「黒柳徹子さん」昭和はテレビと共に
「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ204枚目
テレビ放送が始まったのは1953年2月1日。
その初日からNHKテレビに出演していたのが黒柳徹子さんです。
すごいと思いませんか?
何と、日本のテレビ初日から徹子さんは活躍しているのですよ!
僕たちの昭和、つまり戦後の昭和はTVの時代と言っても過言ではありません。そのTVを通じて同じ昭和という時代を徹子さんは送り手として過ごしたわけです。
上の絵は徹子さんの40歳ころのイメージです。
やはり、徹子の部屋のイメージが強いですね。彼女はそれまでや同時代の誰とも似ていず、黒柳徹子というブランドをブラウン管の中に定着させた女性です。男性のテレビマンでも意外にこういったタイプは珍しいのではないでしょうか。
彼女のことで僕が覚えているのは、とある昭和の歌番組でシャネルズ*というグループが出演した際のことです。よくある視聴者電話のような事だったかと思いますが、電話に出た小学生がシャネルズに質問しました。
「どうして黒人のくせに香水の名前をつけているんですか?」と。
その時徹子さんは「黒人のくせに、という言い方は良くありませんよ」と丁寧に、けれどしっかりと諭しました。ゴールデンタイムの生放送の中でのことですから、これは咄嗟に中々できない優れた対応で、言葉の選び方にも彼女の人となりがよく現れていました。こういう時に人間というものが自ずと現れるのだと思います。
下は、若き日の徹子さん。
「夢で逢いましょう』です。
これを懐かしい〜、なんて思う人はきっと僕より少しだけ年上??(笑)
徹子さんがどこにいるか?
お分かりですよね。
ちなみに小ネタですが、黒柳さんはNHK朝ドラの「あまちゃん」の大ファンで全話ご覧になったとか(笑)
また、「窓ぎわのトットちゃん」は国内で800万部を売り上げ、日本で一番売れた本です。その印税を寄附して、社会福祉法人「トット基金」を設立し大きな社会貢献もなさっています。たくさんの人に慕われるのも頷けます。
なかなか出来ないことです👏 👏 👏 👏 👏
いつまでも、お元気で! トットちゃん!
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