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日本ベッドを語ろう

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日本ベッドは昔ながらの「宣伝下手」。「よき製品はよき宣伝也」、よいものをつくっていれば自然に皆さまに伝わると信じて長年マットレスをつくって参りました。でもこれからは、少しずつ自分… もっと読む
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#1970年代

日本ベッドのマットレス 4つのポイント:その1「フレックスアセンブリ」

日本ベッドのマットレス 4つのポイント:その1「フレックスアセンブリ」

日本ベッドのマットレスのつくり方には、大きな特徴が4つあります。
ひとつずつご紹介して参りましょう。

point1:フレックスアセンブリ

フレックスアセンブリは、横になるときの体を均等に受け止めるユニット成形の技です。
ユニット(スプリングユニット)というのは、ポケットコイルマットレスの芯の部分、ポケットコイルスプリングがまとまりになったもののことを言います。

日本ベッドは、独特の方法でこの

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日本ベッドの歴史(8): プラットフォームタイプのヒット ─1980年代後半まで─

日本ベッドの歴史(8): プラットフォームタイプのヒット ─1980年代後半まで─

1981(昭和56)年、ボンネルスプリングマットレス全盛の時代に、日本ベッドは独自の発想で開発した新しいポケットコイルマットレスを上市しました。同じ頃、ベッドフレームにもヒット商品が生まれていました。

1970年代から80年代の住宅事情

1970年代初頭に180万戸余程もあった新設住宅の着工数は、二度にわたるオイルショックの影響を受け、1970年代後半には120万戸弱に減少しました。

当時、

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日本ベッドの歴史(5):茨城工場の完成

日本ベッドの歴史(5):茨城工場の完成

全国へと発展した1960年代

日本ベッドは高度成長期の波に乗って、発展しました。
1960(昭和35)年には大田区久が原にも工場を建築。続く数年の間に、大阪、名古屋、九州にも営業所を開設しました。

1965(昭和40)年には、大田区池上の本社工場を建て替え、6階建ての新社屋を完成させました。
1階から3階はショールームとして、お客さまをお迎えするスペースに。
この頃、カタログに掲載されていたの

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1970年の大阪万博「未来のベッド」

1970年の大阪万博「未来のベッド」

今回ご紹介するのは、1970(昭和45)年開催の大阪万博に出展した「未来のベッド」。
三洋電機グループのサンヨー館に展示されました。

三洋万国博企画実行委員会がプロデュースした「サンヨー館」は、大阪万博の目玉パビリオンでした。

「未来の生活空間」を演出した「ファミリー・コーナー」には、当時の最新技術を駆使した展示品が並べられました。
人間洗たく機(ウルトラソニック・バス)、フラワーキッチン、万

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