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débris | 不連続の連続

病識を持てず、奔走した日々の終わり。
「やっぱり躁だったか」と気付いた鬱の始まり。


東京から帰ってきて、あらゆる意味で満たされた気持ちになった。今回は違う。変わるチャンスだ。なんなら躁でも何でもいいから、この鉛の塊みたいな身体を動かしてほしい。

数日前から天井を見つめる仕事をしている。いつもの分かりにくい例えではない。本当にベッドの上でひたすら天井を見つめている。これが今の僕の仕事なのだ。鬱なのだが、死ぬ訳にはいかないのだ。ただの脳のバグなのだ。休もう、それが仕事。

皆が見ている僕はきっと僕自身が切り取った都合の良い自分で、都合の良い化けの皮を作り出すのに何十倍も何百倍も醜くて、都合の悪い自分が存在している。その一部をこうしてnoteという形でほんの少しだけ吐き出したりしている。


午前中に目を覚まして、太陽の光をできるだけ浴びて、味のしない飯を喰らい、排泄して、ぼーっと椅子に座る。半時間も続かなくて、横になる。疲れている。実感はある。頑張れることはやっている。そんなことは当たり前の人には分かんないだろうし、説教を垂れたくもなるだろうね。

一日中ひとり反省会。見ないことにしていた暗いニュースに目が泳ぐ。「人間は本当に愚かで、救いようがないから神様が今の人類を滅ぼそうとしているんだ…」みたいな陰謀論者になってしまう。それがどうか陰謀論か、お手軽な陰謀ぐらいであることを願いたい。

イーロン・マスクが人類の危機を案じて火星に向かい、その一方でTwitterをぶっ壊していくように、僕には増え続ける資源ゴミに、いずれ人間がすみかを奪われるのではないかという不安がずっとある。そんなことはもう起きていて、手遅れで、それをちゃんとどうにかしたい人はこんなことを思ったらすぐ行動している。

所詮は口先ばかりの理想主義者。自分の考えていることの1/10も口にはしないし、1/1000すら言葉にならないし、誰にも伝わないと思う、本当に。ただの頭のおかしな人間なんだと思う。


上を向いて歩こう。常に高みを目指して進もう。そうやって発展してきた僕らが手にしたものは何なんだろう。昔よりは良い暮らし。誰もが不自由のない環境。多様性を認め合う時代。そうやって埋め合わせに並べた体のいい横文字。

人間の屑、社会のゴミ、ばかりじゃなくて、宇宙にとっての、この世界にとっての…。終わってるよ。もう何もかも。そこから何か始めないといけないのかい。そうなのかい。もう僕はダメだよ。ここに置いていってくれないか。



【追記】
鬱が酷すぎる時に下書きしてあった記事のような、詩のようなもの。
あまりに重たいか?と感じたので封印していたが、鬱の時に書いた記事の方が個人的には好きだ。いいねの数とかどうでもええやろ(参考程度にはしている)。

鬱の時は気持ちが落ち込んでいるし、何も手に付かないし、本当に嫌になるけど、自分は「地球に無理やり送り込まれた宇宙人で人間を救う使命のために日夜、奮闘している」という設定で乗り切っています…。

この記事を読んでいる人の「他人には理解されない不安の種」があれば教えてほしいです。

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