【短編小説】最高気温50℃
「昔はもっと涼しかったのにね」
平成生まれのおばあちゃんが、口癖のように言っていた。
35℃を超えるのが当たり前の時代に産まれた私にとっては、何を言っているんだとしか思えなかった。まあ、おばあちゃんも歳だから、昔の在りし日のことを懐かしんでいるのだろう。そう思っていた。
ある日おばあちゃんが倒れた。
ベットの上のおばあちゃんは、苦しそうに、
「水、水……」
と苦しそうに連呼しながら、数時間後息を引き取った。死因は、老衰だった。
※
「今日の気温は晴れ。最高気温は50℃、最低気温は38℃です」
朝天気予報を見ていた。モニターには、可愛らしい女の子の形をしたキャラクターが、今日の天気について解説している。
(めんどくさい)
心の中でそう思いながら、服を着た。その上にクールスーツと呼ばれるパーカーとUVカット機能のあるバイザーのついたつなぎを着用する。そして、ランドセルを背負い、学校へ向かう。
クールスーツがあるのとないのとでは、だいぶ過ごしやすさが違う。
夜はクールスーツが無くても出ることができるが、そのときは必ずといっていいほど汗が出て、上に着ているものが汗でぬれるので、下に何を着ているかわかりやすくなる。人によっては、乾いたあと、シャツに汗の塩分でシミができるほどだ。おまけにムシムシして不快だ。
気温が少し下がる夜でさえこれなので、日の光が強い日中はどれだけ暑いかは、考えただけでもわかるだろう。だから、日中私たちは、熱を排出し、強い日光や紫外線などから身を守るためのスーツを着る必要がある。
着心地は悪くない。重ね着特有の熱のこもる感じがないから、ある程度動いても汗はかかない。それに温度調節もできるうえに、動きやすい。ものによっては、雨が降ったときはカッパ代わりになってくれるし、何かあったときに爆発の衝撃から守ってくれるものもあるので、かなり万能だ。
命を守るスーツを着、私は強い日射しが降り注ぐ灼熱の町の中を歩き、学校へ向かう。
3時間目は社会科の授業だった。
今回の社会科は歴史の話で、令和時代の話だった。
疫病に戦争に物価高。令和のときはいろいろ大変だった。そう家族の話や動画なんかで聞いている。
20年代生まれの男の先生(45歳)は、うちわを扇ぎながら、
「平成生まれのうちの母さんよく言ってたな。子どもの頃は、もっと過ごしやすかったって。何でも、年がら年中エアコンをつけなくてもよかったし、何より日中もクールスーツなんて必要なかった」
と懐かしさと辛さが混じった声で語っていた。
(暑苦しいなぁ…)
そう思いながら、私は先生の話を聞いていた。
この時期の最高気温40℃台なのが当たり前なのに、どうして令和生まれはこうも大袈裟なのだろうか。
「あとな、先生が子供のころは、桜という花が見れたんだ。いつも3月の中ごろから終わりぐらいになると咲いててさ。きれいだったな……」
先生は懐かしそうに語っていた。
(おばあちゃんと同じこと言ってる)
おばあちゃんも生前、桜という花の話をしていた。3月の中ごろから終わりぐらいになると咲く花で、昔の人はこの花が咲く時期になると、お花見というどんちゃん騒ぎをしていたらしい。今もお花見はあるけれど、植物園の都合でお酒を飲んだり何か食べながらといったことはできない。おばあちゃんの若いころは、私たちの時代よりも遥かに自由であったようだ。
その後、先生は海面上昇で旧東京などの主要都市が海に沈み、かつて甲府と呼ばれていた場所、つまりは今の新東京に遷都した話などを自身の経験などを交えて話し、45分の授業は終わった。
(ある程度年配の人はみんな、7月から9月以外も過ごしやすかったって言うけど、本当にそうなのかな?)
