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オーストラリアで「結婚しても別姓」を選ぶカップルが増えてきているらしい

以前、オーストラリアの事実婚や法律婚について夫婦・パートナー間で「苗字を統一してもしなくてもOK」という話を書いた。かくいう僕も、パートナーと別々の苗字のままでいることを選んだ1人。オーストラリアでは制度上、姓を同じくする・元の姓のままでいるの両方の選択肢があるが、実態は「女性が男性の姓に変える」ことが一般的だった。しかし最近、変化が出てきているようだ。

伝統とは違う選択

公共放送ABCの記事によると、オーストラリアのあるマリッジセレブラント(結婚手続きを取り仕切る役職)は、近年担当したカップルの「3分の1弱」が「伝統とは異なる道を選んでいる」と話しているという。大規模な統計データはまだないようだが、現場の肌感覚が世の中の動きを最もよく捉えているのは間違いなさそうだ。

ここでいう「伝統」とは、女性が男性の姓に変えることを指す。つまり、伝統と異なる選択をするということは、結婚後も女性は女性の苗字のまま、男性は男性の苗字のままの、夫婦別姓ということだ。

上の記事では、外国生まれの両親を持つ女性が、自分のルーツの証拠である苗字をキープしたい、という思いを理解してくれる男性と結婚し、夫婦別姓を選んだ例がまず挙げられている。移民の多いオーストラリアならではの分かりやすい例だ。

同性同士とおぼしきカップルが別姓を選んだ例もある。オーストラリアでは数年前に女性同士・男性同士の結婚が法律化されたので、同性カップルも法律婚と事実婚を選べるようになっているのだ。上の記事では、彼ら・彼女らが特に同性か異性かに触れていないのも、オーストラリアらしいというか、現代の世界標準だなと感じる。

苗字、本当に変える必要ある?

とはいえ外国生まれではなくても、苗字は祖先や土地の歴史を示すものでもある。苗字が変わることを想像すると、自分をつないできたものと切り離されてしまうように感じる人もいるかもしれない。

苗字には、自分と家族とのつながりを表すという側面も。だからこそ、家族が生まれたての自分に名付ける時に苗字との相性も意識して決めてくれたであろう下の名前を、元の苗字と切り離してしまってはバランスが悪くなるのではという懸念もある。

そんなに難しく考えずとも、物心ついた頃から慣れ親しんできた自分の氏名に愛着や慣れがあり、「深い理由はないが変えたいとは思えない」「変えるなんて面倒だ」という僕とパートナーのような人もいる。自分たちが苗字を変えるメリットもとりたてて思い浮かばない。苗字が違っても僕らは互いに認め合い、社会から認められたパートナーだ。

もし苗字を変えたら、銀行口座やらパスポートやら免許証やら、山のような変更手続きの大変さも想像に難くない。

カップルのうちどちらか1人だけがそういった心理的・物理的な負担を背負うのは、少々不公平とは言えまいか。法律で夫婦同姓が強制されていないとしたら、苗字を変えるメリットとデメリットを秤にかけ、それでも全員が伝統に従って同姓を希望するとは思いにくい。

幸いオーストラリアでは結婚の際に苗字を変えるか変えないか自由に選べるよう法的に認められているので、夫婦間で苗字が違ったからといって何も困ることはない。日本でいうところの「選択的夫婦別姓」というやつだ。子供を持っても、両親の苗字が異なることによる不便は特にない。

事実婚の場合はどうなる?

さんざん「結婚」を例に書いてきたが、日本でいう事実婚に近いオーストラリアのディファクト制度でも、もちろんパートナーとの同姓・別姓のいずれも選択可能だ。厳密には日本の事実婚と異なり、ディファクトは法的手続きで、各州の役所に届けを出して認められることで成立する。

僕はパートナーとディファクト関係にあり、苗字は別々。そもそもディファクトをする前、今後2人で共に生きるにあたり「苗字を統一するか否か」を念のため話し合ったが、「苗字を統一する必要性を見いだせない」と意見が一致した。よし、では苗字は別々のままでいこう、もし何か不便が発生したらその時に再度検討してもいい、ということで落ち着いた(オーストラリアの制度では結婚・事実婚後に苗字を変えることも可能だ)。

それから数年。不動産の契約も、パートナービザの取得も、郵便物の受け取りも、苗字が異なるからといって何一つトラブルが起きたことはない。僕とパートナーは法律が認めるディファクトカップルであり、家族だ。

苗字を統一していないから関係性が希薄だとか、2人の関係が本物でないなどと他人から誤解を受けることも全くない。それくらい、オーストラリアでは苗字の違うカップルや家族は珍しくない存在なのだ。

僕らに限らず、周りのディファクトカップルからも特に不便があると聞いたことはない。オーストラリアでは、誰が結婚していて誰がディファクトしているかなんて気にしないし、どちらの手続きもせずに長く同棲している事実婚カップルもいる。関係性も苗字の統一する・しないも、重要なのは「本人たちが納得しているかどうか」だけだ。

日本の選択的夫婦別姓の議論

夫婦別姓が法的に認められていない日本で、夫婦「同姓」を重んじる人の意見を聞くと「昔からそうだから」「結婚した実感が得られるから」「法律が認めていないから」という声が多く、論理でなく昔から続く伝統を重んじること自体が好みなのだなという印象を受ける。その人たちは、自分の好みに合う選択の結果として、夫婦同姓を受け入れているのだろう。好みの問題ならば、それはそれで構わない。

ただ、自分の好みを人に押し付けるのは筋違いだろう。家族や近しい人であっても、自分以外は他人で、自分の好みが尊重されるのは他人の好みも尊重されてこそ。他人の人生に自分の好みを押し付けることなく、夫婦同姓にしたい人も、夫婦別姓にしたい人も当たり前に自分好みの選択ができる「選択的夫婦別姓」ができる世の中になればいいなと願う。(というか、人に自分の意見を押し付けないのは、テーマを問わず社会のマナーであるはずだ。)

「昔からあるやり方」が正しいとは限らない

日本であれオーストラリアであれ、「結婚=姓を統一」という制度の背景にあるのは、家父長制の伝統だ。

しかし、「男性を中心とする家があり、女性や子供はその従属物」という考え方は現代ではもはや実態を伴わないに等しい。家父長制がもはや時代に合わない無用の長物である以上、それに基づく制度や慣習も変わる時が来ている、ということだろう。

上の記事で、女性アスリートが「(苗字を統一する伝統は)女性が誰かの所有物だったという背景があるから。私はそれに共感できない」と話し、別の女性は「家父長制の伝統に賛成していない」と言って伴侶と別姓を選んだ。僕も個人的に男女を不平等に扱う家父長制の考え方には反対で、その片棒は担ぎたくなかったし、オーストラリアに夫婦別姓の選択肢があったことで随分気が楽になった。

議論が俎上にある以上、いずれは日本も選択的夫婦別姓に変わるのは目に見えている。もはや早いか遅いかの時間の問題でしかないだろうから、早く姓の統一と結婚がイコールでなくなり、選択の自由が増えるといいと思う。



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