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格闘技選手をみて学んだ人生をタフに生きるコツ

縁が切れることに、どうもネガティブなイメージをもつ人が多い。この世の終わりなんじゃないかってぐらいに絶望してみえる。でも、もっと気楽に考えてみてもいいんじゃないのかな。縁が切れちゃったけど、またどこかで再会するかもしれないし、それまでまたねって思うとかるくなれる。友達や家族など親しい関係性を持てば、必ずと言っていいほどトラブルは付き纏ってくる。いま幸せでも、2年後3年後、どう転ぶかはわからない。でも、いつかはお互いに許し合える日が来たらいいよねってぐあいに、前向きに捉えてみるのも大事だ。

これまで生きてみて、人間関係でのトラブルが滅多になかったのは、そういった関係性を築こうとしなかったからだと思うし、仲良くなれて壊れてしまっても、しゃぁないかって開き直れたからだと思う。そりゃあ誰だって傷つくし、痛みはあると思う。ずっしりと構えて、すべてを受けとめるぐらいの体勢がつくれなくてもいいし、諦めてしまうことがなにより一番ラクだった。


毎度、青木真也選手の格闘技試合をみるたび、こんな生き方、自分もしてみたいなって強く思う。強い自分も、弱い自分もすべてを曝け出して、思いっきり自己を表現できる姿は、じぶんが理想とする姿だし、だからこそ観客は青木真也さんに魅了されるのだと思った。

同じ言葉であっても、ひとによって重みが全然違うのは、そのひとの背景だったり、どんな人生を歩んできたのかよく知っているからだと思う。

その人だから響く言葉ってあると思っていて、「大丈夫」という優しい言葉でも、痛みをしっかりと味わってきた人が発するものと、そうでない人がいうものとでは、受け手がもつ印象は異なると思います。これは、受信者側に発信者への理解があり、背景を知っているからこそ、言葉としての説得力が増し、ダイレクトに気持ちが届くのだと思っています。ファンを獲得するうえで重要なのは、如何に作り手と受け手との間で共通項をつくり、共感性を高められるかだと思う。


ドラマチックな人生を描けなくても、一人のひとりの人生は面白く、貴重なものだと思ってます。「できないこと」にはできないと潔く諦めるし、抗おうとして、体調を崩しパンクするのはいつものことなので、身の丈にあった生き方をするのがベストだと、自分に言い聞かせております。

こうやって文章を書くことも、「好きだから」だけでは続いていかないと思うし、十分なインプットがあるからこそ、アウトプットできるのだと思っています。それだけ毎日、たくさんの「情報」を摂取するのだから、しぜんと表現したい欲求はメラメラ上がっていきます。

文章を執筆している時間はびっくりするぐらいなんにも考えていなくて、無心でいられることに最近、とても驚いています。思考の整理とかではなく、シンプルに無駄なことを削ぎ落としていくような感覚です。

過去の失敗とか恥ずかしい思いとか、つらい後悔とか、そういった心の奥底から湧き上がってくる感情をかき消そうとせず、そのままじっくりと味わうことで、深みが増すし、自分と向き合えるようになります。


基本的にSNSは見ないようにしているし、必要最小限に抑えています。ほとんどふれない日もあるぐらい、のめり込むと抜け出せなくなるし、不幸になる構造が目に見えるので、やらない方が幸せになるのは間違いないと思います。

よく昨今だと、孤独な時代みたいに表現されますが、スマホで誰かと繋がろうとしている人が増えているのもこれまた事実であり、マッチングアプリが普及しはじめたのも、それに関係があるのだと思います。全く見向きもされなかったものにスポットライトが当たることで、生きづらさや苦しみなどが可視化され、誰かに見つけてもらうことで、ちょっとずつ個性として受け入れる社会になっていったのが現代なのかもしれません。

いい時代だなという人もいるけれど、逆に、誰しもがSNSで発信する以上、炎上するリスクを抱えなければいけないのは、とても恐ろしいことだと思うし、オリンピックをみていても、散々な誹謗中傷で溢れかえっているのは、10年前では想像もできなかったと思います。これからも増えていくだろうし、なんだか切なく悲しい気持ちになります。

表現者であるならば、多少の批判があっても仕方ないとはnoteを書いていても思うけれど、知名度が上がれば必ずしも幸せになれるとは限らないし、逆に、ほそぼそと小さなコミュニティで活躍できる方が幸せだと感じる人もいると思います。


なにが幸せなのかわからないから視界がぼやけてしまうのであって、みんながみんな良しとする流れに乗ってしまうと、あとあと後悔する結果が待っているので、自分が思い描く人生を望むのならば、他人がいてもブレない軸と努力が必須になってくると思います。

もしかしたら、自分と価値観が合う人が全くいなくて悩んでいる人がいるかもしれない。でも、コツコツとなにかしら積み上げていれば、おのずと道は開かれていくし、ステージが上がるにつれて、人間関係もアップデートされて、「こんな生き方もあるんだ!」って価値観が変わることもあります。

努力が全てではないけれど、行けるところまで行ってみようと必死になって打ち込んだ経験は、今後生きていくうえで必ずしも役に立つと僕は思うのです。

学校の中にいると、人間関係が極端に狭くて、社会にでてもこんな感じかって絶望するときがあるかもしれないけど、そんなことはないし、世の中におもしろい人って、たくさんいますから、絶対に大丈夫です。なにかを大きく変えたいって思う時って、努力するのも大事だけど、一番は”環境を変えてしまう”のが手っ取り早いんですよね。

人生一度きりだし、自分の可能性をすべて使い果たして、やりきったって思えたなら、もう死んでも後悔はないんじゃないかなって思う。無理せず自分のペースでコツコツやっていきます。

それでは、今日も一日頑張っていきましょう。

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