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20年以上続けていること。スクランブル交差点で、全裸に靴下で逆立ちしていたあの頃

昔から、日記を書くことが好きでした。

やっとこさ鉛筆を握れるようになった4歳の頃、手のひらサイズの小さなノートに絵日記を書きはじめました。

A4のCampusノート、日記アプリ、ブログ、メールボックスの下書き、Word、iPhoneのメモ…

書き残す場所やタイミングは歳を重ねるごとに移り変わっていきましたが、日記を書く習慣は20代半ばの今でも続いています。

……そんなに続けているのなら、もう少し文章が上達していていいような気もしますが。


それはさておき、

誰かに見せる日記を初めて書いたのは、小学6年生の頃。
初めて作ったブログの、アメーバブログでした。

当時流行っていたアメブロと、アバターを作って様々な街に行きチャットができるアメーバピグにどハマり。
鍵っ子だったわたしは学校から帰るなり、ランドセルを下ろすより先にPCを立ち上げ、ブログとピグの世界へ。

そのブログを見返してみると、まず、プロフィールから生年月日の個人情報丸出しです。おそるべし、小学生の無知な自分。

肝心の記事の内容は…
誰がどう見てもどうでもいい斜め45度に傾いた空の写真や、1時23分の時計の針を見た話、ださすぎて悲鳴を上げそうになるエッフェル塔がでかでかと描かれたバックの購入品紹介。
その日に食べた物、友達との話、プリクラ、描いたイラストなど。

よく言えばジャンルに囚われずのびのびと、悪く言えばチラシの裏側に書くのもチラシとインクがもったいないような記事を、1日5記事も6記事も全世界に向けて発信していました。

たぶん、ネットが世界に通じている、という認識がほとんど皆無だった頃です。
記事を一つ投稿したら、見ず知らずの、計り知れない数の人に見られるかもしれないんだよ。
スクランブル交差点で、全裸に靴下だけ履いて逆立ちしてるようなもんだよ、と耳元でそっと教えてあげたい。


生年月日は丸出しながらも、唯一救いなのは、一応は個人情報を気にしていたのか、顔出しや個人的な内容の記事はアメンバー限定記事に設定していたことです。



ご存知の方も多いと思いますが、アメンバーというのは、アメーバブログの友達のこと。

noteでいうところのフォローワーで、それを誰がいつ呼び始めたのか、

『飴児(アメンバーの子)』という夜露死苦に匹敵するヤンキー用語のようなものが、もしかしたら私の半径50メートル界隈だけで大流行し、ブログ間でやたらに飛び交っていました。

『飴児』という独特すぎる呼び方を懐かしいと感じた方がいらっしゃいましたら、貴重な仲間です。ともに懐かしみましょう。


アメブロ時代の自分は、とにかくそんな飴児命、コメ命、ペタ命でした。

飴児をかき集めるためにペタという『足跡機能』を使い、趣味の合いそうな人のブログに訪問した印の足跡をつけにいく作業、コメントをもらうために飴児のブログにコメントの嵐。
恐ろしいことに多い時にはひと月で4000件ものコメント数を集めていました。

まさかの人気ブログ?!と自惚れたのもつかの間、思い返すとそれと同じ数のコメントを返していたのです。
勉強はほとんどした記憶がありません。

小6の最後は学校の友達ともソリが合わず、休みの日は家でもっぱらPC。



しかしながら当時を思うと、ブログを更新することを、何よりの楽しみにしていた自分がいました。

毎日ネタを考えて、写真を載せて、気持ちを綴り、飴児と関われること。
何人もの子と文通や電話、オフ会をしていました。

ブログは学校の友達より胸の内を明かせる、心の友達ができた場所でした。

ごくせんではありませんがヤンクミ顔負けの熱い絆で、20代半ばになった今でも、この時のブログで知り合った友達と会って遊んでいます。

たぶんゆくゆくは、ふたり同じ老人ホームに入るのではないかと話したりもしています。何気にいい話です。


そんな初めて作ったアメブロの更新は、中学2年の冬を最後に途絶えています。

第二のブログを始めたのは、高校1年からでした。
つづきはまたいつか。

2023.2/4

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