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人生を考えるなら、瀬戸内に行くのがいい、とけっこう本気で思っている話

自分でもなぜかわからないのですが、ここ7年くらいずっと瀬戸内が好きで。

新卒で入社した旅行会社で、最後につくったパンフレットが「瀬戸内島旅」だったことをきっかけに、香川県にある直島が好きになり、瀬戸内国際芸術祭に毎回通うようになり、ついにBenesseという会社に入社してしまったという、不思議なご縁でした。

「何がそんなに好きなのか」と言われるととても困るのですが、とにかく瀬戸内のあの穏やかな海を見ていると本当に癒やされるのです。

そして、夕陽の名所が多いのも魅力。海に沈む太陽を見ていると、その美しさが心に染み渡ってきて、いつも涙が出そうになるのです。

父母が浜の夕陽

今回は、あえてその「なんとなくの好き」を言語化してみようと思ったのと、拙いながらその先に描いている未来のことを書いてみようと思います。


瀬戸内の海は、まるで人生を見ているよう

瀬戸内海は、本州西部、四国、九州に囲まれた日本最大の内海。主に面している県は広島・岡山・香川・愛媛ですが、他にも兵庫・大阪・和歌山とか、徳島・山口そして九州の福岡・大分あたりまで面しています。

その名の通り「内海」なので、他の海とは違う2つの特徴があります。

一つは、穏やかな凪の美しさがあるということ。
もう一つは、潮の満ち引きがわかりやすいということ。

瀬戸内海は外洋(太平洋とか)に面していないためその影響を受けづらく、また島々が点在していることで衝撃を吸収してくれるので、波がとても穏やか。もちろん、台風や天候の悪い日は海が荒れることもありますが、岡山県が「晴れの国」というくらい天候が良いのもあって、いつも穏やかなイメージが強いです。

紫雲出山から見た海

一方で、世界遺産・厳島神社や鳴門の渦潮、他にも小豆島のエンジェルロードや、日本のウユニ塩湖とも言われる三豊の父母が浜など、時間によって大きくその姿を変えることで有名な観光地が多くあります。潮の満ち引きは、月の引力の影響とも言われていますが、1日の間でこれほどにも差が見られる場所って他にはあまりないように思います。

干潮のときには、鳥居まで歩くことができる

欧米の人たち(特に北米)は、Happyが連続して起こっていくことを「幸せ」だと”認識する”そうなのですが、日本人は穏やかな日々に「幸せ」を”感じる”と言われています。わたしが瀬戸内の海を見ていて癒されるのは、ここに一つの理由があるのかもしれません。

そして、1日、半月のリズムで訪れる潮の満ち引きを近くで見ていると、地球にもリズムがあることがわかるというか。誰かが満ちているときは誰かが引いている、悪い(ように思える)ときがあってもまた良い波が巡ってくる時期がくる、そんなふうに少し引いて今の状況を見られる気がするのです。

そんなふうに瀬戸内は、日々の生活の穏やかさを感じさせる一方で、人生には満ち引きがあるということを認識させてくれる、とても不思議な魅力を持つ場所。そして、日の入りが美しい場所が多くあることも、人生を考えるうえで、大切なシーンの背景になってくれるように感じています。

神道と仏教が混ざり合う、不思議なエリア

瀬戸内海を挟んで北側、いわゆる山陰山陽地方というのは、神道の影響を深く受けている印象があります。例えば、山陰地方には古事記ゆかりの土地が多く、出雲大社だけでなく「因幡の白兎」「須佐之男命のヤマタノオロチ退治」など有名なエピソードの舞台となった土地でもあるのです。そして、広島県にある世界遺産・厳島神社のおみくじは「古事記」のエピソードになぞらっていて、実はわたしが一番好きなおみくじだったりします。

出雲大社のうさぎさんたち

一方で、南側の四国には、弘法大師・空海が歩いた「四国八十八カ所霊場」が有名です。傘や書かれた「同行二人」という言葉は、「空海と共に歩む」という意味。空海が生まれたのは香川県善通寺あたりとされ、2014年には「四国霊場開創1200年」を記念した事業が行われました(翌年が高野山開創1200年)。ちなみに宮島(広島側ですが)にある弥山の頂上には今でも空海が灯した火が消えずに残っていると言われています。

