#21 元不登校、就職という道か、それとも大学院という選択か 【7年間の不登校から大学院へ】
小中学校7年間の不登校という勉強のブランクを経て、大学入学時の学部成績75位ぐらいだったところから、在学中に学部成績トップ25位以内にランクインするまで勉強した日々を綴った前回記事はこちらから。
今回の記事では、就職 or 進学 という進路を目の前にして、22歳の私がたどった迷いをありのままに記そうと思います。
大学3年生の冬。21歳。
いつの間にか成人していて、気がつくと目の前には「社会」という扉がもうすぐそこに迫ってきていました。
圧倒的大多数の同い年が、あまり迷うこともなく就職を選んでいた進路。
私も、まるで電車の乗り換えで人混みに押されるように、その流れに戸惑いながらも最初は従っていました。でも、大学のキャリアセンターに通っても、企業説明会に参加しても、大きな就活説明会に赴いても、心は全くと言っていいほど就職というものに向きませんでした。もちろん、最初は誰にでもあるように、就活が嫌だからという気持ちが頭にあったのも事実です。
でも、そんなこと以上に、ある気持ちがずっと湧き上がって消えなかったのです。
それは、端的に表現すると「まだ」という感覚。
「まだ、足りていない。もっと学びたい」
「まだ、この学校に通いたい」
「まだ、この学校で、もっともっと学びたい」
……ただ私は文系だったため、進学という選択を選ぶことは、すなわち文系の大学院に進学するということ。
さらに、研究者になろうと思っていたわけでもなかったため、修士課程まで(博士課程後期には進まない)と決めていました。
もしも理系であれば、大学院に進んで、そのまま博士課程後期まで進学して、そのまま専門職に就職という道があるかもしれません。
でも、私の場合は文系で、それこそ研究者や専門家になるつもりもなく、ただもっと専攻学問の色んなことを深く学びたいから進学したいだなんて、果たしてそんな理由で本当に良いのだろうか、とすごく悩みました。
仮にそのまま学部からストレートで大学院に合格して2年間で修了(卒業)できたとしても、同い年の子と比べて2年も遅れての就職になる。
自分が新入社員として入社しても、同い年の子はもうすでに社会人3年目で、同期は年下ばかりだろう。
さらに就職活動では「学部卒(大卒)のみ」とエントリーシートすら受け付けてもらえない企業も多々あり、選択肢が狭まる。
パソコンで「文系大学院」と検索に打ち始めると、検索関連ワードとして「就活不利」「女子 就職」「詰む」「やめとけ」「就職 厳しい」という単語が即座に出てくる。
どうしよう。
たくさん考えて、色んな情報を見て、ときにはそんな情報を読み漁りすぎて不安になってしまって、もうこのまま大多数が進む「就職」の道を進もうかと、何度も考えました。
家族にも、周りの友だちにも、色んな知り合いにも相談して、タイムリミットギリギリまで二つの選択肢をマジマジと見つめて、あっちかな、やっぱりこっちかなと迷い続けていました。
でもそんな過程で、玉ねぎの皮を剥くように固い表皮を丁寧に一枚一枚剥がしていってみると、核にあった純粋な自分の心の声は「私、もっと学びたい」と言っていました。
もうそれは本当に控えめで、よく耳を澄まさないと聞き取れないような声で。
でも確かにずっとずっと、そう言っていた。
その声にようやく気がついて、
「たぶん、このまま中途半端な気持ちで就職したら絶対に後悔する」
と思い、なによりも自分が後悔しない道を選びました。
すると両親も、相変わらずお気楽な感じで「不登校だった7年間に比べたら、プラス2年ぐらい学校に長く行っても、良いんじゃない?」と、そのまま私の背中を押してくれました。
「特待生」としての大学院合格、そして2年間で修了すること、大学院では今までよりも一生懸命に勉強すると両親に約束して。
自分が少しでも好き、心地よい、楽しいと感じる方に。
こうして私は、大学院への進学を選びました。
たとえ、その道を歩んだ者の数が少なくったって「みんなはこっちの道を歩んでいくよ」という周りからの声や「そっちは上手くいかないよ、みんなはこっちの道を選ぶよ」という情報の方がたとえ圧倒的に多くても。
道を歩んでいった先でたどり着く最後のドアを開けられるカギを握っているのは、やはり自分の心しかないと感じます。
だから、目の前には現実的な理由が沢山あって、こちらの方が絶対に良いと示す理屈で埋め尽くされていたとしても、でも、それでも本当に自分が心から納得していないと、結局は回り道になってしまう。
「あのとき、本当はあっちの道に進みたかった」という考えと現実を、ずっと繰り返してしまうから。
自分はどう生きたいのか。
人と違う道だって、生き方だって、いいじゃない。
ちょうど私の学生時代は時代が移り変わっていく、そんな大きな過渡期でした。
死ぬ気で頑張れ。大丈夫、死なないから!
どんな炎天下の部活動であっても、水分禁止!
体調を崩すのは、自己管理がなっていない気持ちの弱さがあるからだ!
……そんな根性論で縛る言葉と変な決まりごとで、一体どれだけの人が犠牲になったのでしょう。
みんなと同じようにしましょう!
が、一転してほぼ真逆の
多様性を認めましょう!
