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「ウィル・スミスは間違いなくジーニーだった。」 ジーニーファンが観た、実写映画版アラジンがめちゃくちゃ面白かった話。

トキです。
まず、ウィル・スミスと山寺宏一さんにお礼が言いたい。
ジーニーファンから観た実写版映画版「アラジン」はそんな気持ちになる作品でした。

  

 

ウィルへの不安

↑の劇団四季アラジンの感想にも書いたけれど、僕はアニメーション映画版VHS発売時から、ジーニーが大好きで。ジーニーはずっと僕のヒーローだったし、ジーニーのような大人になるのが夢だった。
そのジーニーをウィル・スミスが演じると聞いた時から、実写版ジーニーを愛せるか不安だった。
いや、誰が演じることになっても不安だったと思う。
大好きなヒーローが残念な感じになるのは、誰だって良い気はしないと思うよ。かっこ悪いヒーローは見たくない。僕だってそうだった。
ウィルへの不安もあったし、たとえウィルでなくても僕は不安だった。

だから映画は始まる前、寧ろジーニーが登場する瞬間も不安だった。もう、めっちゃ不安だったんだ。

※吹き替え版で鑑賞しております。

 

 

オープニングの船に乗る父親はジーニー?

作品冒頭、早速ウィル・スミスが登場した。
どうやら家族で船に乗っているようだ。
大きな貿易船はアグラバーから仕入れたスパイスを乗せているのだろうか。
二人の子どもたち、姉と弟は父親に物語を歌でねだる。この父親がウィル・スミス。
父親歌う「アラビアンナイト」でこの物語は幕を開けた。

ジーニーによる作品の幕開けはアラジンのお決まりであって、ジーニーファンとしてはとても重要なポイントだ。

アニメ版の商人のようにジーニーかな?と匂わせる演出かな?とこの時は思った。
この男性には子供もいるようだし、四季のように明確なジーニーとしてではないんだなと解釈したのだった。

「アラビアンナイト」で街の様子やジャファーの企みの様子がコンパクトに伺えるのは四季に近いと感じた。
このジャファーの企みが“失敗”してしまうシーンがさり気なくてとても良い。どんな悪役なのか、とてもミステリアスな雰囲気。
完璧な「アラジン」への導入だ。

 

アラジンとジャスミンの出会いのシーンと「ひと足お先に」をひとつのシーンにまとめたのもすごく良いと思った。
ジャスミンは可愛いし、アルのチャラチャラした感じと処世術を一度に見せていたし、アニメ版のどこかを端折るしかないなら僕もここだと思ったからだ。

アルとジャスミンの恋の始まりも、「明日これ(髪留め)を返しに来るよ」ってシーンなんてめちゃくちゃキュンとした。チャラいけどすごく好きな演出だった。
アルとジャスミンはやっぱり良いよね。すごく可愛い。ディズニーでも特に好きなカップルだよ。

その約束は守られることなく、アルはジャファーに捕えられ魔法の洞窟へ。
ジャファーが元盗っ人なのは実写オリジナルの設定だけど、アニメ版ジャファーの悪人としての余白によく似合っていた。
アニメ版では王座を狙う解りやすい悪役だったジャファーが、「物を盗むと盗っ人だが、国を奪えば支配者だ」という王座を狙うに至るバックグラウンドを少しだけ垣間見せるキャラクターになっていた。
健在な手癖の悪さもアニメ版では見られなかった部分。

 

なるほど、実写版アラジン良いじゃん…

そう思いながらも、一抹の不安は簡単に消えてくれないまま、アラジンはランプを手にしてしまった。

 

 

フレンドライクミー

アラジンがランプを擦ると、瞬く間にランプは青い光を鈍い金色の表面に走らせ、もくもくと青い煙を吐き出した。

…めっちゃウィル・スミスじゃん。

そう思った。
思っていたよりウィル・スミス。

ウィル・スミスがヨガのイヌのポーズしてる。

めちゃくちゃマッチョだ…
さすがウィル…めちゃくちゃいい体してる…

恐らくその時の僕は、画面の中のアラジンと同じ様なポカーンとした顔をしていたと思う。
少しの戸惑いを胸に眺めていると、ウィル・スミスはアルにこう問いかけた。

「ちょっとゴメン、ボスはどこ?」

ウィル・スミスはアルの背後に“ボス”が居ることも即座に見抜いた。
アニメ版にはない、ジーニーの一面が見えた。

このジーニー、思っていたより“出来る男”のようだ。


そして「フレンドライクミー」が始まった。
最新鋭のCGを駆使したジーニーの魔法のショーの始まり。
パワフルにだけどスマートに。
吹き替え版なので、声はあの頃と変わらず山寺宏一さん。

