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これからの人生について

心理学の研究者になりたかったけど、現実はそうも簡単にはいかなくて、哲学者みたいな人生は歩めなかった。数学が好きで、解けたときの「気持ちいい」という感覚がいまでも忘れられない。ひとに合わせたり、ひとといっしょに「しなければならない」のが、いつもしんどくて、ひとりでも「できる」ことを仕事にしようと思っていた。

自分の場合は、やりたいことも、なりたいものも全くなくて、なろうとしてなにかになれた経験が少ない。将来、「こうなりたい〜」と夢を熱く語れる人はつよい。研究者の道に足をツッコんだのも、やりたいからではなく、やれるのがそれだったから、だけだと思う。昔から変わっていないけど、やりたいことなんてきっと死ぬまでみつからないのだと思う。「やりたいこと」「なりたいもの」が全くないのが、じぶんにとってはコンプレックスで、べつに書くことも好きっちゃ好きだけど、それを仕事にしたいかといわれると、クエスチョンマークがつくんですね。だから、趣味と仕事みたいに区別する感覚がなくて、特別こだわりもない人生なんですよ。

人間関係もいっしょで、メチャクチャ惹かれることも、嫌だなと感じることもあんまりなくて、人と深い関係性をつくらずに生きてきたから、「このひとに好かれたい」とか「このひとには嫌われたくない」って、深刻に悩むことも少なかったんだと思う。人に対する嫉妬や恨みといった感情すらもわいてこない人間なので、他人と比較してひどく落ち込んだという過去も少ないし、「見返してやろう」「超えてやろう」みたいに原動力が発生することもなく、いつのまにか燃え尽きてしまい、諦めることは多いです。

研究者の道に進むと、学会でプレゼンしたり、人前に立つ機会は増えるのですが、それですらも、この人に評価されたいみたいな心理が全くはたらかず、競争意識が生まれてこないので、正直ヤバいんじゃないかなって、最近、深刻に悩んでるんですよね。とはいえ、見方を変えれば、承認されたい欲求が人一倍よわく、影響されにくい人みたいに、弱みをつよみに転換することもできるので、いまのまま変わらなくてもいいのかなって気はしてます。

世の中の流れ的に、やりたいことをみつけるのが良しとされる風潮があるけれど、自分みたいに「やりたいこと」をみつけず、ただ今あるものを続けながら、淡々と積み上げていくみたいな生き方があってもいいのかなって思いました。やり続けてれば、競争相手もいなくなっていくし、多くの人は継続することができないと知っているので、最後までやり続ければ、勝てると思ってやっています。死ぬ気でやらず、死なないように、これからも生きていきたいですね。

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