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『判断力批判』から見えてきた”美しさ”【PhilosophiArt】

こんにちは。成瀬 凌圓です。
今回は、18世紀の哲学者、イマヌエル・カントが書いた『判断力批判』を読みながら、哲学とアートのつながりを探していきます。
この本を深く理解するために、全12回に分けて読んでいきます。
1冊を12本の記事に分けて読むため、読み終わるまでが長いですが、みなさんと学びを共有できればいいなと思います。

第10回の今回は、前回に引き続きカントの「芸術論」を見ていきます。

これまでの記事は下のマガジンからお読みいただけます。


『判断力批判』は、美しさを判断する力について議論しています。
これまでの内容を振り返ると、まず美しさを判断する趣味判断とは何かについて書かれていました。

その後、美を自然美と芸術美の2つに分けて、芸術は「美しい技術」だとカントは定義していました。
そして、この「美しい技術」芸術は、天才によってつくられるというのが、前回読んだ部分になります。

これを踏まえて、今回は芸術に含まれる美について見ていきます。

芸術における“天才”と“趣味”の衝突

芸術に対するカントの考えは「芸術は天才によってつくられ、趣味によって判断が下される技術」とまとめられると思います。

芸術に含まれる美は、天才と趣味のどちらがより影響を及ぼすのでしょうか。
カントの考えを見ていこうと思います。

美しい芸術について重要な問題となるのは、その作品において示されるのが天才であるのか、それとも趣味であるのかという違いである。このことは、美しい芸術においては判断力よりも、構想力が重要な役割を果たすのかという問題と、まったく同じことを意味している。ところで天才の才能が示される芸術作品はむしろ精神豊かな芸術と呼ばれ、趣味が示される芸術作品だけが美しい芸術と呼ばれるのがふさわしい。だから芸術が美しい芸術であるかどうかを判定する際には、そこに趣味が示されていることが不可欠な条件(コンディティオ・シネ・クア・ノン)になっているかどうかが、もっとも重要な問題となる。

カント『判断力批判』(上)(中山元 訳、光文社古典新訳文庫、2023年)
322 美しい芸術作品に求められる条件 より(太字は文献では傍点)

芸術には、天才の才能が示される“精神豊かな芸術”と、趣味が示される“美しい芸術”の2種類があるとしました。
このうち美しいのは趣味が示される芸術とし、天才が示されることよりも優先されていることがわかります。

カントは、判断力について議論するために芸術を取り上げているので、美しさを判断する能力である趣味の方を大切にするのは、少し落ち着いて考えると納得できるような気がします。

美しい芸術は3種類に分けられる

そして、カントは美しい芸術が3つの種類に分けられるとしました。

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