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オーストラリアで事実婚(ディファクト)をして気づいた日本との違い

僕とパートナーは、シドニーで数年前にディファクト(De facto)の手続きを行い、別姓のまま家族になった。ディファクトはいわゆる「事実婚」のことで、法律婚(結婚、婚姻)とは異なるが、日本の事実婚とは制度上も大きな違いがある。ディファクトで、苗字や法的権利がどうなるか、日本の事実婚と比較しながら説明してみたい。そして、2017年に法制化された「同性婚」についても考えてみる。

そもそも婚姻と事実婚はどう違うか?

オーストラリアには結婚(婚姻/marriage)とディファクトの両方が、法律に基づく制度として存在する。ただし、結婚が国で共通する一つの手続きであるのに対し、ディファクトは州ごとに管轄されており、西オーストラリア(SA)州だけはディファクトの登録証明手続きができないらしい。

結婚とディファクトの違いは、以下のように定義することができる。

Marriage(結婚、婚姻)
他の誰でもない2人の共同体として、自発的に人生のために締結された関係。

De facto(ディファクト、事実婚)
2年以上続いている、子供がいる、または関係証明登録をしているカップルで、一緒に住んでいて(※必須ではない)、かつ、結婚していない。

上記は、オーストラリアのある法律事務所のサイトで解説されている違いを日本語にしたもの。同サイトによれば、結婚は世界で認知された関係性である一方、ディファクト制度は無い国もあるので、海外に行った時に2人の関係を証明しにくいかも、とのことだ。どうも、違いはそのくらいらしい。
正直、結婚のほうが定義がわかりにくいというか、ディファクトの説明のほうが現実的な感じもする。

英語では、恋人同士も同棲カップルも夫婦も「couple」。結婚していれば「married couple」、ディファクトなら「de facto couple」と表現される。しかし、いずれの場合も日常的には「couple」の一言で済ませ、誰が恋人関係で誰が夫婦かなど詮索することはないように感じる。

ちなみに、オーストラリアに戸籍制度や住民票はなく、したがって「戸籍筆頭者」や「世帯主」のような代表者を決める必要もない(なお、戸籍制度がある国は世界に数カ国しかない)。結婚した夫婦もディファクトカップルも、2人の関係は社会制度的にも完全に対等だ。

結婚とディファクトの手続きの違い

結婚とディファクトでは、最初の手続きの煩雑さが明らかに異なる。オーストラリアの婚姻では、1カ月以上前に予約の上、マリッジセレブラントという婚姻手続き専門の有資格者の立ち会いの下、「病める時も健やかなる時も…」という誓いの儀式が必須だ。証人を2人用意して、儀式の最後に書類にサインしてもらう必要もある。

この儀式は、予約の上、役所の一室でもできるし、結婚式(いずれの宗教のスタイルでも可)にマリッジセレブラントを呼んで執り行うこともできる。当然ながら、事前の書類手続きもある。

一方、オーストラリアのディファクトに必要なものは「Relationship register(関係登録)」という書類手続きだけ。とはいえ、身分証明書やら、JPと呼ばれる公証人のサインやらを集めた上で、州政府の役所の窓口に提出し、約2カ月待つと2人の関係がディファクトであるという証明書が発行される。

いずれの手続きも有料だが、シドニーを有するNSW州の場合(2021年現在)、婚姻は約500ドル(約4万円)から、ディファクトは約200ドル(約1万6,000円)で、婚姻のほうが高くつく。離婚の手続きも、婚姻のほうが大変だと聞いた。

参考:
【NSW州のディファクト手続き】
【NSW州での結婚手続き】
【オーストラリア連邦政府の「結婚」に関するページ】

法的な権利に違いは無し

実際に自分がオーストラリアでディファクトをしてみて、婚姻とディファクトの間に、法的な権利の違いを感じることは全くない。相続も財産分与も、手術や入院時の同意や立ち会いも、家を借りる時も、婚姻をしている夫婦と同じように可能だ。

公的手続きなどで2人の関係を示す時は、夫婦と同じように「ディファクト」を選択できるし、人に説明するときも「僕のパートナーです」と言えば、それ以上のツッコミは特にない。日本と比べて、他人のことにさほど興味がない国民性というのもあるかもしれないが、とにかく多様な人がいるのが当たり前なのだ。

子供がいるカップルの中にも、結婚している人もいれば、ディファクトの人もいる。子供の学校の手続きなどでも扱いは完全に同じだ。

日本では、事実婚制度に婚姻のような手続きはなく、住民票に「未届けの夫」「未届けの妻」と記載することで成立すると聞く。日本語の「未届け」という言葉の響きには、何かしら正規でないもの、認められていないものというイメージがつきまとう。その点も含め、オーストラリアのディファクト制度は日本の事実婚とは別物と認識するほうが良さそうだ。

苗字は「どちらでも可」

日本が「婚姻=苗字を統一」であることと違って、オーストラリアでは結婚でもディファクトでも、苗字は統一しても、しなくても、どちらでもOKだ。手続きの際に苗字を選択し、その後それを使い続けることになるが、途中で変えるのも有りなのだという(ただし手続きは面倒くさそうだ)。

オーストラリアでは一般的に、結婚のカップルは同姓、事実婚のカップルは別姓を選ぶことが多いという。苗字を統一するケースでは、男性の苗字が選ばれる率が高いらしく、「男性が家族の代表」であった古い時代の名残が今だに脈々と受け継がれていることに少し驚く。

