見出し画像

うなぎ屋なのに何故「なまずや」?

「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ226枚目

<「鰻なのに、なまずや」 © 2024 画/もりおゆう 水彩=ガッシュ 禁無断転載>


岐阜市の柳ヶ瀬に、昔「なまずや」という名の鰻屋があった。

店の名前が珍しい事や、家からすぐ近所、ということも手伝って、どんな店なのだろうと興味津々しんしんだったのを覚えている。開店した頃は尚更だった。

『ナマズを出す店なんかな、、でもナマズって食えるんかな、、??
 ちょっと不気味やな・・・』
と。

店の前を通るたびにそれとなく中をうかがうのだが、鰻を焼くあのいい匂いにうっとりするばかりだった。

『いい匂いやなぁ〜〜〜
ナマズと鰻はおんなじような味なんやろか・・・???』
と。

だが、そもそも我が家の家計では鰻なんぞ、滅多やたらに口に入るものではない。おまけになまずを食べたこともない(笑)
謎は深まるばかり、、、

そんなある日、母親が私に言った。

「ゆう君、たまにはなんぞ美味しいもん食べよかね。新しく出来た店に鰻でも食いに行かんか?」
と。

『外食で鰻、、、???』
耳を疑うような母の言葉だった。
生まれてこのかた聞いたことがないこの言葉に、私は嬉しいと言うより半信半疑だった。

『どうせ、又口ばっかりや・・・後でガッカリするからうっかり乗せられてはいかん』
と。

だが、母親は余程鰻を食べたかったようだ(笑)
その日は父親が外出していたこともあり、すぐに私の手を引いて家を出た。つまり、小学生の私にようやくその「なまずや」の暖簾のれんくぐる至福の日が来たのだった。

店に入ると、いつも行く町内の気安い大衆食堂とはちょっと違う風情の店だった。中は冷んやりと暗く、黒いタイルを敷き詰めたたたき沿いに鰻の入った桶がいくつも並んでいた。だが、ナマズは1匹もいなかった。

席に案内されると、母親が店員さんに聞いた。

「何で、なまずやって、言いんさるの?」
と。

答えは「なまずや」さんのHPにあるので紹介させて頂く

昔「なまずや」はその名のとおり、なまず料理専門店として営んでいました。後々、食べやすさ・提供のしやすさから「鰻」を扱うようになり、「鰻丼」としてのスタイル確立によって、鰻専門店として変わっていきました。
なまずや鹿島町支店HPより抜粋>

この記事を描くにあたって対応してくださり、また下の写真の転載を快諾してくださったのは「なまずや」4代目の武田さん(鹿島町支店)。

その武田さんの曾祖父にあたる初代が岐阜市柳ヶ瀬通2丁目に開店したのが「なまずや総本店」。創業店で、それが母親と行ったこの店だ。

鰻丼ぶりは、とても美味しく大満足で店を出ると、母親が僕に念を押した。

「お父さんに鰻食べたなんて、絶対ゆうたらあかんよ。
ラーメン、ラーメンやで!」
と(笑)

<現在の鹿島町支店の様子 なまずやHPより許可を得て転載>
<この写真の小丼ぶりの値段は2024年3月現在は1200円>
<鰻丼ぶり上 3500円>

*滅茶美味しそうである(笑)
皆さん、岐阜においでの際は是非お訪ねあれ!

*現在は柳ヶ瀬通2丁目に創業店はない。鹿島町支店や羽島支店、県庁前店など、岐阜各地に支店がある。
*上の絵のうなぎやさんの外観は当時のお店を再現したものではない。何分にも半世紀以上過ぎているので資料もなく、僕の記憶も流石さすがに曖昧なため、現在の系列店のイメージから類推して描かせて頂いた。店舗関係者の方にはご容赦頂ければ幸いです。
*ナマズは、淡水魚としては大型で昔はよく食べられていた。四谷怪談にも登場するくらいなので、江戸時代にはポピュラーな食材だったのだろうと思う。
<©2024もりおゆう この絵と文章は著作権によって守られています>
(©2024 Yu Morio This picture and text are protected by copyright.)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?