心が窮地に立っている
生きづらい人が、自分が抱える生きづらさに、気がつくこと、は易しい事ではありません。
重々しさ、は感じています。
息苦しさ、も感じています。
何かに追われる様な、焦燥感も感じています。
しかし、生きづらい人の多くは、物心ついた頃には、既にその感覚が当たり前だった為に、
自分の心が窮地に立っている、という認識がありません。
もしも一度でも、満ち足りて、安心に包まれる様な経験が有ったなら、
今の重々しい感覚が、只事では無い、と判るでしょうが、
満ち足りた事が無いのですから、気が付き様がありません。
生きづらさ、を手放す道程で、場合によっては最もハードルが高いのが、
一番最初のこの、生きづらさに気づくこと、なのかも知れません。
気づき難さ、に拍車を掛けるのが、本当は苦しいのに、苦しくないフリをしてしまう、ことです。
苦しさがオモテに滲み出す人もいますが、
苦しい事を覆い隠す様に、元気を装う人、は少なく無いのです。
傍目には、快活、明朗にさえ見えます。
その明るさを、周りばかりでなく、自分自身すら、信じ込んでいる場合は少なくありません。
そうなってしまう原因を詳しくお話しする事を、今記事ではしませんが、
その人は、物心がついた頃には、本心を隠し、演じる必要性に迫られる環境に育ったものと思われます。
そうするうちに、本当の苦しいという感情を見失い、
演じている明るさを、本来の自分の性格である、と思い込んでしまいます。
ぱっと見は、明るく映るでしょうが、本人に自覚は無くても、
苦しさを隠して、無理に明るさを演じ続けていますから、
場の空気を読めない不自然な明るさであることが多く、
深く付き合った他者からは、敬遠されがち、です。
作ったポジティブの隙間から、本質のネガティブが透けて見える時、
健康的な心を持つ人は、距離を置きます。
初見では、底抜けに明るい様子だった人が、付き合ううちに、なんともウェットな性格に思えて来るのですから、距離を置きます。
このウェットさ、は何処から来るのでしょうか。
色々な要因が絡み合っていて、端的に言い表わすことは、難しいですが、
心に、確かな【自分】という意識が育っていない、とか、
心の内側に、自分には価値が無い、という信念にも似た強固な思い込みが有る、とか、
自分を嫌っている、とか
色々な事が、生きづらい人の心の中では、起こっています。
その結果その人の、心の構え、が、被害者の構え、になっている事が、ウェットさ、の原因だと思っています。
被害者の立ち位置に立ち、被害者の目線で見渡せば、世の中は、不平、不満、恐怖に満ちた世界になります。
恨み、妬み、にどうしても執らわれてしまいます。
恨んだり、妬んだり、するには対象となる相手が必要です。
恨み、妬み、に執らわれると言うことは、対象となる相手から支配される、ということです。
フォーカスは対象の相手に向けられ、自分の人生への参加意識は希薄になります。
結果として、いつもいつも、相手に絡みつく様なコミュニケーションになり、関わる人を疲弊させます。
どうせ自分は、あの人に比べて…、
いいなぁ、あの人は…、
アイツは許せない…、
フォーカスは、常に他者に向いていて、自分の眼の前の取り組むべき事が疎かになります。
人生の最初に、否定され、拒絶され、自分の感情を捨てて、親の感情を優先せざるを得なかった人が、生きづらい人です。
無力だった幼少期に、嫌と言う程、無価値だと擦り込まれた人が、生きづらい人です。
無力で無価値ならば強者の犠牲になり、加害する者からの被害に合うでしょう。
その人生の最初に擦り込まれた、被害者意識を持ち続ける限り、重々しく、息苦しい感覚は無くなりません。
被害者としての目線は、ネガティブな目線なのです。
被害者で居る限り、立っているのはネガティブな世界です。
ポジティブが良いこと、で、
ネガティブは悪い、ということでは、ありません。
人はポジティブ感情の分だけ、ネガティブ感情も持っています。
そして、ポジティブには自分を信じるストレートな力があり、
そこに立つ者は、
嬉しい、楽しい、好き、などなどあたたかくて、満ち足りた感覚を得ます。
ネガティブには追い詰められたからこそのパワーがあります。
火事場の馬鹿力もネガティブパワーです。
そこに立つ者は、
悲しい、怖い、寂しい、などなど、不足や欠乏といった感覚に包まれます。
例えば、同期入社の中で一番最初に役職に就くとか、
スポーツの大会でライバルを撃破して優勝する、といった、
短期的な事柄であれば、ネガティブパワーを好結果に結びつけることは、幾らでもあります。
アイツに負けてたまるか!はネガティブパワーです。
しかし、人生の様な長丁場を、アイツに負けてたまるか!という感情だけで乗り切ることは、困難です。
あまりにも苦しい人生になってしまいます。
長丁場は、ポジティブな感情に軸足を置き、
必要な局面でネガティブなパワーを使うことが、無理がない、と思うのです。
負けてたまるか、の一心で、
自分に鞭打つ様な人生は、
勝つ、ことはあっても、
豊かさ、や、満ち足りた感覚、とは、
縁遠くなってしまいます。
生き方に、善悪、正誤、優劣は無い、と考えます。
アイツに負けてたまるか!で生きる人生を択ぶのも自由です。
ただ、豊かな人生、を歩むことを願うなら、
軸足をポジティブ感情の領域に、
しっかりと乗せていたいものだと、
思うのです。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム
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