アニメ版とは違うアレンジではあるけど、主軸は間違いなくフレンドライクミーだった。

大きくなったり小さくなったり増えたり消えたり。
僕の知ってるジーニーの演出だ。
そんな余裕を吹き飛ばすのも彼のお得意だった。

ん?あれ?今の声マリオ?笑
え!?ラップ?!
歌える踊れるラップの名人?!
めちゃくちゃ格好いいじゃん…!!!!
え!!!なにこの洋楽アーティストのMV感!!!
演出が完全にダンスナンバーのMVじゃないか。
おしゃれで派手で最高にクール。

そうか。
ジーニーは時代を簡単に超えられるんだった。
アニメ版公開の時代に留まっているわけがないんだ。

今っぽさもたくさん取り込んで、ジーニーは更に彼のダンスナンバーをパワーアップさせたんだね。

ジーニーは時代も作品も飛び越えてしまうことを、思い知らせてくれた。


フレンドライクミーが終わる頃には、僕はウィルジーニーに慣れていた。

 

 

ビジネスライクミー

アニメ版にない彼の人間らしい部分の大きなポイントはこれだろう。

四季アラジンの感想にも書いたけれど、彼にとって「フレンドライクミー」は営業スマイルの曲。
それを今回のジーニーは明確に自分から「歌で説明したろ?」と営業ツールであることを口にしている。

登場して暫く、彼はアルをビジネスライクな「依頼主(ご主人様)」として扱う。

契約内容の確認から諸注意、願い事毎の手厚いアフターフォロー。
(ジャムの件はさすがのジーニーもフォローしきれなかったけれど)

ストーリーが進むにつれ、アルに“友人”として心を開いていくので、このビジネスライクな彼の姿のお陰でよりそのコントラストというか、グラデーションの色差を強くしていた。

個人的に最初の願い「王子様にして!」を叶える為にお決まりの“スタイリストスタイル”になる彼がとっても可愛かった。オネェっぽいジーニーはやっぱり可愛いし、そういう所にも手を抜かない様子が“仕事人”というか、好きだなぁと思う。
この姿と、「アリ王子のお通り」で女装するジーニーが見れたので大満足で。割とこの辺りでウィル・スミスがジーニーにしか見えなくなっていたんだとあとになって感じる。

 

 

明確な願い

アニメ版ジーニーの願いは「自由」だった。
実写版では「自由だ。人間になること。」と、その願いはより明確なものになった。
不老不死で全知全能のジーニーにとっては、寿命があってスーパーパワーもない人間の方が自由なのだ。

アニメ版での「願い」を具体的にしたことで、実写化に必要だったアニメ版での余白を埋めていた。余白を埋めることで、実写化した際の違和感や疑問を予め取り除いたと感じる。

これは他のキャラクターも同じだった。
ジャファーも単なる「王座を狙う者」から、元盗っ人の「下層からの王座」と「他国との戦争、侵略による権力の拡大」とハッキリとした望みが描かれた。

顕著だったのがジャスミンだ。
ジャスミンの願いは「アグラバーと民のために国を統べること」。

 

 

再構築された“ジャスミン”

願いが明確になったジャスミンにとって恋愛は本質で言うとサブ的な望みだったように感じる。

自ら国を統べることが、国民の民になると考えた彼女はアルと出会うことで、多くの“気付き”を得た。
その“気付き”によってアルに惹かれていく。
彼の機転や観察力はジャスミンが国王になるために必要だと考えていて、彼女の予想外の事を成し遂げてしまう姿そのものが見習いたい存在として心を射止めたんだと思う。

アニメ版ジャスミンは、それまでのプリンセスたちと比べて「強い女性」として描かれた。
しかし以降のディズニープリンセスは比較的、運命を自分で切り開くような「強い女性」が珍しくない。
そんな中で彼女は率先して国を率いたいと願うことで、「トップに立つ女性」としてまた一つプリンセスとしてのイメージを高めたんじゃないか。

声を上げること。意見をはっきり表明すること。挫けない芯の強さ。
その想いを歌い上げた、実写版オリジナル曲「スピーチレス」は必聴。
またアラジンに名曲が生まれてしまった。

今までにないジャスミンの一面だからといって、「アニメ版と全然違う」「こんなのジャスミンじゃない」なんて微塵も感じさせなかったのは凄いなと思った。
ジャスミンは変わらずジャスミンだった。
だって本来彼女は三部作完結編「盗賊王の伝説」でバトル要因になるような、勇ましさを持ち合わせた女性で。そこにフォーカスしただけなのだから。

現代的なジャスミンではあるけれど、彼女の魅力はけして損なわれていない。
それどころか深みを増して、更に魅力的なプリンセスになっていた。

やっぱりジャスミンが一番好きなディズニープリンセス。

 

 

