7年間の不登校から大学院へ(全22話)
「7年間の不登校から大学院を修了するまで」実際に私が歩んできた道をありのままに綴って更新した全22話(約10万字)のマガジンです。しんどかった時期を振り返ることはとても勇気のいることでした。でも、この文章を読んでくれるあなたはそんな深刻にならず、こんな生き方をして大人になった人もいたんだと心軽くなってもらえたら嬉しいです。私にとっては過去の話が、どこかの誰かの「今」かも知れないから。 人と違う道だって、生き方だって、良いよね、と感じてもらえれば本望です。
「習う」とは、白い羽を一枚手に入れること ある授業で先生は言った。「『習う』という漢字は、白い羽と書くでしょう。毎日なにか1つを習う。そして白い羽を一枚手に入れる。それを365日、続けたとする。すると3年足らずで羽の数は1,000枚を超える。するとそれは、翼になる。翼が大きければ大きいほど、高く遠いところまで飛べる。翼を持った者でしか到達することのできない領域には、同じ枚数の羽を蓄え習ってきた人が集まる。あなたたちの背中の翼は、卒業のときどうなっているでしょう。これから白
#1 を4月に投稿してから約2ヶ月間にわたって20話以上を投稿してきましたが、 ついに本記事 #22で最終回として締めたいと思います。 読んでくださった方、いつも「スキ」をポチッとしてくださった方、コメントをくださった方、そしてフォローしてくださった方など、本当にありがとうございました!! 小学3年生から学校に行けなくなり、さらに中学校では2度目の不登校になり、7年間の不登校生活を経て、紆余曲折がありながらも大学院まで進学することになった、そんな約20年間をありのま
小中学校7年間の不登校という勉強のブランクを経て、大学入学時の学部成績75位ぐらいだったところから、在学中に学部成績トップ25位以内にランクインするまで勉強した日々を綴った前回記事はこちらから。 今回の記事では、就職 or 進学 という進路を目の前にして、22歳の私がたどった迷いをありのままに記そうと思います。 大学3年生の冬。21歳。 いつの間にか成人していて、気がつくと目の前には「社会」という扉がもうすぐそこに迫ってきていました。 圧倒的大多数の同い年が、あま
小中学校7年間の不登校を経て、第一志望の大学に合格した前回記事はこちらから。 今回の記事では、大学入学時は学部成績75位ぐらいだったところから、在学中に学部成績トップ25位以内に入るまでの勉強漬けの日々だった4年間を綴っていきます。 私が大学に入ってから「この4年間、後悔がないぐらい勉強をしよう」と決意したのは、多くの人からの影響を受けてのことでした。 最も影響を受けたのは、入学後のオリエンテーションで先輩たちが、新入生の私たちに語ってくれた数々の真っ直ぐな言葉たちで
不登校7年間のブランクを補う以上に、もっと勉強を頑張ってさらに良い環境にいく! と、劣等感を燃やしてひたすら勉強に励んでいた私でした。 高校2年生、学内の定期テストで全教科2割程度のところから、全教科9割をとるまでになり、全国模試の現代文では満点をとるレベルまで勉強を頑張った前回記事はこちらから。 今回の記事では、外部受験をすることを決意して受験勉強に励んだ高校3年生から大学合格までを書いていきます。 7年間の勉強のブランクに加えて、受験勉強のスタートが遅かったことか
高校に通えるようになっても、不登校で抜け落ちた7年間の勉強のブランクを埋めながら同時に高校の授業にもついていくのには、やはり時間がかかりました。 今回の記事では、しんどい思いを抱えながらも、そんな劣等感を勉強へのエネルギーに変換して頑張り始めた高校2年生のころについて書いていきます。 劣等感に苛まれて、思い悩んでいた日々をありのままに書いた前回記事はこちらから 「劣等感は最高のガソリン」 小中学校で2度も不登校になってしまったこと、そして前回記事に書いた経験で覚え
小学校3年生で不登校になり、そこから7年間ずっと不登校生活が続きました。 なんとか学校に通えるようにと、家族も先生も、私のために何度もいろんな方法で助けようとしてくれていました。 でも小学校低学年で不登校になり、さらには中学校で2度目の不登校になった自分。 高校では、入学からまずは1年間通うことができて、このままなんとか卒業まで日々を繰り返して生きていけば、より大きな選択肢が広がる領域に抜け出れると思っていました。 だから、高校では、3度目の不登校には絶対にならないと