授業のあと、私はふとそんなことを考えた。
おじいちゃんも、おばあちゃんも、令和の初め生まれの先生も、口を揃えて同じことを言っている。動画投稿サイトなどに動画を投稿している人の企画に出ている平成生まれの高齢者や令和初め生まれの人もそうだ。だが、令和の中ごろから終わりに生まれた若い人たちは、小学校6年生の私たちと言ってること感じてることが同じだ。
不思議だと思った私は、お昼休みに学校のデジタルアーカイブやインターネットに接続したりして、おばあちゃんの生きていた時代、先生が生まれた辺りの時代の気候について調べることにした。
(え、本当に今よりも気温が低い)
調べた結果、今よりも断然気温が低かった。
1月や2月は雪という氷の結晶が降るくらいに寒い。3月から5月は、今私たちが生きている時代の冬の最低気温ぐらいだろうか。そして、今では植物園でしか見れない桜の花を見ることができた。黒く、立派な幹に白い花々が彩っている様は、とてもきれいだ。先生やおばあちゃんが言っていたことは、本当だった。
7月から9月に関しては、私たちの時代の1月2月くらいの最高気温ぐらいの暑さだった。10月くらいに気温が下がり、20℃代前半もしくは10℃台になっていく。この繰り返しであった。10月末から12月の間には、紅葉(もみじ)という秋になると真っ赤に葉が色づく木を見ることができた。
(いいなぁ……)
平成や令和に生まれた人生の先輩たちが、うらやましい。暑い時期もあるにはあるけど、1年に1回、決まった時期にこうしてきれいなものを見ることができるのだから。そして便利だけど着るのが少し手間なクールスーツなる装備はいらない。35℃ですら低い気温扱いの時代では、気温を気にせず動き回れるということだけでも、かなりの贅沢だ。昔と比較して暑くなったと大袈裟に言ってしまうのもわかる。
見ていた資料の次のページをスライドすると、線グラフが出てきた。線グラフの縦は気温、横は年代を表している。
グラフを見ていくと、低かった気温が、00年代、10年代、20年代と年代が進むごとに上がっている。そして、30年代のところで、夏の最高気温の平均が40℃台になっていることが大げさに表示されていた。40年代に入ると、旧東京の夏の最高気温が50℃を超え、日本海側や北海道などでは、雪が降らなくなっていた。45年には冬の気温も30~35℃台が一般的になった。
雪国の雪が消滅したように、気温がこれだけ高くなると様々な場所で影響が出てくる。
高温により、多くの動植物が絶滅した。春の桜と秋の紅葉は、国の絶滅危惧種に指定された。他にも、南極の氷が溶けたことで海面が上昇し、海岸線の後退も問題になった。52年には、海面上昇により、かつてこの国の首都であった旧東京の3分の2が海の底へと沈んだ。房総半島や伊豆半島に関しては、半島から島となり果ててしまった。
旧都東京の海面上昇については、下層部が海に沈み、魚の住み処となっている神田や丸の内のビル群、海面から突き出した東京タワーとスカイツリー上部の写真がそれを物語っている。
極端に暑くなった原因について、学校のデジタルアーカイブにある資料では、地球温暖化のせいだと書いてあった。
「極端に暑くなったのは地球温暖化のせい」
まだ、これはわかる。だが、それよりも恐ろしいことは、熱中症という病気が消されたということだ。
昔の日本には、熱中症という病気があった。身体の水分が汗などで流れ出ることにより起こる症状だ。この症状の治療が、50年前の日本では、保険適用であった。だが、あまりにも暑い日が365日続くようになったので、熱中症で病院に運ばれる人数、そしてそれが原因で死亡する人が爆発的に増えた。
政府は医療費削減を口実に、熱中症の入院を保険の適用外とし、水分補給や暑熱順化などの自助による対策を求めた。
もちろんだが、このことに反対する国民は多かった。世論調査では、およそ9割の国民が熱中症の保険適用除外に反対した。それを象徴するように、SNSなどで「# 熱中症は人災」や「# 熱中症の保険適用除外反対」、「# 暑熱順化は精神論」みたいなハッシュタグの投稿が見られるようになった。
国民の9割が反対すれば、さすがに政府も考え直すだろう。そう思われていたが、政府は、
「熱中症は努力不足」
と開き直った。そして、かつては熱中症と呼ばれていた症状は「原因不明の体調不良」や「急な心臓発作」で片づけられるようになった。高齢者に関しては、いつ死んでもおかしくないので「老衰」ということで片づけられた。
もちろん日本国民もバカではないので、新国会議事堂前でデモを起こした。中には制止している機動隊や警官をボコボコにし、衆院の前へ殴り込んだ猛者もいた。
それでも政府は、熱中症の保険適用除外を辞めなかった。そしてデモの数ヵ月後にクールスーツが開発されたことでうやむやにされて今に至る。
クールスーツができてからは、日中倒れる人は減った。が、それでも、暑さの和らぐ夜にクールスーツを着ないで出かけ、水分補給を怠ったりなどして、倒れたり不快感を訴えたりする人はそれなりにいる。
「そういうことだったのね」
私はおばあちゃんの本当の死因を察した。本当は老衰ではなく、熱中症であったということに。ベットの上で「水」と言っていたのは、対処療法のためだったのか。
世の中への怒りが湧いてきた。どうしてこんなに暑さで苦しむ人たちを見捨てるのだろうか。
勝手に一人で怒っているが、小学生の私には何もできない。どうしようもない。考えが及ばない。
腹立たしいうえに、これ以上考えてもどうしようもない。そう思った私は、学校のデジタルアーカイブからログアウトし、ブラウザーのタスクを閉じた。
家へ帰ってきた。
天気予報では、今日も現実の私たちと姿も声も変わりないキャラクターは、
「明日の天気は晴れ。最高気温51℃。最低気温39℃。夏の暑さもあと少し!」
と最高気温50℃が当たり前のことのように言っている。
51℃と聞いても、私は何も思わない。私の時代では、8月9月というのは、これぐらいの気温が常識だから。これからも、最高気温は上がり続けていく。近ごろは60度の日もある。
天気予報が終わったあとに、広告が流れた。
広告に出ている白いドレスに身を包んだAI女優は、満面の笑みで、
「クールスーツのいらない火星へ!」
という台詞とともに手を出す。そして、AIの女優に導かれると同時に、私たちの先輩たちが生きていたときの環境とよく似た火星のコロニーの様子が写し出されていた。
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