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違いを意識する

 職種の違い、それにおける領域の違い、事業の違い、それにおける感覚の違い、様々、それは本当に様々、あると思う。

 そこから生まれる確執や齟齬、疑問にしか思えないような言動、行動、本当に様々、様々、あると思う。

 仲間意識を持つことは、大切なことだと思う。
 仲間を守ろうとすることは、大切なことだと思う。
 自分の仕事に没頭し、深めていくのは、大切なことだと思う。
 やりたい、ということに対してまっすぐなのは、大切なことだと思う。

 それは、本当に、そうは思う。
   
 けれど、それが行き過ぎてしまうことには、私は問題を感じてしまう。

 仲間意識が強いあまり、それ以外を排除するのはどうなのだろう。
 守ることはよいが、過保護なのはどうなのだろう。
 自分の仕事だけ、それも現場を顧みずに、それはどうなのだろう。
 やりたい、ということだけで考えが浅いのはどうなのだろう。

 他職種連携、なんて謳っていて、それがまるで当然であるかのように話しをしていて、できていない現実は仕方のないものなのであろう、か。

 そんな空気を、ひしひしと、感じる。
 
 正しい、にとらわれてしまうと、それだけしか見えなくなってしまう。
 もちろんそれは、私にも言えること。いつの間にか、気がつかないまま、それにとらわれて行動してしまっているかもしれない。

 それでも、何だろう。

 意見が食い違ったから、といって、それがそれまで考えていたものから外れていたものだから、といって、これまで相談しながらうまくやっていたつもりなのに、と泣いてしまうのは、どうなのだろう。

 それを伝えた瞬間は、私も言い方が悪かったかもしれない、と感じていたし、場を離れてからもそれは気になっていた。

 ただ、それは、どうなのだろう。

 それに関して、私は一切合切、何も言えなくなってしまった。伝える気持ちも、なくなってしまった。

 自分たちの取り組みだけがよいもので、正しいのならば、他の事業と連携など図らずに、独自でやっていけばいい。
 そもそも、形態が違うのだ。それを理解しなければ、いいものなどうまれようもないと思う。
 そうしてそれは、この場でしか通用しないものであるなら、あまり意味はないようにも思う。どこの職場でも、その色は出てしまうものだとは思う、けれど、そこでしか通用しないのであれば、それはいくら積み重ねても積まれているものは、からのまま。
 だからこそ、いろんな人、職種の人と話しをする、対話を持つ、できているつもりではない、相談や話し合いをすることは、とても大事なことだと感じる。

 それぞれの職種における役割の違いも、しっかりと意識していないと、とんでもないことになると思う。

 あくまで支援員が看護師の領域に手を出す必要もないと思うし、逆もしかり。どこから、どこまでが、という線引きも必要だと思うし、それを意識した上で必要に応じて看護師を呼ぶ判断なども大切なことだと思う。

 それはあくまで役割上のものであって、明確な上下などではない。

 それであるにもかかわらず、支援員上位になったり、看護師上位になったりしている場所もあるのは、なぜだろう。

 他職種連携、というのを意識するのであれば、そうした、支援員、看護師、相談員などだけではなく、ハウスキーパーやドライバーはもちろんのこと、地域性も含めて連携する必要があるだろう。

 そこには明確に上下はないようにも思う。そもそも、役割が違うのだから。
 
 それらの違いを意識して、丸めこむのではなく、○○し合うこと。
 そんなことができたなら、きっと、もっと、よいものが、よい方向へと、行けるのではないか、と思う。

いつも、ありがとうございます。 何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。