クラス分けなんてなければいいのに

タイトルは、私が不登校だった学生時代によく考えていたことです。
私はとにかく、「2年A組の教室」に行きたくなかったのです。

中学校時代、同じ学級の友人グループとの不和がきっかけで不登校になった私は、今で言う「適応指導教室」「情緒クラス」のような場所に登校していました。

それは、「出席日数」のためです。

その教室の中で友人関係も出来たし、自分の空きコマを使って授業をしに来てくれる先生方の存在はとてもありがたく、私は中学2年の秋から卒業までのほとんどをそこで過ごしました。

この教室には、不登校だったけれど出席日数のために登校している、もしくは進学のために少しでも勉強したいという目的がある生徒が通っていました。

私は進学を目指していたので、先生がきた時はここぞとばかりにわからない問題に質問したり、正直に将来の悩みを相談したりしました。

また、気が乗らなければ朝だけで帰ったり、登校時間を遅くしたりしました。早退遅刻は重なるけれども、登校したことにはなりました。

狭い教室で30人、色んな人がいる中でどう立ち回っていいかわからず、他人の顔色を伺ってばかりいた頃よりも、この教室で目標に向かって頑張れる時間が有意義に思えました。

そのうち、体育や音楽など、必要と思える授業の時には、嫌だった自分のクラスに戻ることも出来るようになりました。
卒業式前日は、1日自分のクラスで過ごしました。

進学後は気の合う友人がたくさん出来たため、部活や学校行事の楽しさにも触れ、毎日楽しく過ごしていました。
そして、選択授業が始まった頃から、学校生活がより楽しくなりました。

同じ学級じゃない人と、同じ授業を受ける。
これがとても新鮮でした。


苦手と思っていた人が意外と話しやすかったり、同じ中学校だった子が自分を気にかけてくれていたことを知ったりして、選択授業が始まった高校2年生頃から、友人が増えたのをよく覚えています。

大学では、教員免許を取得するにあたり、色々な講義を受けました。
友人にノートを頼んだり頼まれたり、発表のために助け合ったり、「学級」というものがなくても、社会性を学ぶ機会がたくさんありました。

教育実習もしましたし、少しの期間ですが学級担任を持った経験があります。
そのため、「学級」という存在が学校行事で見せる団結力の素晴らしさや、何気ない場面で感じる「○年△組の仲間」という関係性の尊さも知っています。

しかしながら、
朝と帰りのホームルーム以外は、教員も児童生徒も授業によって入れ替わる。
そんな学校生活だったら、きっともっと楽しかったのかもしれないな、と思ってしまうのです。

大嫌いな「2年A組の教室」にも、朝と帰りだけなら、入れたかもなぁ、なんて。

#みらいの校則

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