フュリオサとマッドマックス
はじめて同じ映画を映画館で複数回観たのが、マッドマックスだった。
正式名は「マッドマックス 怒りのデス・ロード」
原題は”Mad Max: Fury Road”
マッドマックスシリーズの4作目だったらしいのだが、新作が27年ぶりとかで、自分は4作目からいきなり映画館で観た。
そして、ドハマりした。
IMAXでもう一度みて、爆音上映でまたみて、サブスクの配信でもみた。
(日常生活で乗用車の後ろにV6と書かれているのを見かけると、心の中のウォーボーイがV8!V8!と言い始めるくらいには、夢中になっている)
その新作が上映されると聞いて、封切り後すぐに映画館で観てきた。
記憶が新しい間に、ネタバレ全開の感想を残しておく。
映画を観ていない人には意味不明かもしれないが、
"Witness Me!"(銀スプレーを口に吹きかけながら)
「マッドマックス 怒りのデス・ロード」
まずはこの映画の話をしたい。
公式サイトのあらすじはこんな感じ。
舞台は戦争を繰り返した末、荒廃した世界。主要な場面はほぼ砂漠。略奪は当たり前で、資源を暴力で奪い合うことが日常化している。
主人公のマックスはあまりしゃべらない。荒野を歩くトカゲを踏んづけて食べる。飢えてるのかワイルドなのか。過去の幻覚や幻聴に悩まされている。意味ありげな少女の幻覚が出てくるが、映画の本編では回収されていない。(まだ見ていない過去のマッドマックスとの関連なのかも)
主人公は物語の冒頭で襲撃を受け、逃げようとするも失敗し捕まる。上半身白塗りのウォーボーイの血液供給袋の扱いを受ける。そのウォーボーイはニュークスという名で、自分で血液を生成できないため死期が近いようだ。汚染による疾患や栄養失調のせいで、まともな子どもが生まれず、みんな痩せており苦しそう。
彼らは、イモータン・ジョーを崇拝し、V8!V8!と言いながらエンジンを愛し、ハンドルを祭壇のように奉る。
このイモータン・ジョーのビジュアルが最高で、荒れた肌に白い粉をかけ透明な筋肉スーツ風の鎧で隠し、オープンカーのほろのような人工呼吸器をつけている。
全体的に狂いまくった登場人物が入り乱れるアクションだらけのロードムービー。セリフは最小限で、強烈で独特な映像だけで説明する。世界観の設定はあるが、わざわざ全てを説明しない。
マックスの無骨な奮闘&フュリオサたちの逃亡・帰郷
ニュークスの成長。
君臨するカリスマ的強敵のイモータン・ジョー。
個性が強すぎる一発屋芸人の集まりみたいな幹部たち。
変態乳首坂係長みたいな人喰い男爵、
失明のショックで銃を乱射してた割にマックスとの戦闘シーンをカットされた瞬殺の武器将軍。
印象的なシーンもいくつかある。
役目をなくしても回り続ける人工衛星を見て、昔は全世界で通信できたことや、テレビ番組を配信してたらしいってことを荒廃した砂漠で語らう。これは、資源を使いつくそうとする現代人への皮肉にも聞こえて最高にSFだった。
竹馬みたいなのに乗った人たちが暮らすカラスだらけの沼。荒れ地。
そこがかつての緑の地だったとわかる伏線回収。土壌汚染によって、自然が失われ結果的に人々が貧しくなっていくのがわかる。
この映画の主人公はおそらくマックスなのだが、一番盛り上がるのはウォーボーイズのニュークスの最後の活躍シーンだろう。
何度も失敗し、死のうとしても死にきれず。価値観を塗り替えてくれる女性とも出会えたニュークスが、イモータン・ジョーでない人間のために"Witness Me!"する。あのシーンでこの映画が爆発し、そしてそれによってこのロードムービーのストーリーが終わりへ向かうのだ。
「馬鹿野郎!」と叫んだら車を走らせてのやりとりがある序盤の谷のシーンでは、名乗らなかったマックスが、瀕死のフュリオサに「俺の名前はマックスだ"My name is Max!"」って言うシーンも熱い。
