2030年のビジネス-「お客様は神様」ではなく「イコールパートナー」
前回、売り手と買い手が同じ立場に立つ、ということを書きました。
信頼関係から成り立っていた物々交換
そもそも、モノの売り買いが本格化したのはいつの頃でしょうか?
モノの売買自体は「お金」が生み出されたことに始まります。それまでは、物々交換をしていたわけですね。
そこにあったのは、欲しいモノを持っている相手、そして、その相手と自分との信頼関係だけです。
信頼できる人でないととても、大切なモノの交換なんてできない。
しかし交換の相手はそもそも自分の住んでいる地域の中にいましたので、相手の評判もわかっていますし、その人間関係の中で信頼を形成することもできていたわけです。
「モノの交換」から「モノの売買」へ
いわゆる「貨幣の誕生」にはさまざまな理由が指摘されていますが、そのひとつとして物々交換は面倒であり、お金という共通の尺度があればお互いの手間がかなり省けて便利になる、ということも当然あったでしょう。
さらに、貿易をするようになってくると、相手が見知らぬ地域の人という、ことも増えてきました。狭い地域での信用を超えて、信用できるかわからない相手との取引にも、お金は便利です。
そんなふうにして、「モノの交換」から、お金を媒介とした「モノの売買」が始まりました。
「売り手主体」のビジネスモデルの限界
こうして始まった「モノの売買」は、現在どうなっているでしょうか?
僕たちは、資本主義の下、モノを売買をする社会に生まれて、これまで生活してきました。「売り手」と「買い手」がいる社会です。
「売り手」はモノの価値をアピールして「買い手」に買ってもらう、という体裁を長年とってきました。「お客様は神様です」という言葉まであるくらいです。
ただ、下の記事でも指摘しているように、これまで機能してきた「売り手主体」のビジネスモデルは変革を迫られている、それが現状です。
モノの売り買いは今でも等価交換
冒頭から述べているように、売買とは、元々「モノの交換」、つまり等価価値のモノの交換が始まりなのです。モノを交換していた時代には、当然、「売り手」と「買い手」という概念はない、なぜなら等価交換ですから…。
今一度、モノの売り買いを考えてみると、それは、過去とは違うものなのでしょうか?
僕はそうは思いません。モノの売り買いは今でも「等価交換」なのではないか、と思っています。
僕は仕事で、例えば、業務委託したからといっても、相手先を「業者」扱いすることには、大きな疑問を感じます。
なぜなら、「買い手」が偉いわけではないと僕は考えるからです。
僕は「等価交換」していると思っています。
つまり、僕はある価値を「売り手」から得る、その価値に見合った対価をお金で渡す、それだけです。価値とお金を交換しているだけです。
ですので、僕の中には、もともと、「売り手」と「買い手」の概念は稀薄であり、「買い手」が「売り手」より偉いわけでもなければ、「神様」でもないと思っています。
取引先は「パートナー」
僕は、モノやサービスを購入する取引先を、「売り手」ではなく「パートナー」と捉えています。相手組織の規模の大小問わず、です。
ですので僕は、取引先に、「『お客様』ではなくイコール『パートナー』として考えていますし、こちらのことも、お客様扱いしないでほしい」、とお願いしています。
そして、「パートナー」として対等な立場で、同じ目的のために一緒に仕事をするというスタンスを貫いています。
僕の中には「売り手」が「買い手」のコミュニティに入り込み、一体化してパートナーとして協業するという概念があります。
物々交換時代への原点回帰
見てきたように「売り手」と「買い手」の壁が本来なかったことを考えると、これは、ただの物々交換時代への原点回帰にすぎないことになります。
こう言うと、「『お客様は神様』と思って接客するのはよくないのでしょうか?」と聞かれます。
いえいえ、ダメではありません。ただ、「売り手」と「買い手」がイコールパートナーとなる唯一の方法、それは、売り手が買い手の求める「価値」に見合った、等価な「価値」を提供すること。それが、何よりも大事です。
つまり、接客や顧客に対する想いだけではダメ、ということを言ってるだけです。
買い手は売り手に等価交換を期待している
顧客提供価値が支払うお金と対等になれば、それは等価交換であり、「買い手」は、「売り手」に、それを期待する時代になりました。
だからこそ、提供価値を求め、「買い手」は「売り手」に対して、特にZ世代は厳しくなってきているのです。
ではどうすればいいのか?のシンプルな答え、それが、僕の言っている、等価交換の時代に立ち返ることです。
すなわち、売り手と買い手の壁を崩し、イコールパートナーとなること、なのです。
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