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すべてを変えた あの日…(14)

 


 
取材している中で語られる

[忘れないでください]という言葉。
 
ずっと考えてきた。
忘れないということはどういうことなのか。 
この震災の記録を残すということは何を残せばいいのか。 


この時の記憶を紐解くことが今まで出来なかった。

混乱したままで鍵を開けたら何が飛び出してくるのか、自分を見失ってしまいそうで開けられなかった。 本当に私は臆病だ…。
もっと早く向き合えていたら何かが変わっていたのか… 分からない。
 でも今すごいスピードで記憶の扉の鍵を開けて書き続けている。 気がつくと毎日6、7時間放心状態になる限界まで記憶を辿るこころの旅に出ているのだ。

 彼らとの会話、表情、握った手を、擦った背中を、その瞳の色を、風や海やガレキの匂い、トラックやユンボなどの音。今そこにいてカメラを早回ししているようだ。 

 



私はあの時のあの場所の感触の中に今戻っている。

棚にはぬいぐるみ、子どもの玩具が残っていたリビングであっただろうある家族の日常が偲ばれる傾き剥き出された家屋。小さな女の子がいたのかもしれない…娘と同じくらいなのか…。

会ったこともない女の子の面影が何故かとても愛おしくその場から離れられなかった。

 

その私の想いが記憶の中にずっと引きずってきたのかもしれない。5月のある日、娘を小学校へ送り出したあと女の子の面影がふっと私の傍にいるように感じた。

普段私は食さないけれどケーキを彼女と一緒に食べたいと思い夫を誘いだし近所のカフェへ向かった。

愛おしく離したくないけれど…送りださなければならないとも感じていたから…面影の女の子はもしかしたらお母さんを探して私の傍にいたのかもしれない…と感じていた。面影の彼女とちゃんと向かい合ってせめて一緒にケーキを食べた想い出を持って送りだしてあげたかった。

 



そんな記憶の断片が溢れるほどいつでもどこからでも噴き出してくる。

何かが、何かは分からないが満ちて膨らんで爆発したのだ。 そうなのだ。時が満ちたのだ。 今だからこそ言葉にできるのだ。 今だからこそ、生き残った人々のこころの底の声、亡くなった人々の声が溶け合ったのだ。わたしのなかで…

 



 

 



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