カーアクションも、ギターから火を噴きださせる目隠しギタリストも、戦闘をもりあげる大太鼓も、長い棒をしならせながら降ってくる敵も、爆弾をくくりつけた投てき槍も、とにもかくにも最高なのだ。
「英雄誕生譚(貴種流離譚)など世界各地の英雄神話を研究した神話学者ジョゼフ・キャンベルによる著書『千の顔を持つ英雄』をテーマとしている」というのも納得のすばらしい作品だ。
で、
新作映画「フュリオサ」のこと
今回の新しい映画は、マッドマックスと同じものを求めてみると物足りない。物語の前日譚として、あの名作の補足と位置付けるならば十分楽しめる内容ではあるが、狂気とカリスマ性には欠けるところがある。それもこれも前作が偉大過ぎるのだ。
怒りのデスロードの最高の前菜ができた。それを喜ぼうじゃないかと熱弁したい半面、前菜だけで楽しめるかと言われたら微妙と言った仕上がり。
それもこれもデスロードを敬愛しすぎているが故なのだが。ミロのヴィーナスに腕をつけちゃったような、ヘビに足かいちゃったような、余計な事した感もぬぐえず。水彩画で背景がはっきり描かれすぎてるとリアリティを失うみたいな講評があるけど、今作もその感じがある。語られぬまま想像に任せた方が良かったところを説明してしまったという残念感。「秘すれば花なり」だったのに。
マッドマックスの新作を期待して観ると前作ほどの高揚感と刺激は得られず物足りなく感じるが、怒りのデスロードの追加コンテンツやDLCとして観るなら満点に近い。前作では語られなかった世界観の掘り下げや説明があったし、映像としてもストーリーとしてもそれなりの強度があるものだった。復讐もの、成長ものとして定番すぎる傾向にはあるけど。
なぜそう思うのか自分なりに考えてみた。
まず、前作をしっかり見過ぎていたせいで、ネタバレというか、展開が分かっている場面がいくつかあった。
フュリオサの母は「三日後に死んだ」と前作で仲間と再会したときに言ってたから、母は死ぬんだろうなとか。
フュリオサは前作で片腕がなかったから、どっかで腕をなくすんだろうなとか。
この話の未来を前作のデスロードで知っているだけに、絶対に死なないキャラはいるし、あの医者はイモータン側に来るなとかがわかる。
回収すべき伏線があるために、展開が読めすぎて全然マッドでもマックスでもなかった。既定路線ロードになってしまっている。線路を走っちゃったら、それは電車なのだ。マッドマックスなら行き先不明で、危険だらけの荒野を突っ走ってほしかった。
あと、クライマックスの復讐のシーンの冗長な感じも観ててむずがゆくなった。連ドラの最終回の尺の取り方みたいで(連ドラを貶める意図はない、連ドラはセリフで説明し、映画は映像で説明することが多い傾向にあることを言いたい)。
自分の知っているフュリオサはあんなにダラダラと殴ったりしゃべったりしない。入念に練られた拷問を無言でし続ける。
少なくともマックスならそうする。
ドライでハードボイルドであって欲しかった。
「私を覚えてる?"」Remember me?"の一言で十分。
だってイモータンの死の時はそうだっただろ。
ロックンロールを聞きにいったら、フラメンコが始まってしまったみたいな。期待してた味付けとは違うものが出てきた。
緊迫感のある場面がないわけではない。
遠距離から誘拐犯を狙撃するシーンや、バイクでの八つ裂きシーンはMADな暴力性と緊迫感があった。
フュリオサが乗り込んだタンクローリーが敵襲を受けたときのカーアクション。
でも足りない。Maxには程遠いMad加減だ。
デスロードの映画の方では、弾薬畑も、ガスタウンも、緑の世界(汚染前)もセリフでのみ登場し、本編では一秒も出てこない。語られぬことによって完結していた世界を、映像化してしまったが故にほころび始めてしまった。