これからの時代を生き抜くためには柔軟性と個性が大切です、に変わった。
中学生のとき、LGBTQなんて言葉を知らなかった。ダイバーシティも、インクルージョンも、サステナブルも、SDGsも、テレワークも。
時代は変わってきている。ということは、人々の考え方も変わってきている。
人々の考え方が変われば、常識もが変わる。
じゃあ、"みんな" ってだれ?
「みんな、そうしているんだから、あなたもそうしなさい。いや、そうすべきなんだ。なぜならば、みんなそうしているんだから」
ちがう、ちがうよ。
小学校を卒業するとき、担任の先生が私に贈ってくれたこの言葉。
先生からポストカードを贈られたとき、当時12歳の私には全く意味が分からなかった。
でも、いまなら少し分かる気がする。
歩くから、道ができる。
道がないから歩かないんじゃなくて、道があるからそこを歩くのでもなくて、歩くから道ができる。
歩かれていない道は草が生い茂っていて先も見えなくて歩きにくいだろうし、道標もないからどっちに進んだら良いか分からないだろうし、草木でかすり傷もいっぱいできると思う。
もしかしたら、ときには木の枝が刺さっちゃう時もあるかもしれない。
それで傷跡ができちゃうかもしれない。
でも、だからこそ、歩く意味があって、自分が歩いて経験してきた日々の全てにちゃんと意味があったんじゃないかって思う。
人と違う道を選ぶのはいつだって、勇気がいる。
もしかしたら勇気なんて考える間もなく、気が付いたら、茂みのなかに立っていることもある。
抜け出そうとしても、どっちの方向に進んでいるのか、それとも後退しているのか、分からないときの方がずっと多い。
みんなができることを "普通に" できるのであれば、それに越したことはないと思う。それは今でもそう思う。
でも、もしみんなと同じことが同じようにできないのであれば、自分で自分の道を歩むしかないじゃない。
いつも大多数が通る道を、通れずに、歩めずにいた。
違う道ばかり、違うことばかり。
そのせいで沢山の人にいっぱい迷惑と心配をかけちゃった。
それは本当にごめんなさい。そして、本当にありがとう。
でも今回は、自分の心で、自分の意思で違う道を歩んでみようと選んだ。
そして大人になったいまも、みんなとは違う道の上にいる。
まだその道の途中だけど、まだ先も見えないけれど、
いま幸せ。
そして、たぶん、それがすべて。
大学4年生
大学4年生。22歳。
大教室での講義。聴講生として後ろのほうで講義を受けていると、傾斜がついた教室にはリクルートスーツ姿で講義を受けている子と、私服の子が半々ぐらいで混じり合っていて、学生と社会人のちょうど中間地点、マーブル上に混じり合っている時期なんだな、なんて思いながら同級生たちを見ていた。
同級生がエントリーシート(ES)や就活の面接対策を頑張っている頃、私は大学院の入学試験に向けた受験勉強に励んでいた。
ちょうどそんなとき、大学から「入学後に最も成績が伸びた者」として表彰を受けた。
大学入学時、自分はレベルの違いすぎるところに来てしまったとショックを受けて「私、この大学を卒業できないかもしれない」と両親に向かって真剣に言った4年前のあの日。
あれから約4年が経って、毎日一枚ずつ羽を蓄えていたら、上にあると思っていた景色がちゃんと見れた。
入学したとき、英単語帳の裏表紙に書き込んだ「在学中に、学部成績25位以内に入る」の文言をやっと横線で消すことができて、
あぁ、真面目にコツコツと勉強を頑張ってきて良かったと思えた瞬間だった。
大学院から合格の通知
同級生のほとんどが内定をもらって就職先が決まっていたころ、大学院の受験試験(院試)があった。
ゼミの仲間もほぼ全員、就職先が決まっていて「卒業旅行どこいく?!」なんてワイワイはしゃいでいるなか、私は頭がパンクしそうになりながらも研究計画書を読み返して迫る院試に備えていた。
受験日当日、試験が終わったあとはクッタクタに疲れて頭がボーッとして、夜道をうつろな目でゆっくりと歩いて帰ったのを覚えている。
大学院入学試験の結果は合格だった。
ちゃんと、両親と約束した「特待生」としての合格だった。
これでまた今までよりも一層濃い、もう人生で一番と言っても過言ではないほどに勉強に励む2年間が約束された瞬間だった。
そして迎えた、大学の卒業式。
4年間、一緒に過ごした友だちもゼミの仲間も、それぞれがその日を境にどこかへと一斉に飛び立っていった。
みんながそれぞれ一生懸命に蓄えた羽はどんな翼になり、さらにその翼で飛ぶ空は、一体どんなだったのだろう。
私はまだ、翼で飛ぶという選択をしなかった。
あと2年間だけ。もっと羽を蓄える。
その翼で飛ぶ空を楽しみにしながら。
……と感傷的な気分になっていたのも束の間で、卒業してから挨拶回りをしに行った際に教授たちからは口々に
「大学院は一言でいうと、ハードだよ」
「大学と、大学院は全く違うからね」
「普通に2年で修了できるって思わない方がいいかも」
なんて冷たく真顔で言われて(脅されて)、私は春から始まる大学院生活にブルブルと震えていた。
本当に震えるほどハードだった大学院での2年間はまた次回に。
次回、#22 最終回。蓄えた羽、その翼で見る空は……?【7年間の不登校から大学院へ】を更新予定です。
ついに最終回だ……!!
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