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メンクリ帰り

最寄り駅から2駅先のメンクリに通っている。通い出して3.4ヶ月といったところ。2週間に1度程のペースで、カウンセリングをしてもらいつつ、処方された薬を飲んでいる。

先生はあっさりした感じの方だ。だが、心療内科には、薬を出してはい終わり、という医者もいる中、しっかり話を聞いてくれて、その中でさらっと褒めてくれたり、慰めてくれたり、無理のないアドバイスをくれたりするので、良い先生に巡り会えたと思う。


なぜか病院に行く日は、雨が降っていることが多い。

病院の診察が終わると、同じ建物内に入っている薬局で薬をもらうというルーティーン。あ、今日もまたお薬手帳を忘れたなあ。自分の忘れ物に関していちいち凹むのは人生で何度目だろう。薬の説明を聞き、「お大事に」と言う薬剤師さんに一礼して、薬局を出る。ザーザーと無機質な音を聞きながら駅に向かう。薬の入った袋がカサカサと音を立てる。今週から薬が1種類追加された。病院と薬局はどちらも駅の目の前のビルに入っているので、駅に着くのは一瞬である。

駅にいるのはたくさんの人。リュックに大きなマスコットをぶら下げた女子高校生の集団、何かの広告とともにティッシュを配る人、急ぎ足のサラリーマン、イヤホンをした同年代の男性。

改札では、ICOCA等の交通マネーで改札を通る音、逆に残高不足のブザー音、人々の話し声、ホームから聞こえてくるアナウンス、構内の売店での会話など、たくさんの情報が渦巻く。

ここにいる大半の人々は、私みたいに心の病院なんて通ってない。私は、心の健康のために、普通の人には不必要な無駄なお金を親に支払ってもらっている。発達障害の苦しみを和らげるために薬を飲んで、その薬の副作用で更にしんどくなって、薬の副作用を薬で補うなんてことも、皆してないんだろうな。なんともない時に不意に涙が出てくるとか、なぜかベッドの上から動けないとか、漠然とした希死念慮に悩まされることもないんだろうな。

自分は普通だと思っていたし、普通に生まれたかったし、普通に生きれると思っていた。なんで私だけ、こんなふうになってしまったのだろう。

お母さんお父さん、親不孝な子でごめんなさい。無駄なお金のかかる、すぐ死にたいなんて言う弱い子に育ってしまってごめんなさい。普通に学校に行ったり、バイトに行ったり、一人暮らしをしたり、皆が当たり前に出来ていることが、当たり前に出来なくてごめんなさい。


今日も私は、病院帰りの電車で、声を押し殺しながら泣いている。





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