#6 保健室登校で終わった小学6年生 【7年間の不登校から大学院へ】


小学3〜4年生までを書いた前回の記事はこちらから



はじめに

 今回の記事で、やっと小学校を卒業します。

下記の本編で詳細に触れていますが、小学6年生になってからは勉強に追いつくために週2回の保健室登校をさせてもらうようになりました。
中学校への入学を機に、また学校に行けるようにと、担任や保健室の先生、そしてなにより両親にたくさん支えられながら必死に準備を整えていた段階です。

ただ、心機一転やり直すんだ! と意気込んでいた中学校では、また学校に行けなくなってしまう日がきます。小学校で不登校になったときより、2度目に不登校になってしまった中学校のほうがとてもショックが大きかったです。

そんな日々をどうやって過ごしていたのか、これからもまだまだ話を更新していきます。個人的に私の励みになりますので、もし良ければお気軽にフォローや「スキ」をポチッと押してください。


それでは本記事では、小学校卒業までを書いていきます。




小学5年生

 5年生では、小学2年生のときに担任だった先生のクラスに再びなった。

学校で一番人気があって、その先生のクラスになったら必ず他クラスの子たちから「○○先生のクラスなんて、いいなぁ~!!」という声が上がるほどだ。

2年生のときも頻繁に声をかけてくれたあの先生は、5年生でも変わらず私のことを気にかけて続けてくれた。ただ、7才だった2年生の頃とは違って、10才になった私への対応や言葉の端々には「気を遣ってくれているな」という雰囲気が伝わってきた。

もしかしたら、前に担任してくれていた2年生のときに早退や欠席を繰り返していた私が、そのまま5年生まで不登校であり続けていることに少しびっくりしていたのかもしれない。

5年生になって初めて家で話し合ったとき、2年生のときには見たことなかった真剣な顔をした先生がそこにはいた。そして、なにか大きな原因があるのではないかと探ってくれているのかな、と思うような話し方をされたのをなんとなく覚えている。

その後も頻繁に授業のプリントを渡してくれたり、さらにプリントに一言メモやイラストのようなものを添えてくれたり、と本当にいろんなアプローチで気にかけてくれた。


「給食だけでもいいから一緒に食べない?」と誘ってくれたり、「教室がダメなら保健室でもいいから」と、私がどうしても教室に行けないのを考えて、色んな方法を提案してくれた。

そんな先生の熱意に押された私は、保健室で給食を食べてみることになった。



保健室で給食を食べた日

 給食の時間に保健室に行った。
保健の先生がいて、保健室のドアも締めてはいたのだけれど、ドア一枚を隔ててもクリアに聞こえてくる廊下の騒がしい声たちが正直とても恐かった。足音だけでも分かるその大勢さに、勢いに、私は自分が取り囲まれてしまったような圧迫感を感じた。



友だち付き合いは好きだったけれど、こんなふうに大勢の同級生たちが行き交う廊下はやっぱり苦手だった。


実は不登校になってから、さらにあの日(泣きながら先生たちに抱えられて廊下を通過した日)を目撃されてから、自分が不登校だということがなぜか多くの同級生たちに知られていて、たまに三者面談などで学校に行った日には「仲良しグループ」みたいな軍団に取り囲まれることがあったからだ。

三者面談のようなときだったら、大体は先生が「あっちに行ってなさい」なんてあしらってくれるのだけれど、一人で放課後にプリントを取りに行ったりするときは結構恐かった。さらに絡んでくる相手はこちらが知らない子だったりすることもあって、すごく戸惑った。


こちらが1人でいるときに、向こうから7〜8人に近い人数が取り囲んできたら本能的に恐怖を感じる。
そんなふうに複数人が一度にドッと絡んでくるのが嫌だった。苦手とかではなくて嫌だった。


集団で囲まれたからといって手を出されたりするわけではないのだけれど、いっつも決まりきった質問を怒涛のようにされるのも、うんざりだった。
「なんで学校こないの?」「学校は来ないといけないんだよ」「俺も学校行きたくねーし! 休むなんてずるい!」などなど。

だからいつも適当に返事をして、逃げるようにすり抜けていた。

不登校はやっぱりどうしても悪目立ちしてしまった。




給食を食べていると

 でも給食を保健室で食べていた当日、給食の時間が終わりに差し掛かかった頃に、なぜかクラスの子たちが大勢で保健室にやって来た。おそらく教室で給食を早めに食べ終わったから来たのだと思う。話を聞いていると、どうやら事前に先生がクラスの子たち複数人に話していたようだった。

「○日は、○○ちゃんが保健室に給食を食べに来るから」と。

私は食べるのも遅かったので、まだ給食を食べている最中だった。



また1人 対 大勢の構図で、今度は廊下と違って逃げ場がない個室で、私が学校に行っていたときに仲が良かった子たち、そしてその子の友だち(私と面識はない)が一度に私のところに物珍しさで押しかけてきた。

