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慕うこの子を親はどう感じ取るか

幼い子供は無力です。
親がいなければ生きて行けない存在です。
だから、子は親を慕って慕って、慕い尽くす仕組みになっています。

幼い子供は真っ白です。
疑うべきもの、信じるべきものの選別は出来ません。
だから、子は慕って止まない親が発することなら何でも、どんなに理不尽でも、応えようとします。


心のこと、は全ての答えは自分の心の内にある、と思っています。

ただ、唯一違うのが、幼少期です。
子供は徹底的に無力な存在として、この世に生まれ落ちます。

生まれた時、赤ん坊は自分と他人の区別もありません。

生まれ落ちた時、肉体は誕生しますが、

心は愛情に包まれる中で、自と他の区別がついた時、

生まれると言って良いのかも知れません。

つまり、赤ん坊の白く柔らかな心の頃に起きた出来事だけは、赤ん坊には一切の責任は無い、特別な季節と言えます。

だから幼少期は、心のこと、を考える時、生涯に唯一、守られて然るべき時期です。

守るのは親です。

子供の幼少期の責任は、親にあります。

守られて育った人には、ピンと来ないかも知れません。

当たり前じゃないか、と思うかも知れません。

しかし、守られない子は、沢山います。

守られないどころか、親が自分の心から目を逸らす為に利用される子は沢山いるのです。

本来、守られるのが子供で、守るのが親、という仕組みなのですが、

子供は無力で親を慕う様に出来ているので、親が子供の慕う姿を愛おしく思うか、
それとも、何をしても慕うことを止めない子供の姿を、絶対服従の存在と見做すかで、

どの様な親子関係になるのか、が決まります。

親と子の関係は、親が子供をどう見るか、どう扱うのかで、いとも容易く書き換えられてしまいます。

親が子供に愛情を注ぐことが出来るほどに心が成熟していたならば、子供は愛に包まれ、守られる幼少期を送ることが出来ますが、

親の心が未成熟である場合、親は子供を絶対服従の存在、自分の感情のままに扱って構わない存在と見做し、

子供は親を慕う仕組みのままに慕い、親の感情のはけ口となり、親に抑え込まれ、振り回される幼少期を過します。

愛された子供の心には、自分の存在に対する安心感が育ち、
年齢が来れば、自発性や積極性を持って、人生を歩きます。

親の感情のはけ口にされた子供は、親の感情の趣くままに振り回されることで、心はその成長の足取りを停めてしまいます。

自発性や積極性は育まれることが無く、親の感情をキャッチすることに特化した受信機になってしまいます。

親の顔色を見て自分の感情までも、親の欲する感情に瞬時に切り替えます。

泣きたくても、親が笑うことを求めていると察するや、お釣りが来るほど快活に笑ったりするのです。

親の感情、機嫌をキャッチする感度が極めて高い超高感度の受信機になってしまいます。

親の感情を受け取ることに全力を傾ける幼少期を過すことで、心の成長は止まります。


先に触れた様に、幼い子供は徹底的に無力な存在であるが故に、親は絶対的に強者です。

そこに愛を注げるだけの、親の心の成熟が無い限り、親は暴君になってしまいます。

親が不機嫌な空気を醸し出すだけで、子供はあたふたと親の機嫌を取ります。

情緒が未熟で、無価値感が極めて強い親は、子供があたふたする樣に、自分の価値が上がった様に錯覚し、心地よいのです。

力関係が圧倒的なだけに、親の発する電波は強力です。

子供が超高感度受信機なら、さながら親は、強力過ぎる電波を発する発信機です。

発信機と受信機、主と従、強者と弱者のコントラストはあまりにも鮮やかなのです。

そんな幼少期を過した子供は、心に確かな【自分】が育ちません。

自分が無いと、自分の人生に起きる全てのことが他人事に思えます。

自分にリアリティが無く、感情が鈍麻します。

それが、生きづらい、状態です。


親が発する電波を拾うことに特化した受信機に、ならざるを得なかった子は、

心に、確かな【自分】という意識が育ちません。

この【自分】という意識は、
人生の主役です。
感情を感じる主体である、と言えます。

【自分】が満足に育っていないので、
人生の主役は不在なのです。

だから、自分の人生でありながら、まるで他人事の様に思えます。

感情は鈍麻します。
感情を感じる主体である【自分】が無いから、です。

人生が他人事で、感情が満足に動かない状態は、

砂を噛む様な虚しさです。

現れ方は様々で、虚しさがそのまま周りから見て取れる、無気力な子供であったり、

反動形成的に、感情豊かなフリをする子もいます。
感情豊かな子供を装っても、実際には感情が動かないのですから、

フリは、どこまで行っても、フリなのです。

無気力な子も、感情豊かなフリをする子も、心の中は虚しさでいっぱいです。


親の心が健やかであれば、

健やかな親子関係が出来上がります。

健やかな親子関係に育まれた子は、

健やかな人に育ちます。

子供の心が危機を迎える時、

親が危機的な心の有り様なのです。

親が自分の心と向き合い、自分を救うことが出来たなら、

子供はきっと健やかな心を取り戻します。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム





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