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島の猫と頑固なお年寄り

ねこで有名な、とある島がある。
そこには私がバスとフェリーで何時間かかってもふとした瞬間に行きたくなる要素が詰まっている。

・坂が多く探検心がくすぐられる、あちこちへ伸びる小道
・島民が「なんにもないよ」と言うけれど実は一番のお宝である美しい山と穏やかな海
・島一周歩いて回れる程度のこじんまりさ

島のねこに対する印象は人によって真逆だ。
観光客にとって、ねこがたくさんいて触れ合えるというのはそれだけで天国。
島というのどかで自然豊かな場所でごろごろとのんびりしているねこは、ねこカフェにいる子たちとはまた違う、「景色含めてSNSで映える」ようなある意味「商品」だ。

対して島民はどうだろう。
島は高齢化が進み、島民の過半数は高齢者という島で彼らはねこの島の過去と現在を知っている。
昔、ねこの世話をする方がおらず去勢や避妊手術を行っていなかったころ。
ねこは繁殖を繰り返し、常にお腹を空かせていた。
彼らは畑の農作物を漁ったり、魚の匂いがついた漁業の網をひっかいていたそう。

島民にとってそんなねこたちは人間の生活を邪魔する厄介者でしかなかった。

そして現在。
課題はたくさんあるがねこたちは十分にえさを毎日もらえる環境におり、人間の食べ物を狙うことはなくなった。

私は過去と現在のねこを巡るお話を聞いて「改善されてよかった」と感じた。
それでも島のお年寄りと話すと「ねこは人間の食べ物を狙うから」というネガティブな話が出てくる。
「でも今はもう狙いませんよね」

と返答すると、

「そうだけど昔はね….」

この島で生まれ育っていない、ましてや、ねこのいたずらに苦労していた時代なんて経験したことのない部外者の私は「素直に改善されている状況を受け止めればいいのに」と思ってしまう。

うーんこの経験、自分にもある気がする

自分は過去を許せるか

そこで「私にとっての」島民のねこに対する体験のようなものを考えてみたら思い出した。

それは昔一緒にお仕事をしていたとある年上の方の話。
誰から見ても思いやりのない、人格否定をされたと感じてしまうような言葉をかけられたことが何度もあった。

そして現在。
風の噂で聞くところによると、周囲の人間はその方の過去の発言なんて全く知らないうえに現在の姿からは想像もできないそう。
穏やかで優しくて、人の意見にしっかり耳を傾けてくれる。声を荒げるところなんて見たことがない、と。

これを知って私はどう思ったか。
「ああ、周囲と上手くやってるんだ」

私はどうしても「過去に自分が苦しんだ経験」を忘れることはできないし、「過去の状態が改善されたというよりも、むしろどこかでぼろが出るんじゃないか」と思ってしまっている。


きっとねこの島の昔を知るお年寄りも同じ気持ちなのかな。

「和解」って、ただ形式ばった握手で「感情」までも解することはできない。
一瞬の、一時的な「良くなっている姿」ではなく、どれだけ持続的に状況を改善していくのか。結局そこを頑張るのが大事なのだろう。

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