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なぜ呼吸を大事にするのか

「全集中」とか「水の呼吸」とか、最近、よく聞きますね。
鬼滅の刃、おもしろいですね。^^
呼吸はやっぱし大事だと思います。
そのことについて話してみます。

2年程前かな、僕は

自分の心をコントロールしたい!!

と強く思いました。
僕は心配性で、短気で、イラチ(関西弁ですぐイライラする人のこと)で、、、
で、そういうのを直したい。
でもそれって、意識的にはなかなか出来なくて、、、
自分の無意識が、心の奥の方で勝手に活動してるんですね。
で、

自分の体は自分のものだと思っていませんか?

僕は以前、自分の体は自分のものだとフツーに思ってました。
恐らく、そう思っている人が殆どではないでしょうか。
自分の意識は自分の体と密接に繋がってますよね。だから、自分の所有物だと思いがちですが、仏教では、自分の体は自分のものだとは考えないんですね。
僕の足の裏に僕の名前が刻まれてる訳でもなく、、、
この体を僕が作りだした訳でもなく、、、
ましてや僕の心臓を止めてみたり出来ないんですね。
きっとあなたもそうですよね。^^;

で、僕の心配性、短気、イラチ、、、感情を自分でコントロールできないのと、心臓を自分でコントロールできないのと、仕組みが似てるんですね、きっと、、、同じシステムなんだと思います。

心臓は意識のもっと奥の仏教で言うアーラヤ識の働きで動いてるんです。
このアーラヤ識、自分の意識ではコントロールできません。
現代科学で言う自律神経の働きなんだと思います。
自分の手足は意識的に動かせますが、命に係わる心臓や肺、これらは、意識ではなく無意識の領域、心のずっと奥の方でコントロールされてるんです。これがいわゆる自律神経と呼ばれるもので、命を守っているとても大切なシステムなんですね。仏教的にはアーラヤ識の働きです。

人生に絶望して、死にたい!!と思ったときに、意識で心臓を止めることが出来たら、すぐに自殺できてしまいます。
ですが、実際にはできません。
自分の命を自分勝手に断つことは命のシステムで出来ないようになってるのです。
そう考えると、仏教で、自分の体が自分のものではないのと同様に、自分の命は自分のものではない。と考えるのは至極当然のこと、アタリマエなんだと思います。

でね、、、
例えば、イライラして怒りが抑えられない。
自分の感情をコントロールしようとしてもなかなか上手く行かない。
これ、心臓の動きをコントロールできないのと同じです。
心の奥の、無意識とか、末那識とか、アーラヤ識とか、自律神経とか、、、
そういった領域の話なんです。
でもね、

呼吸はコントロールできるんです。

これが呼吸の不思議なところで、
無意識でも勝手に呼吸はしてますが、意識的に呼吸を止めることが出来るんです。
意識的に息を吸ったり吐いたりできるんです。
もちろん、ずーーーーっと止めることは出来ませんが、、、
ゆーっくり呼吸することもできる。
呼吸は心の奥のアーラヤ識の働きでもあり、意識的に多少はコントロールが出来る。
呼吸は意識の領域と、無意識の領域に跨がったものなんですね。

呼吸は意識と無意識の架け橋みたいなもの。
呼吸は心と体を繋ぐ大切なもの。

そして、呼吸を整えると、自然と鼓動も落ち着いてくる。
呼吸は心臓にも作用してるんです。
さっき心臓の動きはコントロールできないと書きましたが、全くできないわけではなくて、呼吸を使えば、多少、作用する事はできるんですね。
で、怒りも落ち着いてくる。
自分が怒り狂ってる時に、直接的に感情を動かす事はなかなかできませんが、
呼吸を使って、間接的に作用する事はできるのです。

ね、大事でしょ、呼吸。

よく、呼吸って大事って言われますけど、なぜ大事なのか、、、そのことについて書いてみました。
ありがとうございました!!

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