宮島・弥山に上るロープウェー

瀬戸内海を挟んで「神道」と「仏教」それぞれの歴史や文化が受け継がれ、遥か1000年以上の歴史を経て今につながっていて。これらは意外と、私たちの中に習慣として染み込んでいるものではないでしょうか。「宗教は苦手」と切り離す前に、そういう長い時間の中で受け継がれてきたものをたどり、日本人のルーツに思いを馳せることも時には必要なのかも、と思うのです。

また、参拝や巡礼文化がある土地だからか、「ご縁」とか「お接待文化」というように訪れた人を大切に「おもてなす」文化もここには根づいているような気がしています。

デザインやアートを活用しながら、前に進み続ける

実は、瀬戸内海国立公園は1924年に制定された初の国立公園。この場所には、日本として守るべき美しい自然があると認められたにもかかわらず、その後原爆投下を受けたり、近代化の煽りを受けて、産業廃棄物の投棄場所になった場所でもありました。

そういう複雑な歴史を抱えながらも、デザインやアートの力を取り入れて、新たな「価値」を私たちに提示している場所であると感じるのです。

例えば、建築でいうと、広島ピースセンター(平和記念公園および資料館)は世界的建築家・丹下健三さんが手がけています。「原爆ドーム」を歴史遺産として残すと決まったときに、平和大通りと東西平行に広島平和記念資料館を位置させ、南北の軸線として原爆ドームを意識したそう。「都市の中でモダンな建築をどうデザインしていくか」を考えた結果、それらを十字に位置するように配置し、記憶に留めることを意図したと言われています。

原爆ドームを見下ろす

また産業廃棄物の不法投棄に苦しんだ豊島では、美しい瀬戸内海の海と豊穣な稲作の棚田、水をテーマとした「豊島美術館」が注目を集めていますし、たった10年しか稼働することなく廃墟となっていた銅の精錬所は、完全なる自然エネルギーを用いた「犬島精錬所美術館」として、それぞれ「過去」を見つめながら「今」を「未来」を考えさせる場所として機能しています。

何時間でもいられる豊島美術館(見えているのはカフェ)
犬島精錬所美術館

今ではアートの島で有名になった直島ですが、Benesseの名誉顧問である福武總一郎さんは「アートが人に”よく生きる”を考えさせる触媒になる」と言っていて、まさにわたしもその意図にはまった一人でした。ちょうど1社目の会社を辞めるタイミングだったこともあり、教育の会社がこのような考えを持っているのなら、もう一度そのテーマに向き合ってみたいと思わせられたきっかけでもありました。

水平線は古来からずっと変わらない

ここで出会うデザインやアートたちは、「ただ美しくある」のではない。その存在を「過去」に置き去りにせず、私たちが生きる「今」や「未来」を問い直すための触媒として機能している、そんな印象を受けるのです。

瀬戸内海はヨーロッパでいうところの地中海

その立地柄、古くから交易路として活躍してきた瀬戸内海は、大陸から九州へと伝来した文化を、都がある畿内(近畿)へと伝えた道でもありました。

そういうこともあり、瀬戸内国際芸術祭のアートディレクター・北川フラムさんは、瀬戸内海はヨーロッパでいうところの地中海だというのです。さまざまな生活や宗教がクロスし、文化が生まれる場所だというのですね。

瀬戸内国際芸術祭が望んだものは、現代の人にとっての旅、とりわけ島に渡ることによって旅の凝縮したものを知ってもらうことでした。たとえば、ヨーロツパ文化のエッセンスは、さまざまな生活、宗教が十字にクロスする地中海にあったことを、多くの研究者が伝えてくれています。われらが瀬戸内海もそうした海として古くからありました。

「直島から瀬戸内国際芸術祭へー美術が地域を変えた」より引用

旅は空間を渡ることでもあり、時間をたどることでもあるのでしょう。多くの人が瀬戸内を旅し、自分と人類の来し方に思いを寄せることができた。それが多くの人の思いだったように思われます。

