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呼吸するように | 「幸せ」再考

僕にとって、本当の「幸せ」とは何だろうか。
いきなり重いテーマな気がするが、僕は生まれてこの方、こういう小難しいことを考え続けてしまう質なので、本当に自分でももうお手上げなのです。


この記事を書いてから、一度浮上したかと思われた気分のムラも、減薬のタイミングや、躁状態の時のやらかしに必死に頭を下げる日々に追われ、またもや鬱転。

12月頃のうつ状態より酷く、一日に24時間以上眠って(?)いたり、ベッドの上で動けない身体に襲い来る希死念慮。風呂にも1,2週間ぐらい入れていない。風呂に入れないと当然あちこち痒くなるのでイライラもマシマシ。

もう流石に、同居する母親に不機嫌な顔を見せるのも、ぼーっとし続けて何か違う世界を見えているようにする謎ムーブにも飽きて、身体の痒みが限界を迎えたので、風呂に服を着たまま入る。気を違えないと動けない。

もう何をするのも怠い。何ひとつも出来ない。死にたい。消えたい。それでも「生きていけ」とか無責任に外野はうるさい。この世界が狂い過ぎていて、精神がぶっ壊れている人間の方がよっぽどまともなのでは?と思う日々である。


だらだらと最近の鬱憤を晴らした上で、やっと本題。

僕はたぶんもう"生産者"としての役目を終えている。以前にも「自分で自分を殺した」みたいなことを書いた気がするが、その頃にきっと僕の中でギリギリ張り詰めていた糸がプツっと切れた気がする。

それ以来、なんだか僕は明るく狂えていて、それはそれで楽しかったりもする。昔から僕のことを知っている人も「本当にあの時に死んだんだよ」って言ってくれたり、変な話、死んで良かったなって本気で思う。無責任に「生きろ」とか言う人、本当に嫌い。

それ以前にも以降にも、僕は労働者として生きた経験はほぼ0に等しいし、そういう生き方が向きに向いていないことを痛いほど感じている。自分のこともままならない人間が誰かの為になんて生きられる訳ない。

それでも僕がいろんな創作だったりを通して、誰かの為になれた経験というのは確かに僕の中の生きていく理由にもなっていて、相反する感情ではあるんだけれども、自分を苦しめてまで生産するのはもう辞めようと思う。幸せに生きていきたいです。

なんかnoteでもダラダラと一方的に話すライブ配信でも、別に見てほしい・読んでほしいというよりも、僕は自分の感情のアウトプットが下手だから独り言みたいな形にしか出来ないんだと思う。無人島のボトルレターみたいな。それはもう生産でもなんでもなくて、ただ呼吸するようにそうしていることだから。


p.s.
いつもより勢いだけで書き上げてしまったが、これはこれで良いかなと。
皆さんの最近感じた自分だけの「幸せ」があったら、教えてください。

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