そしたらもう皆んなから口々に「なんで学校来ないの? 病気なの?」とか「今日はちゃんと学校にきたんだね!えらいえらい!」なんて勝手なことをみんなで騒がしく一方的な質問責めにあった。


もう! 保健室でひっそりと給食を食べるつもりで来たのに! と思いながら、いろんな子がきて、色んなことを言われて、帰宅後は疲れてしまった。


けれど、保健室で給食を食べることを提案してくれた先生には感謝している。
あの先生も私のために何かしようと案を出して実際に行動してくれた。そのことに対して私は今でも感謝の気持ちでいっぱいだ。



集合写真

 それが小学校で食べた数少ない給食の思い出で、5年生になってもクラスの集合写真に映ることはなく、いつも左上にポツンと一人。そこだけ切り取られたように変に目立って、写真の背景がみんなと違って宙に浮いた状態。それを見るたびに、写真にまで「不登校」という事実が映し出されているような感覚だった。


全員が揃ったクラスの写真を撮りたがっていた先生には大変申し訳なかったけれど、やっぱりどうしても教室には行けないまま、みんなと混じり合うことなく5年生を終えた。




小学6年生

 あっという間に6年生になり、ついに小学校最後の年になった。

6年生のときの担任の先生はしっかりとした先生だった。今までの担任の先生よりも年齢が上だった分、落ち着いた雰囲気が私はとても好きだった。

実は私はこの先生にとても救われることになる。というのも、6年生になると考え始めなければならないのが進路の話で、中学校はどこにするのか、というかそもそも中学校ではどうするのか、みたいなことを学期の初めにちゃんと話し合うことが必要だったからだ。





もう一度やり直したい、という想い

 私は、地元の公立中学にそのまま進学して、学校生活をもう一度やり直したいと考えていた。というか、それ以外の選択肢はないようになぜか思っていた。だから先生との話し合いで、その旨を先生に伝えた。



すると先生は「じゃあ中学校に入ってからちゃんと授業についていけるように、勉強をしなくちゃいけないね」と言って、さらに「保健室で週に2回ほど授業をしてあげる。それは来れるね?」 と言ってくれた。ただでさえ大変で忙しいなか、週に2回も私のために時間と労力を割いて授業をしてくださった先生には感謝しかない。



そうして私は、算数と国語を教えてもらえることになった。
学力は小学3年生でほぼ止まっていたけれど、なんとか挽回しようとそれから勉強を頑張った。



 どの先生に対してもそうだけれど、ただでさえ忙しく大変ななかで私に追加の時間を割いて、そして労力をかけてどうにかしようとしてくれていた先生たちには感謝の気持ちしかなく、今でもその気持ちでいっぱいだ。そして何よりも、こんな私をずっとサポートして応援してくれていた両親にはどうやっても頭が上がらない。





学校に復帰するための学力への課題

 小学4年生あたりから家での自習を続けてはいました。しかし、自分一人で勉強をするのも母から教えてもらうのにもすぐに限度がきて、勉強面ではだいぶ遅れをとっていました。


そんな状況だったので、週2回の授業は本当に貴重でありがたいものでした。


もともと勉強が好きだったのも功を奏して、1年を通して小学6年生相当の学力へと追いつきました。

しかしながら、日常的に文字を書く回数や頻度が圧倒的に少なかったため、文字の下手さから始まり簡単な常用漢字などですら全く書けないことが多かったです。ただ、そこは中学校に通っていたら自然と書けるようになるだろうと考えて、あまり気にしないようにしました。

こうして沢山の人たちからのサポートや対応のおかげで、私は小学校を卒業しました。



小学校の卒業式

 卒業式にはみんなと同じように出席することはできなかったので、体育館裏にある放送室のような小窓から卒業式を見ていました。


担任の先生が壇上で私の名前を読み上げて、その声が体育館に響き渡るなか、私は放送室で立ち上がり、小さく「はい」と答えたのを覚えています。


式が終わってみんなが下校した後に、校長室で卒業証書を校長先生から直々に受け取り、保健室で先生と写真を撮って、小学校生活を終えました。



 中学生からは心機一転、生まれ変わったように再び学校に行けるように頑張るんだと表面上は意気込みながらも、心のうちは不安いっぱいで冬のどんより重たい曇り空のような心境で、桜が咲くまでの日々をただ過ごしていました。




やり直しのチャンス、中学校入学

 次回の更新からは、中学校編になります。

小学3年生から完全に行けなくなった学校生活を「やり直そう」と登校することを試みた入学式から、卒業までの3年間を文章にしていきます。

冒頭で書いたように、中学入学を機に登校を試みたものの、やはりまた学校に行けなくなり、中学校では教室にほとんど登校することなく終わります。

そんな日々の詳細を振り返りながら、また次回も書きたいと思います。


次回は #7 「やり直すんだ」と意気込んだ中学入学式【7年間からの不登校から大学院へ】を更新予定です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?