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川嶋広稔『大阪市会議員 川嶋広稔のとことん真面目に大阪都構想の「真実」を語る! 』 : 本物の〈論客〉による「反・都構想」論

書評:川嶋広稔『大阪市会議員 川嶋広稔のとことん真面目に大阪都構想の「真実」を語る! 』(公人の友社)

やたらに長いタイトルなので、一見「軽い」印象を与えるのだが、どうしてどうして、著者はかなりの「論客」である。

著者は、自民党所属の大阪市議会議員で、十年来「反・都構想」を貫いている人だが、私は大阪市の住民ではないので、大阪市議会議員の名前まではとうぜん知らないし、川嶋の名も、本冊子を紀伊國屋書店梅田本店の棚で手に取り、初めて知っただけ。どんな政治家かまでは、まったく知らなかったのである。

前述のとおり、本冊子とタイトルの印象は「軽い」あるいは「ゆるい」。だから、私の第一印象も「反・都構想の議員さんが、間近に迫った住民投票に向けて、都構想の問題点をわかりやすく整理したパンプレットを刊行したのであろう」という程度に、軽く見ていた。
すでに私は「大阪維新の会による、大阪都構想の問題点」を批判した、幾冊かの本を読んでおり、その大筋くらいは理解しているつもりだったので、たかだか100ページほどの本册に、それほど目新しい内容はないだろうとは思ったし、「この薄さだからすぐに読めるだろう。ひとつでも勉強になることがあれば、めっけ物だ」くらいの軽い気持ちで購ったのである。

ところが、本册は、私がこれまで読んだ「反・都構想」本およびパンフの中で、最も歯ごたえのある内容であった。それは、著者の、次のような言い回しにも明らかだろう。

『 大阪都構想の是非を考える上で最も重要な要素は、地方交付税制度上、どのような問題が起こるかということである。とても難しい内容ではあるが、ここを理解することなく、大阪都構想に賛成してしまったら、明らかに後悔することになるのでしっかり考えていただきたい。』(P62)

こう書かれては、ビビってしまう読者も少なくないはずだが、それでも川嶋は「都構想の問題点を知ってもらうためには、少々面倒でも、これくらいは理解してもらわねばならない」と考え、精一杯「平易な説明」を、本書で試みている。

これまで私が読んだ幾冊かの「反・都構想」本は、とにかく「都構想」の問題点を知ってもらいたいの一念で、政治や経済にまったく無知な一般の人々にすこしでも届くようにと、もっぱら「わかりやすい説明」に努めてきた。無論これは、二回目の住民投票が目前に迫った時期のものとしては、当然の方針だろう。
だが、同時にそれは、どんなに重要な問題点であろうと、説明が難しいものについては、スルーするということでもある。

「しかし、それではいけない」と、川嶋は考えたのであろう。
「これは、他でもない、皆さん自身の生活が掛かった大問題なのだから、どうかしっかりと向き合って欲しい」という、熱い「本気」が、その行間からは、確かにほとばしっていたのである。

私は、もともと文学読みであるから、「主張内容(中身)」の是非もさることながら、「文体」というものを重視する。
と言うのも、「主張内容」だけなら、本人が本気で信じていないこと(例えば「万人の命は平等」「あなたのためなら死ねる」)でも、書けるし語れるからなのだが、「文体」の方は、そうはいかない。つまり、「文は人なり」なのである。

もちろん、その「文体」が発する「書き手の人柄(本質)」を読みとれるか否かは、読み手の能力に大きく依存する。演技的に作った文体を、看破できるか騙されるかは、読み手の能力次第なのだ。

例えば、Amazonのレビューを見ても、ヒトラーの『わが闘争』について「(著者は)賢い人だ」などと共感を示すようなレビュアーが少なくない。しかし、この本がちゃんと読めておれば、日本人が『わが闘争』を褒めることなど、あり得ない話だ。なぜなら、ヒトラーは同書の中で「庶民は長い文章は読めない。それよりも、短く威勢のよいスローガンや、わかりやすいイメージに飛びつくものだ」とか「黄色人種は、二級人類である」といった趣旨のことを、かなりあからさまに書いているからである。
ところが、そんなことも読みとれない無能な読者は「一般に、ヒトラーは批判の対象だから、逆に褒めた方が読み巧者に見えるだろう」などと考えて、浅はかな逆張りをしているだけなのである。

したがって、このような読者には、無論、本册著者の「論客」ぶりなど理解できないだろう。ただ「難しい」とか「わからない」とか「もっと平易に書け」などと、自分の無能を棚に上げて、「お客様は神様です」といった態度で、身の程知らずの注文を付けるのが、関の山なのだ。

だが、こういう阿呆はべつにして、本気で「都構想の問題点」に向き合う気のある読者なら、本册に挑む価値はあるだろう。本册には、その価値がある。

例えば、第5章「広域一元化に関する真実を語ろう」では、維新の会の訴える「二重行政の問題」とやらが、いかに内実のない、イメージだけの「空言」かが、「りんくうゲートタワー」「阪神高速道路の淀川左岸線2期・延伸部整備」「なにわ筋とおおさか東線」「地下鉄」などの問題を具体的に取り上げて、「ことは、維新が言うほど、単純な問題ではない」という事実を紹介することで明らかにされており、いささか読み手の集中力をうばう面倒な記述ではあれ、たいへん説得力のある説明となっているのである。

著者・川嶋の、こうしたやや「期待水準の高い記述」は、彼がたいへんな勉強家であり、真剣に問題に取り組んできた証拠であろう。彼にしてみれば、語りたいことは山ほどあっても、それを大阪の政治的現実に無知な一般市民に向けて語るには、やはり、ぐっと堪えて、ごくごく「初歩的な部分だけ」を平易に語るしかなかった、というのが、本册なのである。

本册を読んでいれば、ひけらかしなど無くても、川嶋がそうとうの読書家であることが容易に窺えるし、その文章からは、筆の立つ理論家だというのも、よくわかる。こんな文章は、他人が代筆して書けるようなものではないのだ。

もちろん、頭の良い人であるが故に、平易になりきれないという弱点はあろう。例えば、

『都市間競争の社会から都市間連携の社会になり、弱肉強食よりも恊働を目指し、格差の拡大は許さず適正な再分配を求め、合成の誤謬を当たり前と思わず調整や分担を進めていき』(P98)

云々とあり、これ自体、決して難しいことを書いているわけではないが、表現が決定的に、硬い。
そして、そうした「表現の硬さ」に対する自覚が充分ではないからこそ、「合成の誤謬」などといった、多くの一般人が聞いたこともないであろう専門用語を、うっかり使ってしまったりもするのである。

しかし、この欠点は、とりもなおさず川嶋の「本気」の証しでもあろう。「本気」であるからこそ、ついこうした「傍目を忘れた」表現をつかってしまったのである。

したがって、この川嶋広稔という男は、信じても良い、と私は思う。

私は、自民党の支持者ではないけれども、その所属だけで人を評価しようとも思わない。
「この男は、本気だ。維新議員の口先三寸とは、真逆な政治家だ」と、そう思うので、私はこの男を評価したい。

そして、読者にも、著者の気迫に負けない気迫を持って、本册に挑んで欲しいと願って止まない。

初出:2020年10月1日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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