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少年院に入ることは、不幸なことなのか

どう思うだろうか。

一般的に考えたら、不幸なことなのかもしれない。

少年院に入りたくて入る人はいないし、そう望む親もいないだろう。

少年院や鑑別所が必要ない世界なら、どの子どもも幸せに暮らしていけるのかもしれない。

だが、私は少年院出院者として、少年院に入ったことを不幸だとは思わなかった。

「今の私に必要な時間だからここへ来たんだ」

毎晩、無機質な独房の天井を見上げてそんな風に思っていた。

しかし、私のようにポジティブに受け止められる子どもばかりではない。

今日は少年院で出会った少年たちの話を交えて、話していこう。


医療少年院で出会った3人の少女の話


医療少年院に入院している子で、まともに会話ができる子は少ない。

今日は調子よくお話ができても、翌日には血まみれで奇声を上げていることも珍しくなかった。

私が入院していた1年間で、毎日プログラムをこなせていたのは私を含めて5人もいなかった。全体の人数は20人弱いるのに、だ。

数少ないまともな少年の中で、記憶に残っている少女が3人いる。

今日は彼女たちをひとりずつ紹介していこう。


19歳、覚せい剤で3度目の少年院送致、親はいない


身長は170cm近くあり、ガリガリのモデル体型。

白人かと思うほど肌は白く、目鼻立ちはくっきりしていて可愛いというより美人な少女だった。

私と同じく19歳で少年院送致になった彼女は、私と一緒に少年院内の成人式に参加した。

彼女は19歳にして3度目の少年院送致で、今回を含めて全て覚せい剤で逮捕されていた。

時折気が狂って保護室へ担ぎ込まれていたが、基本的には穏やかでよく話す明るい子だった。

彼女には、親がいない。

具体的に言うと両親が離婚した後、母親に引き取られたが、母はよその男と失踪。

母方の祖母が面倒を見てくれることになったものの、兄による性的虐待と祖母からの精神的な虐待に耐え切れなくなり、体を売って暮らしてきたと言っていた。

覚せい剤を使用するのは、精神を保つため。

使用したからといって現実が良くなることはないと分かっていても、逃げ場が欲しかったと彼女は言っていた。

先生だろうが他の少年だろうが、彼女は正論で真っ向勝負し、いつも誰の味方にもならなかった。

人を見る目はあるんだろうと思う。IQは確実に高い。

だが、寂しいのだろう。

男に逃げ、覚せい剤に逃げ、誤魔化し続けていつも逮捕される。

そうして送られる先はいつだって少年院で、3度目の少年院送致になった彼女はこんなことを言っていた。

「私の家はここ(少年院)なのかもしれない。安全で自分を傷つけるものもなくて、先生は優しい。外で暮らすよりずっと、幸せかも。」

彼女は笑いながら、そう言っていた。

私は悲しかった。

19歳だ。

まだまだ人生には夢がたくさんあって、可能性もある。

なのに、外で暮らすより少年院の方が心地いいと言うのだ。

彼女の埋められない寂しさを、どうしたら埋めてあげられるのかと必死に考えた。

人の心配をしている場合ではなかったが、笑う彼女の目には虚しさや寂しさや愛を求める感情が詰まっていた。

しかし、今の彼女を救えるのは覚せい剤だけなんだろうとも思った。

彼女の場合は覚せい剤に依存しているというより、覚せい剤と共存している感じだった。

無ければ生きていけない。

無い人生を考えられない。

外へ出れば当然のように覚せい剤が手に入り、捕まると分かっていてまた打つ。

そこから抜け出すルートも答えも、彼女は見失っているようだった。

私よりも数ヶ月早く出院した彼女だが、私の予想では今頃刑務所にいるだろう。


15歳、2度目の少年院、親から覚せい剤を打たれて育った


ググってもらえばそれっぽいニュースが出てくると思う。

どこの誰だと個人情報を明かす気はないが、ググって出てきたそれっぽいニュースの少女がその子だ。

彼女は中学2年生で医療少年院送致となり、それが2度目の少年院送致だ。

私より数ヶ月先に出院しているが、1ヶ月もしないうちに再送致となり出戻りしていた。

明るく天真爛漫で、子どもそのもの。

アイドルが大好きで、自身もアイドルになりたいとよく歌いよく笑う子だった。

しかし、数日に一回のペースで気が狂う。

壁を永遠に叩き続けたり、奇声を発したり、自分の腕の皮膚を噛みちぎったり、大声でオナニーを始めたり…。

私の予想では、彼女が精神病院から生きて出られることはない。

なぜたった15歳でそうなってしまったかというと、彼女は父親から性的虐待を受けて育っていた。

物心ついた頃から父親の下の世話をするのは当たり前で、母親もそれを許容していたそうだ。

