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「恵まれて育ったけど生きづらい」人へ

普通にご飯をご飯を作ってもらい、旅行に行くことも習い事に行くこともできた。特に裕福でなくても不自由なく、恵まれて育った。まして暴力など受けていたわけではない。

でも、とにもかくにもモヤモヤといつもどこか満たされず、焦りが消えない。悲しさや重苦しい気持ちに支配されている。人との距離感がうまくとれない、人の反応に非常に敏感、謎の心身の不調が消えないなど・・

一見、社会的に問題なくうまくやっているように見える人でも、強烈な生きづらさを抱えている人が多くいます。

それは一般的に言われる虐待とは少し異なる、「不適切養育」と定義されるかかわり方によって、トラウマティックなストレスを抱えている可能性があります。

■不適切養育って?

不適切養育は、マルトリートメント(マルトリ)とも言われ、WHOでも「チャイルド・マルトリートメント」として定義されています。

虐待との線引きが難しい部分もありますが、心理的虐待や性的虐待同様、明らかにやせ細ったり傷があったりするわけではないので気づかれにくく、何より本人も自分たちがされていることが「そこまで酷いこと」と認識されず、自分たちの家庭がおかしいということに長いこと気づかなかったりもします。

たとえばどういう関わりかというと、

・過干渉で子どものプライバシーを尊重しない、行動に過度に介入する、好みややりたいことを親自身の意向にすり替える ・兄弟や他の子と比較する・否定的言動を繰り返す ・思いやりのない、傷つけるようなことを言う・親の価値観を押し付ける

など。

より具体的な例は、花丘ちぐさ先生が著書で挙げられています。

これらは、事故や災害のように1回で大きな衝撃を残すことはありませんが、日常的に行われることで小さな傷が積み重なっていき、結果として大きな心の傷を残し、脳や神経系にも影響を与えることがわかってきています。「発達性のトラウマ」といわれるトラウマを抱え、気づいたときには心身のコンディションが不安定だったり、常に生きづらい感覚がある、という状態になりうるのです。

■もう一つの苦しみ

本当にひどい暴力やネグレクトなどの虐待は、生きるための土台となる要素を奪い人生を大きく狂わせうるもので、言うまでもなく大きな問題として厳然と存在しています。

ただ、不適切養育によるトラウマは、また別の苦しみをもたらすと思っています。それは「わかりづらさ」によるものです。

もしこれを読んでいる方で、

自分はいつもつらい、頑張っても満たされない。焦りが消えない。普通に明るい人としてふるまうだけで日々ぐったりしてしまう、心身の調子がいつもすぐれない。親に対する葛藤や複雑な想いにいつもエネルギーがからめとられている気がする。

ーでも、手をかけて育てられ、傍目には何不自由ない幸せな家庭だと思われている。

そういった方がいたら。その自分の感覚と、客観的には良しとみられるであろう環境とのギャップに苦しんでいるかもしれません。

自分が親のかかわりによってトラウマを持っていると自覚していたとしても、どこかで”自分が弱かっただけなのではないか”と思っているかもしれません。

他の人も、よかれと思って「そうはいっても、きちんと育てて教育も受けさせてもらったんだから感謝しないと」「許して前を向いたほうがいい」と言うことがあるかもしれません。実際にそのようなことで、二重に傷つくケースも多いと聞きます。

私自身も、この部分においては「共感と思いやりだけでは越えられない壁」の存在を認めざるを得ず、大きなショックを受けたことが何度かあります。

それをどこかで分かっているから、”なかなか打ち明けられない””辛かったと言いづらい”、という人もいるでしょう。

悲しいことに、この「わかりづらさ」がトラウマによって孤独感を抱きがちな人たちがより孤独を感じたり、自分を責める方向に向かわせたりと、さらに追い詰めうると思います。

■あなたは悪くない

でも、たとえそのようなことを言われたとしても、あなたは悪くありません。感謝できなくても、許せなくても、いいんです。それが、今のあなたの正直な想いであり感覚なのだから。沢山もがいて生きてきたことを、一番よく知っているのは自分のはずです。

しなくてはいけないことがあるとしたら、他者を許すことを急ぐこと。それができない自分を責めてしまうこと。

その前に、今、ここにあるどんな感情もそのまま許してあげてほしいです。とことんそれを受け容れてあげることです。

結果として、気持ちに変化が出たらそれはそれでよいし、また、そうでなくてもいい。

「親に感謝すべき」という他者からの言葉がけは、視点を変えさせてあげようという善意からの可能性があるのと同時に、またはその人自身が「感謝しなければ」「感謝するものだ」を無意識に自分に課している可能性も高いです。

それに引っ張られる必要はありません。

親子・家族問題に限らず、あらゆる「痛み」は100%他者と共有はできないし、比べるものではないはずなんです。痛みは、その人にとっては真実です。

本当の意味でそれを引き受けて癒すことができるのは自分自身なのだと思いますが、でも決して一人ではないということも伝えたいと思いました。

ひそかに苦しみを抱えて生きている人が、それを癒し、統合し、新しく人生を歩めること、、それは自分を裁き他者を裁く生き方から、自分と他者を愛する生き方に変わっていくこと。

それはその分、この世界が癒されることでもあり、一人でも多くの人がそのプロセスにのれるようにと願っています。









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