小学校3年生から7年間不登校だった私が高校に通い始め、イギリスへの語学研修に参加する経緯を書いた前回記事はこちらから イギリスへの語学研修に参加すると決意したものの、当時の私は本当に全くと言っていいほど英語が喋れませんでした。 それもそのはず、中学3年生の11月にやっとアルファベットが書けるようになり、そこから1年も経っていないころの話だったからです。 日常会話どころか空港の入国管理での会話すらままならず、ロンドンの空港に到着した際は、入国審査でパスポートにハンコを
不登校7年間がついに高校へと入学した前回の記事はこちらから。 今回は、高校に入学してから学校を1日も休むことなく教室に通って突入した夏休みを終えて、2学期になったところから書いていきます。 入学してからスタートした怒涛の1学期は、高校に慣れるのに必死で、授業にもついていこうと熱心に家でも勉強をしていました。でも、1学期を無事に終えて夏休みに突入してからは、肩の力が良い意味にも悪い意味でも抜けてしまい、勉強をあまりしなくなってしまいました。 不登校だった小中学校の7年間
小学3年生から続いた7年間の不登校生活についにピリオドを打ち、相談室で出会った親友Aちゃんとも別々の進路へと旅立った、中学卒業までの前回記事はこちらから。 今回の記事からは、いよいよ教室に通うことになる高校生編を更新していきます。 中学卒業までは、教室に通えないことで授業が受けられず学力の差があったり、大人数の友だちとの交流はなかったりといったことで悩んでいました。 それが高校生になり、自分に合った学校だと思える環境に出会って教室には通えるようになりましたが、それで今
7年間の不登校を経て、やっと「ここなら通えそう」と思える学校環境に出会った私。ただ、その通いたい私立高校に行くには受験を乗り越えなければなりませんでした。 アルファベットも書けないほど、小学生レベルの学力で止まっていた私は、試験日まで3ヶ月という非常に短い期間で受験勉強に励みました。 そんな受験勉強の日々を綴った前回の記事はこちらから。 今回の記事では、高校から合格通知とともに特別進学コースへの入学案内が同封されてきたこと、相談室で親友のAちゃんと送り合った卒業ソング
小学3年生から中学卒業までの7年間 不登校だった私が、私立高校のオープンキャンパスに行ったときに「ここなら通えそう」と呟いた前回の記事はこちらから 今回の記事では、オープンキャンパスで「ここなら通えそう」と呟いたものの、3ヶ月後に立ちはだかる高校受験まで、どのように勉強を行ったのかまでを詳細に書いていきます。 「残り3ヶ月でどうか受験レベルまでお願いします……?!」 塾に到着 お昼過ぎぐらいに塾の前に到着すると、まだ開講時間じゃないらしくシャッターが半分ぐらい閉まっ
小学校に引き続き、中学1年生で2度目の不登校になり、小学校レベルで学力が止まったまま中学3年生を過ごしていた私。 そんな小学校レベルで止まったままの学力を、なんとかしようとしていた中学校3年生編はこちらから オープンキャンパス 相談室に通っていたある日、私のことをずっと気にかけてくれていた教頭先生に廊下で声をかけられた。 すると「今週末に私立高校のオープンキャンパスがあるから、見学だけでも行ってみたらどう?」という提案をしてくれた。 そう、私は小中学校ともに不登校
小学校に引き続き、中学1年生で2度目の不登校になった私は、そのまま中学3年生になりました。 そんな私でも、中学2年生からは定期テストだけを教室で受けて、校外学習などにも少しずつ参加して学校との接点をなんとか作ってもらっていました。 そんな中学2年生の記事はこちらから 今回の記事では、小学生レベルで止まってしまった学力をどうにかできないかと、まずは保健室と相談室に登校して自習を始めた中学3年生の日々について書いてきます。 中学3年生 いよいよ中学最後の年になった。
入学式から1ヶ月間、教室に通っていたものの、とあるキッカケでまた2度目の不登校となった経緯を書いた前編はこちらから はじめに 小学3年生から不登校になり、そのまま小学校を卒業した私。 中学入学というタイミングから「やり直そう」と意気込んで約1ヶ月間 教室に登校していましたが、GW明けに心が限界を迎えてまた学校に行けなくなってしまいました。 小学校でも不登校になり、中学校でも不登校になり、2度も不登校になった自分の最終学歴はもう「中卒」だろうな、将来はどうやって生きて
小学3年生から完全に不登校になり、そのまま小学校を卒業。 心機一転、中学への入学を機に教室への通常登校をしていた前編はこちらから。 はじめに 小学3年生から完全に不登校となり、そのまま小学校を卒業した私。 そんな私が中学入学式から約1ヶ月間、みんなと同じように登校をしていました。 私が教室で授業を受ける様子は、クラスメイトから見ても、元不登校だったなんて疑いもしないほどだったと思います。 今までの記事では、心の状態についてそこまで詳細に触れてきませんでした。