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名物CMディレクター

 能工耕作は今最も注目されているCMディレクターである。彼は主に食品関係のCMを撮っているが、彼のCMに映る商品はとても美味そうに見えるらしく視聴者は商品を求めてCMが流れた後近所のスーパーやAmazon等のネットショッブ殺到するという。

 能工は気鋭のCMディレクターとして度々メディアに登場しているが、その本人の長髪の甘いルックスでも注目されている。先日週刊誌に一緒に仕事をしたことのある某女優との密会写真が載り、マスコミが二人の所属事務所に交際しているのか取材したが、双方の事務所ともそのような事実はありませんと否定のコメントを出した。二人が交際していたのかは不明であるが、とりあえずわかるのは能作がそれほど業界から注目されているという事実である。

 その能工は今度人気アイドル女優の蜂蜜プリンと仕事をする事になった。蜂蜜プリンというふざけた芸名のこの女優はとある大企業の創業者一族のお嬢様であるらしくかなりの我儘だと噂されていた。この二人が一緒にCMを撮ると聞いたとある業界人は「こりゃ大変だな。流石の能工も下手したらクビになるぜ」とせせら笑った。

 CM撮影の当日すでに撮影の準備を終えてスタンバイしていた能工たちの所に、集合時間からかなり遅れて蜂蜜プリンが大名行列のように大勢のスタッフを引き連れてやってきた。

「みんなぁ!遅れちゃってゴメンチョ!」

 と蜂蜜プリンはくるっと周りながら開口一番にこう言ったが、能工は怒る事なく蜂蜜のところに進み出て初めましてと和かに自己紹介をした。スタッフの一人は自分たちが遅刻した時と180度違うこの態度に「見事な媚びっぷり!さすが成功する人間は違うぜ!」と仲間に向かって毒づいた。

 言い忘れていたが今回の撮影は某大手食品メーカーの新商品であるカレールーのCM撮影であった。この某大手食品メーカーは蜂蜜プリンの縁戚の一族が経営しているという。という事はCM撮影で蜂蜜に何かしらのトラブルがあればクレームは即大手食品メーカーと蜂蜜プリンの親に伝わってしまう。プロデューサーはCM撮影の前に何度も能工に決して蜂蜜プリンと揉めないように注意していた。だから気が短く、例えキャリアのあるベテラン俳優でも現場を乱すような事があれば遠慮なく叱り飛ばしていた能工さえも、蜂蜜のこの現場を舐め腐った態度に文句一つ言わないのだとスタジオにいた誰もがそう思った。

 しかしリハーサルが始まる直前にトラブルが起きてしまった。蜂蜜プリンがスタッフがカレーライスをテーブルに乗せた事に気づかずにそのまま自分の服の袖を引っ掛けてしまったのである。蜂蜜の服はうんこともカレーともつかぬ色に染められてしまい、カレーライスは皿ごと床に落ちてしまったのである。皿は無惨に割れ、ライスは床にペシャンコになり、そしてカレー具材はまるで頭から飛び降りた自殺者の脳のように床に無惨な姿で飛び散っていた。

 蜂蜜プリンはすぐさまブチ切れてその場にいたスタッフを怒鳴りつけた。

「私の服どうしてくれんのよ!この服は今日の撮影のためにママがスイスからわざわざ取り寄せてくれたのに!あなたわかっているの?この服は全部特注のシルクで作られているのよ!この糸を吐いてくれた超高級蚕ちゃんたちの努力を無駄にしやがって!」

「申し訳ありません!僕の不注意で!置く前にもっとはっきりとお声がけすればよかったのに!」

「謝っても汚れた服は戻ってこないわ!こんな汚れた服もう焼却炉にぶち込むしかないじゃない!私のシルクの服が蚕一匹の価値もない汚男に汚されるなんて!……ってあなたいつまで突っ立ってんの?さっさと床のゴミ片付けたらどうなのよ!」

 蜂蜜はこうスタッフを声高に怒鳴りつけると靴で床に落ちたカレーライスを皿ごと踏み潰し始めた。踏みつけながらヒステリックにさぁ拾えと喚き散らした。スタッフは蜂蜜に命じられるがままに涙を浮かべながら床に落ちていたジャガイモを拾おうとしたのだが、蜂蜜はその手を履いていたヒールで踏みつけた。ぎゃあーというスタッフの絶叫がスタジオに響いた。蜂蜜は手を踏まれ叫んでいるスタッフに向かって早く拾えと罵った。スタジオは阿鼻叫喚の地獄であった。見学に来ていた食品メーカーの社員もCMのプロデューサーもこの暴行を止める事は出来なかった。だがその時能工が大声で止めろと叫んだのである。