ちなみに、例えばスミスさんとタナカさんのカップルがオーストラリアで結婚か事実婚をする場合、苗字の選択肢は一般的に最低でも4つある。
・スミスさん
・タナカさん
・スミス-タナカさん
・タナカ-スミスさん
選択肢の多さは、氏族や個人の在り方の意識が、人によってそれだけ多様であることを示していると言い換えることもできる。オーストラリアは移民の多い国なので、それだけ多様なバックグラウンドを持つ人が暮らしていて、苗字への感覚も一様ではない。婚姻でもディファクトでも、同姓でも別姓でも、それぞれの親や家族と関係が親密な人もいれば希薄な人もいる。

別姓カップルが子供を持つ場合も、カップルが苗字を統一しているかどうかに関わらず、子供に上の4つのどれを使っても大丈夫。僕の知人の別姓ディファクトカップルは、子供の苗字として「スミス-タナカ」方式を選んでいた。

他にも、両親のいずれかの苗字をミドルネーム欄に入れる方法もある。「ジョン・スミス・タナカ」といった方法だ。日本が今もって夫婦別姓の選択肢がないのに対し、オーストラリアは面食らってしまうほど選択肢が多い。

僕とパートナーの場合

僕とパートナーの関係は、居住するNSW州のルールに基づくディファクトで、苗字は別々。2人とも、生まれた時からの苗字と名前のままだ。おかげで、パスポートや銀行口座の名義変更も必要がなく、手続きは最小限で非常に快適だった。僕らは2人とも、苗字を統一することにメリットや魅力を感じないタイプなので、カップルの苗字が違うことで社会的な不便のないオーストラリアにいてよかったと思う。

なお、結婚やディファクトの制度と直接関係ないが、賃貸物件の契約も2人名義(連名)で借りることが可能で、水道や電気などの公共料金についても連名契約ができる。連名契約の良いところは、2人のどちらが問い合わせをしても「本人」であることで、「これは夫名義だから妻は手続きできない」といったことがない。2人の共同名義の銀行口座(ジョイントバンクアカウント)も同様だ。

このように、オーストラリアでは婚姻とディファクトに大きな違いがない。
ただ、僕個人が感じている「違い」はある。これはディファクトにした故にというより、別姓にしていることにもよる気がするが、僕とパートナーはお互いに自立し、独立した人間であるという感覚を、日常的に共有できるということだ。

結婚や事実婚をしたから運命共同体とは思わないし、1人の選択にもう1人が付き従うこともない。パートナーの取る行動は僕の責任ではないし、僕の行動にもパートナーの責任はない。経済的にどちらか一方に大きく依存することもないし、そうする気もない。僕らは、互いに1人の自立した個人として、一緒に生きていくことを選んだ2人だ。

もちろん、愛し合い、支え合って共に暮らしていることは間違いない。精神的にも物理的にも、だ。さらに、限りなく近い価値観を持っているが、どちらかが社会的に誤った選択をしそうになったら、話し合い、諭し合うだろう。

しかし、どちらかが相手に依存的になったり、対話する気持ちをなくしたり、相手を傷つけることを厭わないようになったら、僕らはこの関係を考え直すだろう。僕らはパートナーであり家族であるが、その前に一個人であり、それを軽視することを良しとはしない。そうしない相手だから、愛を持っていられるし、共に生きるという2人の意思が僕らをつないでいる。

そんなわけで、ディファクトという制度、そして別姓という家族の在り方は、僕らの「パートナー意識」に合っていた。もちろん誰しもが同じ感覚ではないわけだし、関係性の意識にもカップルの数と同じ数だけ種類があると思う。

要は、自分たちにぴったり合う制度を誰もが選択できる世の中であれば良いのだ。何も、今ある制度が未来永劫にわたり人間の選択肢の全てということはない。

オーストラリアの同性婚

結婚といえば、オーストラリアは2017年に同性カップルの結婚を合法化した。それ以前は、同性同士のディファクトはOKでも結婚はNG、というちょっと不思議な制度体系だった。現代オーストラリアの結婚の概念はキリスト教的な要素が多分にあるから(と僕は思っている)、伝統的なキリスト教の宗派が同性愛に反対であることと、オーストラリアが長らく同性婚禁止だったことも無関係ではないかもしれない。

同性婚の合法化をめぐり「イエス」または「ノー」の意思表示をする国民投票の前、街には「Yes to same sax marriage/同性婚にイエスを」「Love is love/(ジェンダーを問わず)愛は愛」といったメッセージを掲げる家や店が少なくなかった。一方で「Say No/(同性婚に)ノーを」と書く反対派もいた。最終的には約62%の国民の賛成を得て、現在、オーストラリアでは事実婚だけでなく結婚も全てのカップルのためのものになった。

この国民投票の「国民」とは、いわゆる市民権保持者のこと。僕のようにビザという許可に基づいてオーストラリアに「滞在」する人は、国民投票や選挙に参加できない。オーストラリアに住む市民権のない数多くの移民の声がもし投票に反映されたら、結果にどのように影響しただろうか。

ある友人カップルは、同性同士で、共にオーストラリア国外の出身。それぞれの出身国には同性同士のための婚姻制度や事実婚制度がない。2人はオーストラリア留学中に付き合い始め、オーストラリアで2017年以降に結婚をした。共に市民権がなくても、この国で結婚することはできる。しかし、もし彼らがひとたび祖国に帰れば、そこには同性のための制度がなく、彼らは法に基づく権利を保障された家族ではいられない。

もし僕に国民投票の権利があったら、友人のためにも、その他の多くの同性愛の人たちのためにも、「イエス」に投票したかった。性別にも苗字にもバックグラウンドにもかかわらず、愛する者同士が自分らしく安心して家族でいられる社会が、もっと広くなればいいと願うばかりだ。


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