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「僕が30円プラモに夢中になっていた頃、お袋が言ってくれた言葉」

「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ147枚目

<「プラモデル」© 2022 もりおゆう 水彩/ガッシュ>


プラモデルが大流行した時代があった。
昭和37年頃だろうか。第一次プラモブームと呼ばれている。
戦闘機や戦艦、鉄人28号、、、僕らの欲しい物ばかりだった。

一番安かったのは、30円で買える戦闘機シリーズ。
零戦や、紫電改、グラマンなどだ。
模型屋には、いつも子供達がいた。
金持ちの子は100円を超える様な大きな戦艦や戦車。
僕ら貧乏庶民は30円の小さな戦闘機ばかり。
それでも欲しかった。小さな飛行機が1機ずつ増えていくのが嬉しかった。

毎日の様にお袋に小遣いをせがんだ。
当時の僕のお小遣いは、多分1日20円。
だから、毎日買える訳ではなかった。
「もう10円ちょうだい」とお袋にせがんだものだ。
零戦が欲しい、紫電改が欲しい、グラマンが欲しい、、、
上の絵はグラマン。アメリカの戦闘機だ。

だが、そんな或る日、、、
いつもの様に小遣いをねだる僕にお袋が哀しげな顔でこう言った。

「あんた、世界中には食べるものもロクに食べられんと死んでまう子がいっぱいおるのを知っとるんかね? 水かて蛇口をひねれば出てくるわけやないで。 ちっちゃな子が桶を担いで川や池へ水汲みに行くんや。 しかも、綺麗な水やないで・・・浮いとるゴミを手でよけて、泥水をすくって帰るんやそうな・・・世界ではあんたと同じ年頃の子らがそんな暮らしをしているゆうに・・・それをあんた、どう思うね? 毎日毎日プラモデル、プラモデル言うて、、、、」
と。

僕は、お袋に返す言葉がなかった。
嘘のような話だが、僕はその日からプラモが欲しいとは全く思わなくなった。我慢をしたと言うのではなかった。不思議な事に欲しいとは自然に思わなくなったのだ。それまで、あれ程ピカピカに光って見えたプラモは不意に輝きを失っていた。

お袋は田舎育ちで尋常小学校しか出ておらず、決して学のある女性ではなかった。それでも、彼女は僕に一番大切なたくさんの事を教えてくれた。

社会は生産と消費で成り立っており、勿論その循環あってこそ社会は豊かになる。けれど、欲望の奴隷になってはいけない。そして、自分の目の前にはいないけれど、世界には苦境に生きている人たちがたくさんいる事を決して忘れてはいけない、、、、、

そんな大袈裟なものの言い方では無いのだけれど、、、
お袋はきっとそんなことを僕に言いたかったのだ。
僕はそう思う。


*尋常小学校は戦前までの義務教育. 修業年数4年/つまり現在の義務教育
期間の半分以下

<©2022もりおゆう この絵と文は著作権によって守られています>
(©2022 Yu Morio This picture and text are protected by copyright.)


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