弾薬畑は、どのように弾薬を製造していたのか。火薬の製造、金属加工があの鉱山みたいなところでできるのか?イモータンジョーのいる崖の上の畑の野菜と、母乳だけであれだけの規模と人数の胃袋を賄えるのか、とかいろいろ考えてしまう。
ラーメン二郎をモリモリ食べるぞと言う気持ちで店に入ったらコース料理が出てきたみたいな。こっちはジャンキーでマッドなラーメンを飽きることなく腹いっぱい食べるつもりで来てるのに。
まさか起承転結でまとまってる皿が分かれたコースが提供されるなんて。しかも一皿の量も上品。
①緑豊かな約束の地のリンゴ、砂漠で握りつぶしコンポート
(「同じ母親」だからってあっさり逃がしちゃうなんて、せめて連行して逃げようとしたら処すくらいのことはして欲しかったな。ストーリー上、フュリオサの母親の死が必要だったとしても)
②ディメンタス、バイクで手足を八つ裂きに、ぬいぐるみ好きのベン・ハー風三連バイク
(あの古代ローマ兵のチャリオットみたいな三連バイクはかっこよかったけど、みんなでバイク吹かす威嚇は暴走族の集会みたいだった)
③身体に文字刻む心優しき賢者が導く、故郷への帰り方
(敵にいる人質だから仕方がないけど、理性がありすぎる。ディメンタスの幹部がみんなモブキャラ感が強すぎてMAD不足を起こす。もっと一発屋芸人みたいに濃いビジュアルを)
④あっさりガスタウンを奪われちゃう壁画おじさん
(門を開けるのが早すぎる。もっと違和感を大事にして!死亡フラグの「何だ猫か」みたいに、あっさり開門しちゃダメよ、大事な拠点なんだから)
⑤採掘現場感強めの弾薬畑、囚われのジャックとフュリオサ
(どうやって弾薬作ってるん、火薬を掘ってるの?鉄を掘ってるの?どこで加工してるの?弾薬畑とはいえ、果実のように生えてくるわけではあるまいし。フュリオサの片手を失うシーンはかっこよかった。)
⑥オンボロのフュリオサ号、長めのディメンタスとのやりとり
(シュガーラッシュでヴァネロペが手作りしたみたいなオンボロのフュリオサ号。三方向に分かれた時点で替え玉は予想できたし、ディメンタスがフュリオサの母を覚えていないにしても「お前は今まで食ったパンの枚数をおぼえているのか?」並みのジョジョ感のあるセリフが欲しかった)
上品すぎる、綺麗にまとまりすぎている。
全然狂ってない、むしろ理性がある。
味も予想を超えてこない。
「何だよおもしろくなかったのかよ。」と言われそうだけど、感想としては「おもしろかった」になるから不思議。
アクションシーンは間違いなくマッドマックスだった。でもマッドマックスじゃないシーンも半分くらいあったのだ。そのシーンも一般的な映画としては悪くない出来。
何だろう。スターウォーズのエピソードワンを観たときの感覚に近い。
その先を知っているからこそ楽しめるけれど、その先の作品の興奮を知っているからこそ、もっとすごいのを求めてしまうみたいな。
ハードルを上げすぎてしまったというのもある。
宮崎駿作品を期待して「ゲド戦記」や「猫の恩返し」を観ちゃったときもこんな感覚だった。おもしろいし、悪くないんだけどクジラを見るつもりだったのに、熱帯魚しかいなかったみたいな。「熱帯魚もカラフルできれいだし、形もいろいろ違ってていいよねー(でも思ってたんとちがう)」という。そんなそこはかとない空振り感があった。
サービスショット的な感じで出てきたマックスの後ろ姿がすこし寂しそうに見えた。たぶん気のせいなんだけど。
まあいろいろ書いたけれど、配信が始まったらもう一回見たい。
また印象が変わるかもしれない。
そしてそのままぶっ通しでデスロードだ。
V8!V8!
"Witness Me!"(銀スプレーを口に吹きかけながら)
(爆風と砂嵐の中に消える
きっとヴァルハラ(英雄の館)に行ったのだ)
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