彼女は知らず知らずのうちに覚せい剤を投与され、気付けば父親と一緒にキメセクを楽しんでいたようだった。

いつからか彼女は父親よりも覚せい剤にハマり、父親は覚せい剤を買うお金を娘に稼がせるため援助交際をさせた。

もちろん援助交際をするときも覚せい剤を摂取し、気付けば四六時中、彼女はシャブ漬けになっていたのだ。

15歳、中学2年生、もしも子どもがいるなら自分の子どもに当てはめて考えてほしい。

彼女がどれだけ壮絶な人生を送っているか、分かって頂けるだろうか。

彼女と話して最も印象的だった言葉が、これだ。

「生まれてきたくなかったよ。」

彼女以上に、この言葉に重みを出せる人はいないんじゃないだろうか。


17歳、子持ちのシングルマザー、初めての少年院送致


少年院には、少年でありながら親である少年も多い。

医療少年院で出産する少女も多く、女子寮にはお腹が大きい少女がたくさんいた。

通常、自分の子どもといえど面会することはできない。

医療少年院で出産しても、出院時までは両親(子どもから見て祖父母にあたる人)か児童養護施設に預けられる。

子どものためにも、少年院に連れてくることは良いとはいえないだろう。

彼女は17歳、一児の母であり、初めての少年院送致だ。

一度だけ彼女と同室になったことがあるが、可愛い女の子の写真をいつも壁に貼っていた。

両親は定期的に面会へ来ていて、はたから見ればなんの問題もないように見えた。

彼女は精神的な病気も抱えていたが、どちらかというと覚せい剤のやり過ぎで内臓を痛めているという理由から医療少年院送致になったようだった。

なにがあって少年院送致になったかというと、彼女も覚せい剤だった。

法律では18歳以下の少女が、売春行為を働くのは違法とされている。

また風俗店が18歳以下の少女(高校生も)を雇うことは、禁止されている。

しかし、世の中にはルールを守らない者もいる。

彼女は高校時代にホストにナンパされ、一目惚れしてしまい、ホストに言われるがままデリヘルで働き始めた。

デリヘルの店長とホストは裏で繋がっており、デリヘルの店長は彼女に覚せい剤を教えた。

彼女はいつからか子どもと寮に軟禁され、ホストクラブとデリヘル以外の一切を奪われた。

デリヘルの摘発と共に彼女は捕まったのだが、当日そこには小さな子どもと大量の注射器があったと泣きながら話していた。

彼女は恐らく、真っ当に生きられるだろう。

目はしっかりと母親をしていたし、子どもに会いたい一心で懲罰を受けるようなことは絶対にしなかった。

模範的な良い少女であった彼女は、私よりも早く出院し、その後帰ってくることもなかった。

そんな彼女が言った、忘れられない言葉がこれだ。

「私は彼のことを(ホスト)本気で愛してた。けれど、それ以上に子どもを愛してる。寂しさからホストにハマってしまったけど、こういう機会をもらえたことに(少年院に入ったことに)今は感謝している。」

その言葉が聞けて、私も嬉しかった。


少年院に入ることは、決して不幸なことじゃない


少年院に入って、様々な人生があることを知った。

私は恵まれていて、私の母が私を心底愛していることも実感できた。

少年院は最低最悪の場所で、刑務所と同じくらい無機質な時間と空間があるのだと想像していた。

しかし、実際に入ってみると、時には家族のような場所となり、時には人生の先輩として指導し、時には刑罰を受ける場所として厳しい態度も取る。

が、基本的には温もりに溢れた優しい場所であることは間違いない。

私が少年院に入っていた頃に出会った少女たちの大半は、精神病院送りか再犯で出戻りしているだろう。

だが、何事も経験だ。成長スピードには個性があって当たり前。

人は失敗を重ねながら、成功への道を見出していく。

子どもであれば学習が遅くても同じことを繰り返してしまっても、許される期間がある。

少年院に入ることが公にならないのは、そんな理由もあるのだろう。


まとめ


少年院に入ることが、一概に悪いことだとは思わない。

刑務官は基本的にドライな対応だが、医療少年院の刑務官ほど優しい先生は他の少年院にはいないだろう。

病気の少女を相手にしているのだから優しくて当たり前かもしれないが、医療少年院の刑務官は、精神的病を抱えた少女たちの更生に「愛」が必要なことをよく知っている。

子どもは寂しがりやだ。

本来はその寂しさを、親や家族というものが埋めるのだろう。

だが、中には家族を持たない子どももいる。

そんな子どもたちに優しさや見捨てないという愛を与えるのが、医療少年院という場所だ。

少しでも多くの人に、医療少年院の実態が伝わると嬉しい。

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