「直島から瀬戸内国際芸術祭へー美術が地域を変えた」より引用

「旅は空間を渡ることでもあり、時間をたどることでもある」というのは、わたしがとても好きな言葉なのですが、瀬戸内芸術祭を巡るときには、島から島へ船で渡るのですね。電車やバス、タクシーなどの陸上交通に慣れている都会の人にとっては、海を渡るということだけで「非日常」感があるもの。船着場を離れると一気に視界が開ける感じとか、海に日が沈んでいく様子を眺めるのは、それが何回目であっても贅沢だなと思うのです。

船から見た島々
船から見た夕陽

Benesseの名誉顧問であり、瀬戸内国際芸術祭の “生みの親” 福武總一郎さんも、「瀬戸内海は世界で一番いいエリア」と言っています。

私は、多くの現代美術のアーティストは現代社会の問題や課題や矛盾を、ひとつの作品に込めているのだと思います。そんな作品を、問題や課題や矛盾の多い都会に置いたとしても、はたして作品みずから光を放つだろうか?

同時に瀬戸内海の美しさは、江戸末期から明治にかけてやってきた世界の数多くの人々からも高く称賛されています。この世界に誇る美しい自然の瀬戸内海に現代美術を置くという私の構想は、こうしてまとまっていきました。

直島瀬戸内アートの楽園

世界的に有名な児童文学『モモ』の作者であるミヒャエル・エンデも、来日時に瀬戸内を訪れていて、そこで過ごした時間のなかで底流にある日本的なものと出会ったと言っています。

(星読みのyujiさんが、香川県には「人の世を鮮やかに、豊かに彩る文化の風が吹いている」と言っていたことも、とても感慨深い思いでした…!)

自分たちのルーツに思いを馳せながら、未来を描く時間

と、挙げればキリがないのですが、まだ日本の原風景が残っていて、かつ人の営みが残る場所って、そうたくさんはないように感じています。歴史があり、文化があり、アートやデザインをも取り込んで、常に変容しながら前に進む姿勢を持っている。だからこそ、人生や暮らしを考えるのに、瀬戸内ってめちゃくちゃいい場所なんじゃないか。そういう陰陽どちらのエネルギーを併せ持ちつつ、穏やかに前に進む気風のなかで、きっと自分を見出す人の背中を押してくれるのではないか、そんな気がしているのです。

わたしは瀬戸内が「人が来し方行く末を考えるのに最適な場所」だと思っているからこそ、ここにリトリートだったり、フォルケホイスコーレのような施設があったらいいなと思っているのです(厳密に言えば「建物」ではなく、そういう「機会」を生み出したいなと)。そして、今なんとなく思い描いていることを、ここにも記しておこうと思います。

プログラム①:「わたし」に出逢い直す

今、都会に生きる私たちは情報が多すぎて疲れすぎているように思います。気軽に、効率的に、自分らしさを「選ぶ」前に、一度ゆっくり休むことが必要なのではないか、そうわたしは思い始めました。

自分のために余白をとり、ただ生きることに立ち戻る。

「太陽と月のエネルギーをきちんと受け取ること。今日という1日を大切に扱うことは、生きる密度を上げていくことでもあるからね。そうすると、ただ毎日の幸福度が上がっていくんだよ」

これは、アメリカのマウントシャスタという場所で、日系アメリカ人ガイドのリチャードにもらった言葉。太陽と月の光をちゃんと感じ、自然の流れに沿った1日を生きる。そうすると、自然と内側が動き出すというのです。

そして、内側から何かが湧き上がってきたら、ためらうことなく「表現」してみること。心理的安全性の中で、言葉を交わし、感じたそのままのやりとりをすること。本当に自分の中から生まれてきた言葉を交わすことで、誰もが本来は違う一人であることに気づくことができる。そうすることで、自分のコンパスに気づき直すことができると思っているのです。

そしてそれには、少なくとも1週間くらいの時間は必要なのではないか、と思っています。

《プログラムでやりたいこと》
・自然に近い場所で、五感を使って、1日を丁寧に生きる
・身体が喜ぶものを食べて、身体を動かし、よく寝る
・生き方は、自分が思っているより「自由」で「多様」であると知る
・今この瞬間に「感じていること」をどんどん出してみる
・ことばや絵、歌にして表現してみる
・安心できる場所、素直な対話の中に、自分を見出す
・自分が「大切にしたいこと」に気づく