「止めろ!それ以上の虐待をするなら俺はお前を殴る!」

 能工のこの一喝にスタジオが凍りついた。食品メーカーの社員とプロデューサーは一気に顔が青ざめた。馬鹿野郎あれほど蜂蜜と揉めるなって注意しておいたのに!能工はゆっくりと蜂蜜の元に近寄ってゆく。手を踏まれていたスタッフは普段理不尽なほど厳しい能工が自分のために蜂蜜を怒鳴りつけてくれた事に感謝し涙を流しながら「自分が全て悪いんです!蜂蜜さんを責めないでください!」と懇願した。しかし能工はそのスタッフを蹴り飛ばし思いっきり怒鳴りつけた。

「当たり前だろうが!貴様が全ての原因なんだぞ!」

 そして蜂蜜プリンの前に仁王立ちになって蜂蜜プリンに向かって叫んだ。

「貴様、事もあろうに百姓が精魂込めて作った野菜と肉を踏み潰しやがって!お前はどれだけ酷い事をしたのかわかっているのか!俺には聞こえるぞ!貴様に踏み続された野菜の怨嗟の叫びが聞こえるぞ!オラたちみんな人様にたんべられるように育てられて来たのになんで踏みつけられなきゃなんねえだべか!悲しいヅラ!こんなの天国の父ちゃん母ちゃんに申し訳が立たねえヅラ!お前には食べられずに床に打ち捨てられたコイツらの叫びが聞こえないのか!聞こえないなら今から俺が聞かせてやる!」

 能工はそう叫ぶと蜂蜜が踏みつけた野菜と肉を丁寧に掬い手に乗せるとそれを蜂蜜の顔に擦り付けて涙ながらに説教した。

「これでもまだコイツらの叫びが聞こえないか!コイツらがどれほど悲しんでいるかわからないか!」

 蜂蜜は能工のあまりの狂態に耐えきれず絶叫してスタジオから飛び出した。食品会社の社員やプロデューサーやその他のスタッフは彼女を追い、スタッフもそれに続こうとしたが、能工はドアに立ち塞がってスタッフを止めた。

「追う必要などない。あんな食物を大事にしない女は食品のCMに出る資格などない!」

 名物CMディレクター能工耕作は江戸時代からの百姓の家に生まれ彼自身子供の頃から田畑に触れていた。畑仕事がずっと好きで将来は両親の後を継いで百姓になるつもりであった。しかし彼は次男坊であり家は兄が継ぐことが決まったので彼は家から出なくてはならなくなった。しかし生まれながらに絵の才能があったので上京して芸大に入ることができたのである。芸大でもその才能は注目され、あらゆる広告関連の賞を取った彼は最大手の広告会社に入った。それから今に至るまで彼の華々しい活躍ぶりはここで今更語らないが、その間能工はずっと田舎の事を忘れる事はなかった。自宅の庭に畑を作って毎日芽に声をかけながら水をやっていた。時たま芽が元気がない時はやっぱり野菜は東京暮らしは合わねえだべかと、都会熊らしの孤独に悩む芽たちに安らぎを与えるために毎日訛丸出して芽たちに語りかけた。そんな彼にとって蜂蜜プリンのした所業は許せるものではなかった。

 彼はスタッフたちに命じて野菜たちを集めさせると線香を炊いて葬式を取り行った。野菜と肉が入った箱を棺桶がわりにしスタッフ一人一人に焼香させた。能工も焼香したが彼は目の前の野菜たち無惨な姿を見て号泣してしまった。お前たちも食べられたかっただろうになぁ。

 やがて出棺の時が来た能工は食べられもせずにあの世に旅立たなくてはいけない野菜たちの無念さを思って涙した。せめてあの世では立派な野菜になるんだぞ。能工は火葬場へと向かうためにスタジオのドアへと向かった。スタッフたちは能工に火葬場への道を開けるためにドアを開けた。するとドアの向こうに胸のあたりに丸くうんこかカレー色の汚れをつけた女性が立っているではないか。女性は野菜たちの無惨な死骸の入った箱を見て跪いて号泣した。

「ああ!野菜ちゃんたちに酷い事をしてごめんなさい!私なんてお詫びしていいか!」

 その女性はなんとあの蜂蜜プリンであった。

 しばらくしてCM撮影は再開され、何事もなく無事に撮影は終了した。蜂蜜プリンはあれからすっかり改心し野菜を慈しむようになった。彼女はとある雑誌のインタビューにこう答えている。

「今まで田舎を軽蔑していたけどCM撮影である人に出会ってからすっかり変わりました。これからは畑を耕しながら女優をやっていくつもりです」

 
 それから間もなくして能工耕作と蜂蜜プリンの結婚が発表された。

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