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娘が「娘をやめる」とき #7

シリーズ「#7」にわたり投稿してきた
娘は、なぜ「娘」をやめられないのか?

その続編シリーズ【娘が「娘をやめる」とき】です。

不健全な母娘関係に終止符を打つにいたった経験エピソード、そのとき何を感じ、どう分析し行動したかつづります。

今回は、最終章#7です。



一周忌が近づき…混乱

このLINEに、あたり障りのない返信をしたきり、
静かに数ヶ月のときが過ぎました。

そして葬儀から1年のときが流れ
「1周忌」の日どりが近づきました。

頭ではもうすでに結論が出ているのに、
母に会う日が近づくだけで徐々に心がザワつき始めます。

また攻撃される…否定される…

無意識に、母に会う部分だけが切り取られ、体から拒否反応が出た私は、
出席したくない気持ちで頭がパニックになっていました。

頭のなかで、しっかりロジカルに処理した案件なのに…です。

恐ろしいもので、幼少時にプログラミングされた脳内システムは、そう簡単には破壊されないのです(汗)

「一周忌は直近のご法事だから、いっしょに出席しよう」
という夫の冷静かつ常識ある助言を受けても、反応が止みません。


思考を組み直す

私は、もう一度、一度たどり着けた答えを探す作業に入りました。
(夫の力も借りて…)

【自立した大人は、どう行動する?】
これに沿って考えればいいだけのはず!

母に会いたくないというだけの理由で「欠席」選択をするのは、
自立した大人のすることではない、とすぐに結論が出ました。

では、その場でどう行動するかだけ。

自立した大人なら、嫌いな人の前でも態度に出さないように振る舞う。
自立した大人なら、攻撃的な言動を受けても反応せず受け流す。
自立した大人なら、依存的な言動を受けても冷静に可否を判断する。
自立した大人なら、相手の価値観を尊重する。

こうして「自立した大人ならどうするか」という観点ですべての思考を組み直して行きました。
「母の期待に応える娘」ではなく、ただ「1人の大人の女性」として母に会えばいいのだと。

ようやくパニックは収まり、
最後には「なんだ、カンタンじゃん!」
と思える所まで思考を整理することができました。

この1年、ずいぶんと母には布石を打ってきました。
自信を持って、自立した大人の発言と態度で、毅然と母に対応してきたのです。
「きっとできる」と自分を鼓舞しました。


母も変わっていた

一周忌は、滞りなく粛々と執り行われました。

その場に娘婿や嫁のようなポジションの他人がいれば、母は取り乱すことはしません。
夫は私にとって、まるで保険のようなポジションです(笑)

相変わらず、奔放な会話を繰り広げる母ですが、
私への態度は明らかに変化していました。

よそよそしい、距離をとっている、というスタンス。
あれでもかなり発言に気をつけているなと感じました。

布石の効果と、一貫した大人の態度で貫き通した結果です。

こちらが母への支えを外せば、勝手に立てるものなのですね。


娘への執着が消えた?

会食の席、私は母の近くをあえて避けました。
すると自然に、弟の家族が母の相手をする流れへと空気が変わっていきました。

弟は、母の日のプレゼントを用意してきており、その会食中に全員のいる前で堂々と母へ渡しました。
母は子供のように喜び、嬉しさを全面に出していました。

私からは何も用意はありません。
でも、その光景を微笑ましく眺める自分がいました。
以前なら「あなたからはないの?」という物欲しげに罪悪感を与えるようなセリフが飛んでいましたが、そういった無神経なこともありません。

母への罪悪感も義務感も、何も感じませんでした。
そして、娘への執着心を潔く捨てた母を見た気がしました。

私は母の人生からでていくことができたのだと。
そんな自分を再確認しました。

母がお嫁さんと話す会話が、遠目から聞こえてきます。

「あの娘、弟が産まれて、自立するしかなかったんだろうね…。
育てるのはラクな子だったけど、
もうすっかり私からは離れていってしまったわ」

母の意識は、完全に弟家族へ向きはじめていました。
(よかったよかった!)
(しかし、いつの話をしてるの…汗)


これが私の親孝行

母は何かに付けて私のことを
【親不孝もの】だとジャッジしてきました。

名もない就職先も、
どこかの馬の骨との結婚も、
7年の音信不通も、
父に会いに行かなかないことも、

自分の意向に沿わないことは全て【親不孝なこと】として片付けます。

私は20代前半から親と距離をおき、自分の道を自分の力で生きる努力をしてきました。
しかし、いつも頭の片隅で「私は親不孝なの?」と誰からともなく問いかけられているようで、ずっと漠然とした罪悪感を抱えていた気がします。

とてもシンドかった…

子どもが自立することが最大の親孝行のはずなのに、母は私の自立を阻止し、従順こそが親孝行だと教えられてきたからです。
もう何をもって親孝行なのか、人はどう生きるのが正解なのか、何が何だかわからなくてツラかったのだと思います。

だけど今、
自分はいちばん親孝行だと胸を張って言えます(笑)


ピリオドは打つ、縁は切らない

30年続いた毒母との関係に、やっとピリオドを打つことができました。
いまシミジミと実感しています。

しかし、縁を切ったわけではありません。
それは【自立した大人がすることではない】と思うからです。

この1年の間に、母がすねて
「私と縁切りたいの?私がキライなの?」と聞かれことがありました。
おそらく娘が自分の思い通りに動かないので、吹っかけたのでしょう。

私は、冷静にこう答えました。

私からは、そんな子どもじみたことはしないけれど、
母さんが望むことなら、私は構わないよ。

もう私は大人だから、親を頼るってことはもうないよね。
お互い人としての魅力がなければ、無理して付き合う意味はないと思う。

でも、私、最後の言葉は言わないでしょ?
それとも言ってほしいの?

母は、それから一切そのことを口にしなくなりました。

【母が親でなかったら、母と人間関係を継続したいか?】
という質問の答えは
はっきり【ノー】です。

私は母という人間に魅力を感じていません。
でも、その気持ちをあえて伝えることはしません。

「縁を切る」という宣言も、あえて伝える必要はないと思います。

しかし母の方が、子どもじみたことをするのは止められません。
だから母が望んでやることならば、受け入れるしかないでしょう。

互いに、どんな形であれ、
存在したいように存在していればそれでいい。

他人と同じです。

共依存の関係をパチンとハサミで断ち切り、自分の足で立った瞬間、ほんとうに不思議なくらい、モヤモヤが一度に消え去ります。

これが私が選んだ、母との関係の姿です。


【完】


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