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東京で匿名になるための待ち合わせ

東京へ来ると言ったら“消費活動”をしに来ることがほとんどだ。

進学、就職活動、転居、結婚、転職も全て地方田舎で行った私は、10代の頃は“東京”は憧れの土地であり、未知な場所だった。東京へ来るためには、大抵はイベント料金と同等、またはそれ以上の金額が交通費がかかるが、大人になった今では、お金さえ払えば気軽に来れる。高校時代に感じていた場所よりも、ずっと近くに感じる。お金を出せば、何でもできるんだと錯覚をする。10代の頃に東京へ行きたいと願っていた夢も、仕事やコミュニティの繋がりがなく、ただ“消費活動”を行いに来る場所となっている今では、定期的にイベントのために来る場所となり、夢だったのかさえ思い出せない。


ネットで知り合った人に、「あなたはもう少し気軽に東京へ行った方がいい」と言われた18〜19歳の頃は、とにかくお金がなかった。ブックオフで購入した洋服に身を包んでいたし、地方の最低賃金800円台のバイト代では、気軽にたくさん行けるような場所ではなかった。

彼女は、「東京はそんなあなたが思っているほどの憧れの未知な場所ではない」と、地方田舎出身者が日本において解放される最後の安息場所だと夢抱いていると同じように胸に抱いている私を諭すために、「あなたはもう少し気軽に東京へ行った方がいい」と話したのだろう。地方田舎の閉塞感に辟易としながらも、「もしかしたら最後に救ってくれるユートピア的な場所なのかも」と真意は定かではなくとも、お守りとして機能していたのは事実だ。解放される場所が“あるかもしれない”、そう思えるだけでも、東京は、地方田舎出身者にとっては機能を果たしている。それだけでも、思春期の閉塞感でがんじがらめになっていた、地方田舎の人の苦しさを緩和してくれていた。


大好きなバンドはツアーをしてくれるし、たいていのイベントは、地方においても縮小規模で行ってくれる。わざわざ行かなくても自分が得たい刺激は地方でだって可能だ。東京だって、年に最低一回は学生時代は行っていたわけだし、困っていなかった。大学進学で関東に出たいとぼんやりと思っていたが、10代の頃は“東京”に自分の存在を置くイメージを持つような余裕もなく、育った家庭環境でそれどころではなく、関東に存在している大学のパンフレットを取り寄せただけだった。パンフレットはすぐゴミ箱へ行き、選ぶ権利すら与えられず、選択肢にすら上がらなかった。気がついたら、願うことさえ奪われて、そもそも願っていた事実さえ消失していた。

東京に私の居場所はない。仕事をしているわけでも、身近な親族が住んでいるわけでも、とても仲がいい友人が住んでいるわけでもない。コインロッカーなんてどこでも空いているもんだと思っていた私は、東京駅でコインロッカーを求めて彷徨う亡霊と化している。人の多さと、地元では少なくなった若者が忙しなく沢山蠢いている光景が、対比をさせると行くたびに驚いていた。次第に自分も東京は所詮日本であり、人の多さと、選択肢の多様さが多く存在はしているが、普通の匿名の人として生活するのには代わりないように感じた。


東京は、私が住んでいる地方よりももっと薄く匿名になれる。山手線に乗車をしていると、自分の人生なはずなのに、自分がモブキャラように思える。この土地に私の物語はなく、寂しくもあるが、匿名でいられる心地よさに匿名を埋める。


東京で消費活動をし、そして日常に戻る。これを打っているひっきりなしに届く電車に乗車をしながら眺める東京は、たくさんの光が灯っていて、それぞれの物語があるのだと車窓から眺めて光を目で追い、物語に想いを馳せる。


東京に夢抱いていた10代の無知で未知数なあの頃の私の亡霊が、改札でモバイルSuicaをかざす瞬間、髪の毛を通って行った気がした。そして、わたしも匿名の波に一瞬だけ混ざり、すぐに離脱をして、消費活動をするときだけに接点を持つ。私の物語は東京には存在していない。いったい、私の物語はどこにあるのだろう。


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