アルとジーニー

上のビジネスライクミーでも書いた通り、出会って直ぐのジーニーはビジネスライクで、全然フレンドライクなんかではない。
なんだかイマイチでダメな子なアルに呆れているようでもある。
アルは盗っ人として街にいる時はあんなに自信たっぷりなのに、ジーニーとの出会いのシーンでも王子に変身して王宮に出向いた際もちっとも堂々となんてしていない。
盗っ人の時の方が男らしいくらい。完全にジャスミンが王族って事に怖気づいてしまっている。

ジーニーはそんなアルのアシスタントを頑張る。
サルタンとジャスミンへの接見では庇いきれてなかったけど。
パーティーでのシーンはそれこそ手取り足取り、彼をサポートする。
その姿はご主人様というよりも、手のかかる弟分の面倒を見るようだった。
ダメダメなアルは、あんまり“ご主人”って感じがしなかったんだろうな。願いもなかなか決めないし。

アルが彼の願いを叶えると言ったから、というのはちょっと違うと思う。
ジーニーの自由を叶えるとアルは序盤で言うけど、彼はあんまり信じる素振りではなかった。
それだけその行為は「ありえない事」だったんだろう。
きっかけの一つだったかもしれないけど、彼はそんな一言で簡単に心を開く男ではなかった。
なのになぜ、というのはジャスミンがアルに惹かれたのと近いのではないかなと思う。
純粋に恋をしてどうにかお姫様に釣り合おうとする姿は、とても人間らしくて。人間=自由の象徴であるジーニーにはアルがとても自由に見えて、次第に自分の願いも寄り添わせていたんじゃないかな。

そんなジーニーが、魔神の規約を破ってアルを助けてしまう。
何度も何度も、「坊や、坊や!」と声をかけて目を覚まさせようとする姿は胸が苦しくなった。
泣きそうな声で、目の前の“力を持たない”人間であるアルを揺さぶる。まるでそれが自分が見ている悪夢で、自分をその夢から覚まさせようとしているようでもあった。

ジーニーは自由な「坊や」に友人として確実に惹かれていることを表した場面だった。

ご主人であり、友人であり、兄貴分と弟分のような、そんな二人の絆がとても尊い。

 

 

ジーニーの恋

アニメ版の最後、ジーニーはジャスミンを諦めようとするアルに「こんないい娘、百万年探したっていないぜ?俺だって探したんだ」と話した。
この台詞の背景を思い浮かべる年齢になってからずっと、なんて切ないキャラクターなんだろうとジーニーのことを思っていた。
不老不死の彼が、主人の願いを叶えながら、自由も叶わず恋を求める姿を想像すると、普段の明るさからは感じ得ない寂しさを感じて仕方なかった。

そのジーニーが、恋をした。
アルに仕える(とこの時ちゃんと思っていたかは定かではないけれど、形式として。)自分と同じように、ジャスミンに仕える女性、ダリアに。

人ではないジーニーが、人間として愛した女性。
それは彼女と生きたいという願いでもあったように思う。

ジーニーはアルに「本当の事をジャスミンに話せ」と言うけど、彼だって自分が人間ではなくランプの魔人であることは話せなかった。
結局対ジャファー戦で本当の姿がバレてしまったアル同様、ジャファーが新しい主人になった最悪のタイミングで自分がジーニーであるとバレてしまった。

しかし、ダリアもまたアルの本当の姿を知ってなお彼を愛したジャスミンのように、ジーニーを愛した。

そしてジーニーはアルによって自由を、ダリアによって人間としての愛を手に入れた。

その結果が冒頭の一家だったのだ。
ジーニーとダリアは船旅に出て、二人の子宝にも恵まれたのだ。

 

おめでとうジーニー。
アニメ版から願っていた「自由」以上の、自分自身の幸せを手にする姿を見ることが出来て心から嬉しい。

ご主人の願いを叶え続けてきた人の願いも、しっかり叶えられるところが「アラジン」の作品としての魅力のひとつだと思う。

ジーニーが好きで良かった。

本当におめでとう、ジーニー。

 

 

鑑賞後に

鑑賞前「ウィル・スミスかー…」と思っていたのに、終わってみると「ウィル・スミスしか考えられない」と泣く程、ウィル・スミスは間違いなくジーニーだった。

「大好きなジーニーを3次元にしてくれてありがとう」とウィル・スミスと山寺宏一さんに言いたい。ありがとう。

ジーニーとダリアの息子の名前、四季版でアルの友達と同じ「オマール」でしたね。少し気弱かもしれないけど、友達思いの優しい男の子になることでしょう。

 

 

おまけのぬい撮り。

連れて行った我が家のチビジーニーとパシャリ。

 

下は観に行った劇場になかったので、ポップコーンだけ買いに行った、HUMAX販売のポップコーンセットのボックス。
ブリキっぽい金属製でとてもおしゃれ。
ポップコーンを食べさせる気全く無い形状も逆に潔くて良いなと笑
お気に入りなのでうちの子たちとパシャリ。

 

 

ご清聴ありがとうございました。

 

 

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