これは、伊豆にある断食施設「やすらぎの里」と長野にあるホリスティックリトリート「穂高養生園」、デンマークにあるフォルケホイスコーレ「højskolen For Bevidsthedsudvikling」、そしてわたしがアメリカにある「マウントシャスタ ジャパン ヒーリングファンデーション」で過ごした経験をすべて重ね合わせるような、そんなプログラムです。

わたしはこれらの施設すベて2回以上行っているのですが、それはまるで自分のコンパスを取り戻すような時間だったことに気づきました。

プログラム②:土地とともに「営み」を考える

こちらは、もう少し土地やそこに住む人たちとつながり、自分と社会、世界とつながりなおすプログラムです。

今、地方には面白い「営み」をやっている人たちがたくさんいます。土地を生かし、土地に生かされながら、共に生きている人たちがいます。
そういう中で、もっとシンプルでプリミティブな経済を思い出し、自分の手に力を取り戻すような、そんな時間をつくれたらと思っています。

《プログラムでやりたいこと》
・これまでを振り返り、わたしを形づくる「キーワード」を浮かべる
・わたしを囲む「つながり」に気づき直す
・自分で手を動かし、素材から「モノ」をつくる
・そこに生きる人たち、職人さんの「思い」に触れる
・「今」に流れ込む、地域の歴史や文化、営みを知る
・心地よい暮らし、理想の社会や世界を描いてみる
・自分にできる「小さな一歩」を考える

わたしは旅行会社にいたときに「地方創生」というテーマの近くにいたのですが、本当に学ぶべきは私たちの方なのかもしれない、と思うことがありました。成長をめざすなら都会の方が良いかもしれない、けれど、一人ひとりの人間に光をあて、暮らしを豊かにするヒントは地方にあるのではないだろうか、そんなふうに考え始めていました。そして、きっと相互の行き来が起きることで、日本はもっと循環し始めるのではないか、とも。

そして、今夏訪れたシューマッハ・カレッジで、世界を変えていくアクションは1人からでもできる、と教わりました。そのためには、私たちの手に力を取り戻し、ハート(心)から生み出された願いを実現するためにアクションをはじめるべきだと思ったのです。

大前提として、まずは自分がちゃんと自分で生きることが必要なのですが、自分で仕事をつくるということ、地域とつながるということ、それができる環境は、意外と地方にあったりする、そんなふうに今は感じています。

こちらは、イギリスにある大学院大学「シューマッハ・カレッジ」や、デンマークにあるホイスコーレ「Nordfyns Højskole」、そして北海道にあるフォルケホイスコーレ「School for Life Compath」にヒントを得ています。

人と場所とご縁ができることを祈って

そんなふうにイメージが固まりつつある一方で、「瀬戸内」と一括りに言っているけれど、どこからはじめたら良いのだろう…と思っているのが現状だったりします。

個人的には、直島、男木島、三豊〜観音寺エリア、倉敷・児島・宇野エリアなどが気になっていて、素敵なお宿も色々あるので、どこかとご縁がつながったらいいなぁと思っています。このnoteを通して、夢を一緒に叶えられる人と出逢えることを祈って。

《こんな人と場所と出逢いたい》
・想いを込めた場所づくりをしている人(宿)
・瀬戸内で「営み」を持っている人
・美味しい&優しいご飯をつくってくれる人
・そんなプログラムがあったらぜひ参加したい!という人
・写真撮ったり動画とかつくるよ!という人

2023年ももう残すこと1ヶ月。あっという間だったけれど、やりたかったことに少しずつ挑戦しつつ、頭の中だけで描いていたことが言語化できるようになってきたような気がしています。まだまだ1本を書くのにとても時間がかかるし、色々なことと向き合い、振り返りながら書いているのでペースは遅いのですが、毎回読んでくださる人たちがいるのが励みになっています。

今日もお読みいただき、ありがとうございました。

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