花のノートルダム【ジュネ書評】


読み終わる。

巻末。

手紙の出だし。


いとしいお前




本を閉じる






1942年

創造を終え、

この手紙を書いているときのジュネ、貴方は

心底、物語を作る喜びを感じていただろう。
(本作は獄中で書かれた)




すくなくともわたしならそう感じる。







この美しい手紙を読んだら

わたしは泣くかもしれないし、

はたまた、

さすがジュネ、とでもいえるような可憐な裏切りに直面し

苛立つかもしれない


期待は恐怖へ変わるものである


あらゆる可能性のために

ねんのために

わたしは本を閉じる。



このあまりに素晴らしい小説の終わりを、
狭苦しい休憩室で読むわけにはいかなかったのだ。

 





ジュネは泥棒で、同性愛者で、孤児で、熱心とは言い難いが、カトリック信者。
(※あくまでも、日本人からすると。)

この卑猥たる、まるで侮辱しているかのような単語を並べただけで、彼が〈20世紀最高の「怪物」作家〉と言われることに異論は無いだろう。





獄中で書かれたこの小説についてジャン・コクトーは語る。

「ジャン・ジュネが小説を持ってきた。〈おかま〉の神話世界を隅から隅まで完璧に創蔵する感嘆すべき300ページ。スキャンダルになるにちがいない。とんでもないスキャンダルに。」




本書は内容の過激さのあまり秘密出版を余儀なくされ


コクトーの予想のとおり


ジュネの類稀なる、いや唯一無二の、独創性は誰もが詩人の国フランスを揺るがし

出版の縄を解く。



コクトーは簡単に見抜いた。

「ジュネ爆弾。その本がこの部屋にある。出版不能だが、避けて通ることはできない。」






訳者の中条省平さんは語る。

これまで20冊ほどの翻訳書を出してきましたが、『花のノートルダム』は文句なしにいちばん厄介な書物でした。
「でした」と過去形で語れることがこれほどうれしい訳書はありません。


本を比較することはできないが、

中条さんの訳した20冊にはバタイユの「眼球譚」(新訳のタイトルは「目玉の話」)や、ラディゲの「肉体の悪魔」など錚々たる書物が並んでいる。




ジュネの評価についての話は
これで充分であろう。





この本は、創作で、架空で、登場人物はその全員が神聖化されている。

そのすべてはジャン・ジュネの世界では紛れもなくそこにあった、真実なのだ。





若く美しい、

少年から抜け出したばかりの、青年たち。


若かった。
このまま、この本の終わりまで若ければ良いのにと思う。



彼らのうち何人かは金髪で、
端正な顔とすらりとした肉体を持ちながら、
女性として振る舞う。

文中では当然のように「彼女」と表現され、
一人称に「あたし」を使う。





男の肉体を持って生まれたふたり。


こうして、盗んだヒーターと、盗んだラジオと、盗んだ電灯の電線の這い回る部屋で、二人の同棲生活が始まった。 



その部屋にいるのは娼婦とヒモ。

コカイン、窃盗、情事と殺人。

生活の輪郭はぼやける。


私が愛した男たちは、世間でいう最下級のごろつきだった。




彼らを形成した、

子供時代の回想
ささいな瞬間

それが登場人物のものなのか、ジュネ本人のものなのか、読者のわたしたちにはまるで判断がつかない。

(判断つけたい方は次に「薔薇の奇跡」を読んでください。笑)



ジュネは付け加える。


なぜなら、思い出は軽石のような物質でできているからだ。






彼は操る。


おかまのディヴィーヌを

ヒモのミニョンを

殺人犯の、ノートルダムを

乱暴なミモザを

神秘的なアルベルトを



ありがちな
素敵な展開などは存在しない。



作者のジュネを含めた全員が行き来する。

刑務所とパリの街

過去の記憶





「いま」身を置いている現実は

そして、これから続く日々は、お前の人生を広くするというより、ただ長くするのだから。



残酷で、

美しく


私にはよく分かっている。
自分が病気になって、奇跡の力で治ったりしたら、かえって生きられないことを。
奇跡は卑劣だ。




奇跡など起こらない

そして、誰もそんなもの求めていない。


 




1940年代らしく、
パリの街に戦争の影がちらつき始めると

屈強な若者
ガブリエルが戦死する。

(ここで兵士にガブリエルと名付けるあたり登場人物の神格化を感じる...)




「マダム、若くして死ぬこともひとつの幸福ですよ。」




ええ。



im with u




幸福とは。






ノートルダムは聴く

それは悪魔の囁きか



はたまたギロチンの足音か



天使のように整った顔で


彼は言う

「僕は夢のような貧乏だった」





ごろつきだらけのパリの最下級

愛と憎悪と性と狂気

生と死

穢らわしい

美しい彼らの一瞬







こと細かにあらすじを語る必要はないと思い、
本文より個人的に気に入った文章や言い回しをいくつか紹介させていただいた。






「一緒にいて、お願いだ。大好きなんだよ、一緒にいて」





そこにはたしかに愛があった







はずだった。







本文引用はすべて
「花のノートルダム」光文社古典新訳文庫
中条省平 訳 より

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