんなことするんだろう」と思いながらカバンの中が整理ができていないことを心配していた記憶があります。 私が今「あなたは校則を守るタイプ、それとも守らないタイプ」と聞かれたら、即座に「守るタイプ」と答えます。 前髪の長さやスカートの長さ、靴下の色や履き方などで先生から注意を受けたことがありません。生徒手帳に書かれていることを真面目に守るタイプでした。 私は、規制された枠の中で、が

いかにルールを減らせるか

 「生徒手帳っているのかな?」  僕は中学生の時こんなことを考えたことがあった。そもそも中学生になって突然現れた『生徒手帳』にはびっしりとルールが書き込まれていた。  「先生。何で白い靴じゃないとあかんの?」  中学1年の時に担任の先生に聞いてみた。大して納得の行く答えは返ってこなかった。他の先生にも色々と聞いてみたがあんまり納得の行く答えが返って来ない。  世の中がお洒落だと言う反町隆史はシャツのボタンをどんどん開けていても、中学生は第一ボタンまで閉めないといけない

1. あえて今、「校則がない」と言われる学校に通っていた話をする #みらいの校則

序章また新しいシリーズを(前のシリーズ書き終えてないのに)始めようと思う。しかも明日からまた新しいシリーズを始める予定なのに今日も始めてしまう(笑)。 日記ばかり書いていたらアクセス数があまりにも落ち込んでしまったのが少しだけショックだったので。。書く時間を曜日ごと決めたりして頑張ってみよう〜〜っと。 * お題投稿第1弾今日から始めるのは「#みらいの校則」というお題投稿だ。 第1弾はタイトルの通り、「あえて今、『校則がない』と言われる学校に通っていた話をする」という中身

未来の校則は《自律の歴史書》 (エッセイ)

 制服は一応あるけれど、私服で通学しても「お咎め」はない、という高校に3年通った。生徒手帳にあったのかどうなのか、「校則」箇所を読んだことのある生徒は身近にいなかった。  ただ、噂では、校則はひとつだけ存在し、「下駄通学禁止」だとのこと。「禁止」と言われるとやりたくなるのは人の常で、ある日、裸足に下駄で通学した。  いつものように遅刻して既に1時間目が始まっていたこともあり、油の塗られた木製の廊下を歩く私の足音は、とてつもなく大きく響き渡り、何事かと教室から顔を出す先生や生徒

【#みらいの校則】自分たちの手で「こねこね」する

ひそかにずっと注目していた、NPOカタリバの「みんなのルールメイキングプロジェクト」。 中学時代の少し苦い思い出とともに、今はどうかなと母校に思いを馳せます。 「校則がない自由な学校です」小6の冬、中学校見学に行った時に言われたこの一言を今でも覚えています。寒い中、体育館の床からおしりを伝って感じる冷たさまで思い出せます。 そっか、自由な学校なんだ。いいな。 実際、入学したら校則はありませんでした。校則がびっしり書かれた生徒手帳なんてものはなくて、代わりに紙ペラ一枚の

破る校則、生きる校則

私が高校生だった頃、校則は恐ろしいものであり、バカバカしく意味のないものだった。まだ経験値の低い15歳の私には ”なんでよ、バカじゃねーの?” と思えた校則が生徒たちの話題に上る時は大抵が文句だった。 髪の毛は肩にかかってはいけない。 靴下は白でなくてはいけない。 廊下を走ってはいけない。 リップクリームは色がついていないものでなければいけない。 理由があってこんな校則があったのだろうから、きちんと説明して生徒たちに納得してもらえばよかったのに、と今でも思う。”して

「教育を変える」ためには、まずは「ランドセルをやめてみる」のは、どうでしょうか?

