«1995» (11)
近年、受験の合格発表がスマホで完結することを知ったけれど、平成7年当時、携帯電話は通話しかできず、かつ誰もが持つレベルには至っていなかった。
パソコンにしても、Windows95の登場はこの年の秋を待たねばならず、家庭用インターネットは、ごく一部の人が電話回線から低速で接続して使うもので、大学側もウェブで発表などしていなかった。合格者のリストは受験者の自宅に郵送されるけれど、当日に結果を知りたければ大学に見に行くほかなかった。
大学受験がほんの少し前の出来事のように思う一方で、27年という月日は確実に我々の生活、なかんずく、情報の速度を著しく変化させたのだとつくづく思う。
さて……
両親が四谷の上智大学まで行くことは聞いていたので、帰宅してから合否を確かめようと思う一方で、早く結果を知りたい気持ちも膨らみ、結局、自宅の最寄り駅の公衆電話から家に電話をかけた。
コール音からほぼ間を置かずに出た母が、半狂乱で
「受かったわよお」
と叫びだした。
一瞬の空白と静寂が自分の中に一瞬響いたあと、あ、合格したんだ、もう受験勉強しなくていいんだ、浪人しないんだ、という経験したことのない感覚が徐々にこみあげてきた。
翌週、暫くしてから郵便が届いて慶応大学法学部にも合格していた。第一志望に受かってしまったので、他の大学のことは全く気にしていなかった。また前後して、上智大学の法学部法律学科も合格していた。予備校と全く同じ問題が出た古文が満点だったことが効いたのだと思う。そして後日、慶応大学商学部も補欠合格していた。
最初に受験した中央大学法学部と、上智の法学部国際関係法学科は不合格だったから、決して連戦連勝ではなかったのだが、自分の手応えよりも良い結果が思いがけず出てきたというのが実感だった。頑張って勉強したとはとても言えなかったから、運も実力のうちということかもしれない。
あとは、進路を自分で決めるだけとなった。