つぎに活かせりゃ in the night
小学二年のかけ算の文章題がSNSで話題らしい。答えが正しいのに「〈かける数〉と〈かけられる数〉の順序が逆で不正解になった」と、子どもに知らされた保護者が「いかがで SHOW?」と疑問を投げかけたのだ。
その文章題はこんな感じのものである。
「6人にゴディバのチョコレートを3箱ずつ配るとき、全部で何箱あればよいですか」
正解は18箱だが、計算式を次の(ア)のように書くと、採点する先生によっては正答にしないことがあるという。
(ア)6×3=18(誤) (イ)3×6=18(正)
恥ずかしながら正確に説明する自信がないので理由は割愛させていただくが、とにかく、式の立て方にはルールがあり、解答が正しくても計算の過程がルルー通り(ルール通り?)でない場合は、バツとされたり部分点しかもらえないことが「ありんす」ということである。計算過程を重要視して採点しているからだ。
こうして、結果のみで採点する先生と過程もあわせて採点する先生が混在すると、やはり採点もバラつくことになる。このような先生ごとの採点基準のオラつき・・・いや、バラつきが保護者に疑問を抱かせたものだから、「多様性を尊重するなら計算過程の違うものもマルにしていい」とか、「いや、ルールを守ることが大事なんだからバツだ」と議論を巻き起こしたのだ。けど。
もうさぁ~、正解でいんじゃ NIGHT?
小学二年なら年齢は6or7だ。その歳で「正解を正解扱いしてもらえない」という不可解な体験をさせられたら、やる気を失ってかけ算のことが大嫌いになってしまいかねない。もちろん、社会にある不条理を早くから学んでストレス耐性を高めていくべきだという意見もあろう。だが、ここはやはり、かけ算のことを好きでいてもらうことを優先しておき TIGHT。でないと、ゴディバのチョコレート3箱を6人に配るときに、全部で何箱あればよいか分からなくなってしまうではないか。ん、デメルのザッハトルテがいい?
それに、状況をこじらせるとかけ算だけでなくわり算までも嫌いになってしまいかねない。そうなると、次はデメルのザッハトルテ18箱を配るとき、1人に何箱ずつ配ればよいか分からなくなってしまうぞ。え、ヴィタメールのマカダミア・ショコラがいい?
とにかく結果として、算数そのものを嫌いになってしまう子が続出しかねない。仮にそうなると、将来スイーツを差し入れようと思ったときに、全部で何ダース買えばよいのか、1人に何ダース配ればよいのか、ちんぷんかんぷんになってしまうエグゼクテブ(ごめん、「ティ」が「テ」になっちゃうの)が大量に発生するだろう。これは由々しき問題である。つまり。
みんなぁ~、オヤーツの差し入れがもらえなくなっちゃうんだよ~!(「おやつ」の言い方が「スイーツ」!)
最悪、この不正解がきっかけで勉強そのものが嫌いになってしまうことだって無きにっしもあらずだ(今度は「ピアニッシモ」)。そんな事態を招くくらいなら、小学生の間はこの種の誤りには目をつぶって勉強イヤイヤ期をやり過ごしつつ、中学生になって物心がついたのを見計らって(ついたぞ~!)、「今すぐに理解してとは言わないけど・・・、あなたももうすぐ18だから・・・、選・・・、必・・・投・・・」の要領で指導すればよいのでは?(「選抜甲子園で必ず投球してね」じゃないよ)
まぁ、やる気があればいいってもんでもないけどねぇ。その証拠にこの作品をごらんな SIGHT。かなり前のめりで書いたものだが、文章のシッチャカメッチャカぶりが作品の完成度とやる気に関係がないことを証明しているだろ? ・・・だろ?(やめなよ、みんな返事に困ってるんだから)
担任してくれた先生たちは、こんなムダとも思えるやる気をビシッと守ってきてくれたわけだが、高級チョコを差し入れできる大人男子に仕上げ損ねた以上、意欲重視の指導方針は完全に失敗である(あ、決めつけた)。その方針が、人生を〈かけるもの〉や生涯を〈かけられるもの〉の判断まで誤らせたのだ(強引か!)。
したがって、計算の過程が間違っていたときの採点はだなぁ。
やっぱ、不正解にすりゃ in the night・・・あっ、いんじゃ NIGHT?
〔お詫び:担任してくださった先生方へ〕
自分の失敗を先生のせいにして めんぼく NIGHT
受けた御恩に今も感謝してます かたじけ NIGHT
もういちど生まれ変われにゃ ぜったいに
高い板チョコ くばれ NIGHT
銀紙みたいに かがやけ NIGHT
Ⓒ2023 Namio Kotori
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