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すべてを変えた あの日…(東日本大震災撮影取材記録)

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#東日本大震災

「2011年、311の8日前の3月3日の時点で、地震津波のある事を日本政府は知っていた」

現在、日本のことを海外の人に英語で紹介するための情報ページを作ろうとしていて、その流れの中で、311に関する英語字幕動画をつくりました。動画自体は日本語なので、是非ご覧ください。そして、日本や海外の人に、是非観ていただいてください。❤️🙏🏼

わたしたちは、朝日新聞などのメディアが勝手に決めつけているように、こういった陰謀論的なことを信じてもいないし、信じてほしいわけでもありません。日本人全員

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2011/3/11
東日本大震災は大量虐殺だった。
日本人全員がこのことを知ったら世界はどうなる。悪魔は徹底的に粛清しなければなりません。私達は怒らなければなりません。

https://gab.com/ma_ma_2880/posts/107935231603274569

フラッシュバック

フラッシュバック

生傷を覆った瘡蓋が引き剥がされた
再びのあの記憶が呼び起こされた
うずくまった傷の痛みは深い場所からその存在をありありと現した
ただ密やかに眼差す行く先…
じっと座り込んで満身創痍の疲労とため息が溢れ出る
立ち上がる氣力も声も沸き上がらず宙をさ迷う空白のなかに跡形が… 残されたまま
空白のなかに置き去りにされたままの人々がいる
空白のなかに…
再び空白のなかに引き込まれた人々がいる
空白のなかに…

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祈りをこめて

祈りをこめて

https://gab.com/Yukkie/posts/105744022622369695

すべてを変えた あの日…(東日本大震災撮影取材記録)|Yukkie @Yukkie44108949 #note https://note.com/nixspiritus/m/m821247d5fb90

ようやく10年…ひたすら前を向いてきたのに、緊急アラートのけたたましい音と311の時を彷彿とさせる

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すべてを変えた  あの日…【うつしだしたもの】

すべてを変えた あの日…【うつしだしたもの】

写真を撮ることを生業にしているからこその使命感と一人間として見過ごせない思いだけで私達は一夫婦として彼等の懐に飛び込んだ。そして心を開いていってくれた。
40年フリーランスで仕事を続けてきたからこそこの業界がどんなところかよく理解している。報酬を貰うシガラミを外したところにいなければ真実は表現できないということだ。組織の中にいればできない。表現することに報酬対価ありきが前提ではそこには濁りが入る。

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すべてを変えた   あの日…(16)

すべてを変えた あの日…(16)



終着駅の手前で

あの日、2011.3.11.14.46からわたしのこころはずっと旅にでていた。 そう気がつき、今この記録をたどり始めたのは、ようやくこの旅の終着駅に辿り着こうとしているからなのだ。

ここにくるまで、激流にながされたり、溜め池でただよい、ぽっかり浮かんだり沈んだりしながら流されるままにきたようにおもう。こころの舵をとれなかったのだ。 それは今だけを追うのが精一杯で、この

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すべてを変えた あの日…(15)

この手記を残そうと決めたのはここに記す彼等の声を届けたかったからです。それでもここに記すことができるのは一部、伝えられないことが多く私達のなかに染み付いています。この震災がなければお互いに知り合うこともなかったからこその縁があります。私達の取材は無理やり相手から何かを奪い取るような押し付けるようなやり方はしない。何度も会い会話を重ねる中でふと吐き出した思いを書き残し、その瞬間を写し出したものであり

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すべてを変えた  あの日…(14)

すべてを変えた あの日…(14)




取材している中で語られる

[忘れないでください]という言葉。

ずっと考えてきた。
忘れないということはどういうことなのか。
この震災の記録を残すということは何を残せばいいのか。

この時の記憶を紐解くことが今まで出来なかった。

混乱したままで鍵を開けたら何が飛び出してくるのか、自分を見失ってしまいそうで開けられなかった。 本当に私は臆病だ…。
もっと早く向き合えていたら何かが

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すべてを変えた   あの日…(13)

すべてを変えた あの日…(13)





2012.3.11.14:46

私達は気仙沼お伊勢浜、彼の場所に来ていた。
線香と花と酒、大好きだったたばこに火をつけた。

人々が浜に集まってきた。
この場所に縁がある人々だ。 私達も浜に出た。

そして、サイレンが鳴った。

嗚咽が聞こえてきた。

合わせた両手に力が入った。

[あの日が、夢であったら]

と聞いた言葉が蘇ってきた。









あの時

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すべてを変えた   あの日…(12)

すべてを変えた あの日…(12)



2012.2.28 南三陸に入る。

新しい年が明けた。
雪のなかの被災地。
12:30開店された復興商店街は賑わう。
日曜日だからか、飲食店はずっと混み合っていた。 すれ違ったご婦人から聞こえてきた会話
[ここができたたのは嬉しいけど、あの日が夢であってほしい…]

夕方、陸前高田、大船渡を撮影。



ガレキはほとんど撤去され何もなくなった地面に雪が覆う

始めから何もなかっ

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すべてを変えた    あの日… (11)

すべてを変えた あの日… (11)



6月17日、気仙沼小に向かい、仮設をまわる。前に会ったおばあちゃんだ。日本酒が大好きだという。お元気、お肌もツヤツヤ。
あの日、娘さんがおばあちゃんを下から屋根に押し上げて助かったそうだ。この華奢な体のどこにそんな力があるのだろう…。火事場の馬鹿力といって笑っておられたが、真っ直ぐで芯の強さを感じる見事な書を見せて頂き納得する。そしてとにかく朗らかで高らかな声と笑顔はとても魅力的。

ご主人は

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「忘れない」~東日本大震災の記憶から~

「忘れない」~東日本大震災の記憶から~

東日本大震災も10年を迎え、宮古から、いわきを3年通い撮影しました。何も役に立てない気持ち、今でも同じ気持ちで未熟な自分がいます。現地でお会いした方々の力強さは変わっていません。

現地で出会った方から届いたメールです。

Aさん
今年も3月11日になりました。長かったのか短かったのか。
僕も僕のまわりの家族、友人もその多くはその時にできる精いっぱいのことをして
ずっと生きてきたように思います。も

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