 もう随分と昔になるけれど、テレビを見ていて、教育に関して、印象的な言葉を聞いたのを覚えている。 なつかしいは、おかしい 「ニッポンのジレンマ」という番組で、教育の専門家(すみませんが、誰だか忘れました)が、こんな事を話した。  学校へ行くと、みなさん、誰もがなつかしい、と言いますよね。だけど、それは、考えたらおかしいんです。もう随分と時間が経っているのに、変わっていないという事ですから。  近所の高校が文化祭を行い、バザーや美術部の展示を見に行きたくて、高校の教室を見

進学校かどうかは関係ありません

昨年から、校則の見直しについて世間の関心が特に高まっています。 それは、ツーブロックや地毛証明の提出など、時代にそぐわない校則へのネガティブな文脈がほとんどで「ブラック校則」と呼ばれることもあります。 社会全体で多様性への配慮や主体性の尊重が求められる中で、不必要かつ強制的に同一性を求めるものや児童生徒に校則の必要性を説明できないものについては、早急に見直すべきであることは説明を要しません。 ただ、この問題に関しては、旧態依然の学校の体質にのみ原因があると捉えて、学校だけを

もしも、わたしが校長先生になったら

少しばかりの夢や希望を抱いて、受験競争を勝ち抜いて入学。やっとの思いで入った学校なのに、そこで手にした『校則』の書かれた小さな手帳。 いろんなことを学んで、自律したい、自由を手にいれたいと思っていたのに、最初に渡されたものが、自分をみんなと一緒という枠に押し込み、監視するための規則なんて、大人たちのやることは想像力が無さすぎる。 そんなことを思いながら、胸ポケットに自己監視機能を持つ『校則』を突っ込んで12年を過ごした。 本当はそんな『校則』の書かれた手帳なんて持ってい

北海道で群馬を流行らせた千葉先生と、人間になった野ザルたち

先日、たべっ子どうぶつのビスケットで遊び倒していた私。 パッケージ裏のイベントに翻弄されたり、知らなかった動物の英語表記を学んだり、新しい英単語を作って新生物を生み出したり、それはそれはとても有意義な時間だった。 このように、と言うにはちょっと遊びすぎたかもしれないが、遊びと学びは合体するととてもよい。 「遊び」という楽しい記憶とともに「学び」を得ることができる。 その面白さ、興味深さが学びの吸収率を上げているのだと思う。 たべっ子どうぶつで遊ばなければ、私はヤマアラシとい

クラス分けなんてなければいいのに

タイトルは、私が不登校だった学生時代によく考えていたことです。 私はとにかく、「2年A組の教室」に行きたくなかったのです。 中学校時代、同じ学級の友人グループとの不和がきっかけで不登校になった私は、今で言う「適応指導教室」「情緒クラス」のような場所に登校していました。 それは、「出席日数」のためです。 その教室の中で友人関係も出来たし、自分の空きコマを使って授業をしに来てくれる先生方の存在はとてもありがたく、私は中学2年の秋から卒業までのほとんどをそこで過ごしました。

校則あれこれ

少し前から始まっていた、「みらいの校則」のお題。 このお題を見た瞬間に、青森の某中学校の校則を思い出しました。 今の世代には考えられないことかもしれませんが、私の通っていた中学校・高校(青森)では、四半世紀経って振り返ってみても、意味不明な校則が数多くありましたっけ。 1.男子は丸坊主必須、女子は髪の毛が肩についたら必ず縛る後者は、まあ分かります。髪の毛が長いと、縛らないと邪魔ですしね。 ですが、男子の丸坊主は女子生徒から見ても、本当に気の毒でした。 丸坊主にするメリット

その制服僕たちが作ったんだ。

私の通っていた高校は、制服が独特です。 学ランなんだけど、なんか違う。柄が入っている。 セイラー服でもない。ブレザーでもない。セーラーブレザー。さらに、ズボンもある。 私の高校は、以前は、私服だったらしいです。しかし、制服導入が検討され、生徒会が中心となって、制服を考えたという歴史があります。だからこそ、自由度が高いです。生徒主体にいろいろなことをやらせてくれます。でも、最近すごく締め付けがあるように感じます。スカート丈は厳しくなりました。本当にこれでいいんでしょうか。

ジュースは甘くて美味しいから、モラルを崩壊させるかもしれない

そんなに校則って苦しかった? ここ数年、校則がブラックだとか、画一的だとか、人権問題だとか、とても話題になっている。少し前のクロ現でも取り上げられていた。 校則のせいで苦しい思いをしているよね? 理不尽に感じているよね? もっと自由でいたいよね? 中高時代の私は、そんなことを言われても全くピンとこなかったはずだ。たぶん私に限らず多くの中高生は、大人なんかよりもずっと、ルールとの付き合い方を知っているのではと思う。 学校指定ジャージ、脱法ジャージ、非合法ジャージ 私の通っ