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連携を図る前に

 先日、委員会の引き継ぎで担当の現リーダーと、別事業者の現リーダー、そして引き継がれる方、合わせて4名で打ち合わせをした。

 このごろ、帰りの振り返り時でも思っていたけれど、我らがリーダーはだいぶお疲れの様子が見られた。

 珍しく感情的になる場面もあり、しかし、その伝え方では思っていることは伝わらないであろうな(私は普段見ているからわかるけれど)、とも思い、案の定、なかなか伝わりきらないまま、最終的に私も言葉を添えて、とりあえずその場は終わった。

 まだお若い、ということもあるし、女性職場の中で男性、というのもあり、うまくいかないことも多々あるのだろう。明らかに、上の方と現場での板挟みも見られ、疲弊が伝わる。

 もちろん、彼にも、もう少し変わらなければいけない部分もある。こだわりも強く、ひとりで抱えこみすぎてしまう傾向にもあり、振ってもいい仕事もあるのでは? と他のものとは話しをしているくらいだ。

 熱量はあってもそれをうまく表現をする術を持たない方は、こうした場面で損をするように思う。かくいう私も苦手だ。

 事業所ごとに抱えている問題を差し置いて、ものごとを考えるわけにはいかない。それぞれに抱える悩み、そもそも形態も違えば、時間も違う、それを乗り越えて同じ目線を合わせてものごとを見つめることは、なかなかに難しい。

 それでも、そうした連携が図れれば、もっとうまく流れていくようにも思う。

 そんなことを、その他事業所の方も話している、のに。なぜ、何が、相手への攻撃や責め、非難につながってしまうのだろう。

 噂によれば、かなり敵対、警戒心を持ってしまっているらしい。なんなら、敵が来た! というくらいだと。

 あなた方の言うように、多職種、他事業所間での連携を図りたい、ということならば、なぜそうした異分子として捉えて、排除するような方向で考えるのだろう。

 もちろん、言葉ではそんなこと言わない。けれど、態度が物語っている。なんでわからないの? 何を言っているの? なんでそんなおかしなこと言うの? なんで、なんで? そんな言葉が目に浮かぶような、姿勢。

 私は私で、普段見ている景色の分、色眼鏡で見ているかもしれない。それでも、落ちついた話しを聞いたとき、おかしい、と思う点はなかった。

 自分たちは間違っていない、むしろ正しい。そんなことを思ってしまえば、それ以外のものはすべて、おかしなものになってしまう。

 もしかしたらそんなふうにまでは思っていないかもしれないけれど、軋轢や壁、まだまだ連携にまでは程遠い、交流でさえ滞っているようにも感じる、そんな、時間で、あった。

いつも、ありがとうございます。 何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。