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【感想】人生なんて無意味だ

※この記事はネタバレがあります。


昨夜、就寝前に読んだ本が私をとても憂鬱にさせた。
恐ろしさと怖さで涙が流れた。

初めから最後まで最悪で、この上なく私の心を傷つけた。

幾度となく、私も人生って何だろう、意味なんてあるのかな、と思ったことはある。全ての人間はいつか死ぬことが決まっている。それならば死ぬと分かっていて、終わりがあると分かっていて、なぜ生きねばならないのか。

私が読んだのは『人生なんて無意味だ』という1冊の薄い本である。デンマークの作家ヤンネ・テラーによって書かれ、長島要一が翻訳した。

若い読者を対象にしており、デンマーク国内ではなんとこの話が副教材として使用されているというから信じがたい。また、各国で翻訳され、児童書賞等も得ている。この本が。(決して批判がしたいわけではありません。)



※以降よりネタバレがありますのでご注意ください。



人生なんて無意味だ。

意味のあるものなんて何もない
それはずっと前からわかってた
だから何をしたって無益だと
たった今、気が付いた

『人生なんて無意味だ』


本書は、ある日そう悟ってしまった中学1年生のピエールが、その旨をクラスに告げて学校をやめたことが全ての始まりとなる。

しかし、彼は通学路に来ては、クラスの皆に意味なんてないだのと毎日のごとく語りかけた。

そのことは、クラスの皆をうんざりさせることになる。

本当に意味なんてあるのか。意味はあるはずだ。

そこで、自分たちの大事なもの、意味のあるものを集め、ピエールに対して意味のあることを証明することになった。

クラスメイト達は、誰が何を大事にしているのか把握していた。そのため、それならお前は○○を差し出せと、いつの間にかなすり合いになっていく。
果たして、そこまでしてすることの意味はあるのか。


最悪だったのが、彼らがまだ中学1年生であることだった。彼らはあまりにも素直で正直だった。分別をわきまえていない子どもだった。限度を知らなかった。


彼らの要求はエスカレートし、亡くした弟を差し出せと言われた女の子もいた。くじ引きで掘り出すメンバーが決まり、実際に彼(棺桶)を地上に出すことになった。または、処女を差し出せと言われた女の子、ギターを弾くのが上手かった少年は指を失うことになった。それは、とても見てはいられない光景であった。

こうして意味のあるものが積み上げられ、「意味の山」が創り出された。

しかし、ピエールがそれを見る前に、町の人達に見つかり大変な騒ぎとなった。同時に、「意味の山」として賛同も集まった。今や、多くの国がこの町に注目をしていた。意味の山はもはや有名なものとなっていた。ある美術館が高値でそれを買い取ると言い出した。しかし、ピエールはまだそれを見ようとはしなかった。

「意味の山」が梱包される前日に、ピエールを除くクラスメイト全員が集まった。処女を失った少女が、「私たちの意味であってあの人たちのものでない」と主張したからだ。売ることは無意味になってしまう、と。ついにクラスメイト同士で、争いになった。物を差し出すように指示してきたクラスメイトにそれぞれが襲い掛かり、まるで殺し合いのようであった。同じく傷を負った1人の少女が、ピエールを連れてこなければならないと、彼をその場に連れてきた。

ピエールには、「意味の山」は伝わらなかった。彼はいつものごとく、傷ついたクラスメイト達の前で熱弁を披露した。彼以外誰も口を開かなかった。そうして、「これがほんとにお前たちにとって意味があったんなら、売ったりしなかったんじゃないのか?」と演説を終えた。

これが彼の最期の言葉になった。と思う。

ピエールが背を向け去ろうとしたところに、一斉に、誰も彼もが、彼に襲い掛かった。そして彼は無残な死体となった。その晩、「意味の山」が置かれていた廃屋は全焼した。


本書で、意味のあるものは何か具体的に答えが明かされることはない。

「意味の山」であったはずが、消えてなくなってしまった。
私は意味のあるものは手放してはいけなかったのだと、思う。
大事にされたままであるべきだった。

大事にしているから、それが意味のあるものになるのであって、手放してしまったら、それは意味のあるものではなくなる。必要な物を手元に置いておくなりして、大事に気持ちを委ねるからこそ、それは意味のあるものとなるのではないか。

とても悲しいことに、彼らにはそれが分からなかった。

だから、私は、意味なんて考えちゃいけないんだと、思った。

意味を考えようという行為が私たちを危険にさらす。

とは言っても、この世の中は「意味」だらけだ。
それを実施する目的は何なのか。何のためにその計画を実行するのか。

私たちは常に意味に捉われている。

実はこれらを突き詰めた先が、では「人生で生きることに意味はあるのか」という問いに繋がるのではないか。

なぜあくせくと働いているのか。 
 お金を得るため。


なぜお金を得る必要があるのか。
 食料を得るため。住居を確保するため。

なぜ食料や住居が必要なのか
 生きるため。

なぜ生きているのか。生きることに意味はあるのか。

これが、「人生で生きることに意味はあるのか」という問いに繋がる。

今の私に言えることは、なぜどうしてと突き止めていくのは良いが、生きること、人生の意味を考えてはいけないということだ。

生きる意味を考えるから、自分の存在には価値がないと考え、ある者は自殺をする。生きる意味を定めてしまうから、それを実行できなかったことを悔しく思いながら命を絶つ。または、自分が死んで訴えることで、それが生きた意味だと表現しようとする者も過去にはいた。それは今もかもしれない。

生きる意味を考えるのは、我々が裕福だからなのだろうか。
裕福であろうと、お金がなかろうと、病気であろうと、どんな環境であろうと、生きる意味を考えることは誰にでもできる。

だが、生きる意味を考えることは、自分を破滅に追い込むことになるのではないか。

それならば、生きる意味は何かと考えたときに、さあね、とはぐらかすのが良いだろう。

何で生きているかは分かんないけど、でもなんでか生きているんだよね。
もうそれでよくない?

そう言って、終わりにするべきだったのだ。
そう私は思いたい。







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